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ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

クラクフ・ゲットーとシンドラーの工場

2013-05-30 22:40:14 | クラクフ (ポーランド)

ウィキペディアによると、“ポーランドがドイツ軍に占領される前年の1938年時点でクラクフには64,000人を超えるユダヤ人が暮らしており、それはクラクフの全人口の4分の1に相当していた。”そうです。

ユダヤ人が多く住んでいたのは、旧市街の南にあるカジーミェシュ(Kazimierz)地区と、ヴィスワ川をはさんでその南東にあるポッドゴルジェ(Podgorze)地区でした。クラクフを占領したドイツ軍は、「使えない」ユダヤ人はクラクフから強制退去させ、「使える」ユダヤ人はポッドゴルジェ地区に建設したゲットーに隔離します。

 

映画『シンドラーのリスト』にも出てきた、ゲットーの門。

 

 

              

              ① シンドラーのホーロー容器工場               ② ポッドゴルジェ地区に建設されたクラクフ・ゲットー

                       ③ プワシュフ強制労働キャンプ                ④ カジーミェシュ地区

 

『シンドラーのリスト』が製作されてから、今年で早や20年。ずっと昔にTVで見ましたが、当時はクラクフには興味なかったので、クラクフが舞台とは覚えていませんでした。クラクフのことを調べ始めてわかった次第です。先週、クラクフ行きの予習のため、買っておいたDVDで久しぶりにまた見ました、『シンドラーのリスト』。シンドラーの写真を探してみると、リーアム・ニーソンのシンドラー像はなかなか実物に近かったようで感心です。(下左写真の真中、下右写真の左から二人目がシンドラー。)

 

1940年、工場の前で、被雇用者たちと。                           左から2人目がシンドラー。

 

   オスカー・シンドラーと、                                  妻エミーリエと、               晩年の彼女。

     

 

1942年のクラクフ・ゲットー。囲ってあるZgody広場(Plac Zgody)は、各地に移送されるユダヤ人の集合場所に使われたそうです。ここでユダヤ人の家族が引き裂かれ、抵抗するものは暴行され、殺害されました。

              

同広場は戦後“ゲットーの英雄広場”(Plac Bohaterow Getta)と改名され、2005年には、迫害されたユダヤ人を祈念する大33、小37の金属製の椅子が設置されました。

シンドラーの工場跡は、この広場から東に向かって徒歩で数分だそうです。

                          

 

クラクフ郊外のプワシュフ強制労働キャンプの所長アーモン・ゲートは遊び半分にユダヤ人を射殺するような残忍な男ですが、シンドラーは上手く立ち回って彼と友好関係を築き、自分の工場で働くユダヤ人は工場内で寝起きできるよう許可を取り付けます。闇市場で手に入れた食糧も与えられ、シンドラーの工場で働くユダヤ人はずっと恵まれた環境に置かれます。

             しかし、やがてゲットー解体が始まり、ゲットーにいたユダヤ人全員が強制収容所もしくは虐殺収容所へと追い立てられます。

                         

 

シンドラーは、故郷(チェコのブルニェネツ)で買い取った工場で軍需品の生産を続行するため労働力としてユダヤ人が必要だと訴え、約1,100人を連れて行く許可を得ます。そうして作成されたのが、連れて行くユダヤ人の名前を連ねた『シンドラーのリスト』。

 

   シンドラーのリストと、                         シンドラーの工場の位置。

 

 

       この写真、シンドラーがユダヤ人たちに別れを告げるシーンと似ています。(実際にそうだったとか・・・?)

     

 

                   スピルバーグ監督とリーアム・ニーソン。

                 

クラクフ・ゲットーがあったポッドゴルジェ地区は、ポーランドの共産主義が倒れて以来新しい建物が増えたため、『シンドラーのリスト』のゲットーのシーンは、まだ古い建物が残っていたカジーミェシュ地区で撮影されたそうです。そのカジーミェシュ地区も、近年どんどん面白くなっている様子。

 

シンドラーの元工場は、電気製品か何かの工場として使われていたようですが、映画のため『オスカー・シンドラーの工場』という名称が戻され、ようやく2010年6月11日に、修復とお化粧直しのあと、博物館として公開の運びとなったそうです。

 

展示されているのは、“Krakow Under Nazi Occupation 1939-45” (ナチ占領下のクラクフ 1939-45年)。入口脇の窓にはシンドラーが助けたユダヤ人たちの写真が貼られ、もちろんシンドラーに関する展示もあります。

