歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
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麒麟がくる・毛利新介と今井翼と桶狭間の戦い

2020-05-18 | 麒麟がくる
今井翼さんは、たしか「めまい」で休養なさっていたはず。私も三週間ほどの「めまい」経験がありますが、つらい。本当に回るのです、世界が。今井さん、良くなっているといいのですが。年をとると、人の病気さえ大変気になります。20代までは、同情とかあまりなかった。若いって残酷です。私が無神経なだけかな。

かろうじて放送されるようです。つまり今井翼、毛利新介で一旦中断。コメントとかみると一回の出演かも知れません。とにかく桶狭間までは行くということです。

毛利新介さんは、、、ネタバレになりますよ。

毛利新介さんは、今川義元の首をとります。その時指をなくします。今川義元が食いちぎるのです。さぞ出世したかというと、信長の親衛隊まで。でもずっと信長の側近だったようです。だから「一回のみの出演」じゃない可能性もあります。若い頃同僚であった前田利家、佐々成政ほどは出世しません。本能寺の変では、信長の息子の信忠を守って、ともに戦死したようです。

で、こっからは大河オタクの話になります。

ほほー、毛利新介を持ってくるか、梁田じゃないんだな。「司馬さん離れだ」というところです。

司馬さんはこう書きます。毛利新介より、今川義元の「居場所を知り、奇襲を推進した」簗田政綱の方が出世した。「首をとる」ということではなく、情報とそれに基づく合理的作戦、それを重視する「信長の天才性」はここにも表れていると。

司馬さんを批判する人は、全くの創作だと言うわけですが、小説家なんだからそりゃ創作でしょう。ただし簗田政綱の存在は史実のようです。沓掛城主になったのも史実。

司馬さんがどうしてこういう「天才」を作り上げたかというと、戦争体験ですね。戦車体験と言ってもいい。「情報、事実と合理性を無視した作戦指導」への強烈な反発が、この「情報と合理性を追求する信長」を生み出したのです。

むろん子供だった私はそれを知りません。だから小説「国盗り物語」を中学の頃に読んで、「なるほどなー」とひたすら感心していました。懐かしい思い出です。今でも司馬さんは大好きだし、もっとも影響を受けた作家です。

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