 

まだスペースが余っているため、その部分には美術品を展示する計画だそうです。

 

戦後のシンドラーは事業には失敗続きでしたが、1962年に彼は、彼が救ったユダヤ人の招待でイスラエルを訪れます。記念の植樹をし、かつてのユダヤ人被雇用者とその子孫から温かいもてなしを受けました。

  

1974年に死没したシンドラーは、エルサレムのカトリック墓地に埋葬されました。

 

映画『シンドラーのリスト』の最後の場面のため彼の墓の周囲に集まった、Schindler's Children と呼ばれる彼が救ったユダヤ人とその子孫たち(下左)と、シンドラーの墓(下右)。

   

 

この記事のためシンドラー情報を拾い読みしていて、ある英語のブログで面白い解釈に出会いました。

「シンドラーは保身のためにユダヤ人を救っただけ。彼にはナチスの敗北が見えていた。

 そうなればナチ党員でユダヤ人を無償労働につかせていた自分は戦犯として裁かれることは明らかだった。

 それを免れるために、自らの命を救うために、私財を投じてユダヤ人を助けたに過ぎない。」 というもの。

 

たしかにその通りになりましたからね。 ・・・本当のところはどうだったのでしょう?

ヤド・ヴァシェムのサイトで、こんな記述を見つけました。

「シンドラー夫妻は、リストのユダヤ人に加えて、アウシュヴィッツのサブ・キャンプで酷使されていた120人のユダヤ人男性も救った。彼等は石炭鉱山で強制労働に就かされていた。1945年1月、ロシア軍が接近してきたため同キャンプは捨て去られることになり、120人は2台の家畜用貨車に詰め込まれ、水も食糧も与えられずに西へと向かわされた。酷寒の中を7日間走り続け、貨車はようやくシンドラーの故郷の町に着いた。

 エミーリエ・シンドラーはナチ親衛隊将校が貨車を送り返すのを止めるのに辛うじて間に合った。食糧調達から急遽戻ったオスカー・シンドラーは、貨車の中の労働者が自分の工場に不可欠なのだと将校たちを必死で説得した。貨車の扉が開けられると、無残な光景が現れた。シンドラー夫妻は、やつれ衰えひどい凍傷にかかりつつもまだ生きていた107人を懸命に介護し、栄養を与え、少しずつ回復させていった。死亡していたユダヤ人をナチ将校はすぐさま火葬にしたがったが、シンドラーはそれも阻止し、買い求めてあったカトリック墓地の近くの土地で完全なるユダヤ式の葬式をして死者を弔ってから埋葬した。」

 

・・・本当に我が身かわいさのためだけにユダヤ人を助けたのだとしたら、ここまではできなかったのでは? 極限状態に近い状態にあったんですよ。それなのに、きちんと死者まで弔うなんて。私にはできません。(面倒臭がりだし。

真の動機を知っているのは、シンドラー氏本人のみ。その御本人が亡くなっている以上、彼の真の動機は誰にも、永久にわかりません。

ただ、彼の行為が約1200人の命を救ったのは事実です。彼の行為がなかったら、ほぼ確実に奪われていた1200もの命。

その事実から、私はオスカーとエミーリエのシンドラー夫妻は、英雄として讃えられるに値すると思います。

 

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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シンドラーのリスト (チビまま)
2013-06-02 03:14:09
シンドラーのリスト、クラクフが舞台だったんですね。
私も知りませんでした。
それにしても、、シンドラーが護身のためにユダヤ人を救ったという説は初耳です。
でもあそこまでするのは並大抵じゃないですよね。
それに、彼の真意は定かじゃなくとも、これだけの命を気違いのヒットラーから救ったという事実は真実ですし、素晴らしいことには変わりありません。

ハナママゴンさん、もうすぐホリデーですね。
行く価値のある場所、楽しみですね。
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仕事納めしてきました。 (ハナママゴン)
2013-06-02 06:37:55
今日の遅番が、ホリデー前の最後の仕事。
もう心はクラクフに飛んでいて、仕事中も浮き足立って困りました 
明日は一日かけてゆっくり、持っていくものの準備です。
明後日の今頃はクラクフにいるなんて、信じられない・・・

天気に恵まれるといいな~。
いや、何よりまず、自分で運転してブリストル空港に無事つけるといいな。ですね。
気をつけて、良い旅にしてきますね!
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