ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

オシフィエンチムの町 ④ [最後のユダヤ人]

2013-05-13 20:07:15 | クラクフ (ポーランド)

1925年1月19日にオシフィエンチムで生まれたシモン・クルーゲル(?Syzmon Kluger)は、第二次大戦前には町の人口の過半数を占めていたユダヤ系住民の一人だった。

第二次大戦中ナチスに捕えられた彼は、北に30kmほど離れた町ベンジン(?Bedzin)のゲットーに追放されたあと、1942年にそこから西に60km近く離れたブレヒハンマー(?Blechhammer)強制労働キャンプに送られ、そこで腕に179539という囚人番号を烙印された。シモンの両親はアウシュヴィッツに送られて殺害された。シモンはブレヒハンマーからグロース・ローゼン強制収容所、さらにブッヒェンヴァルト強制収容所へと送られ、航空機の製造をさせられた。(別の情報源によると、シモンが送られたのはアウシュヴィッツだったという説も。)

1945年4月、ドイツのハルバーシュタット(Halberstadt)付近で米軍に救われたシモンは、スウェーデンの赤十字とUNRRAの助けで同年7月にスウェーデンに行き、翌年まで病院で過ごした。その後技術学校に通い、機械工と電気工の技術を習得した。(スウェーデンでは洗濯屋で働いたという説も。)

1962年頃にオシフィエンチムに戻り、労働者用のホテルの一室に住みながら化学工場で働いた。やがて彼は、町に唯一残ったシナゴーグの裏手にある、戦前家族と住んでいた家に帰り、町の人々に“オシフィエンチムの最後のユダヤ人”として知られるようになった。彼自身もすすんで人々に、腕に刻まれた囚人番号を見せたという。実家に戻ってほどなく健康上の理由から仕事を辞め、兄弟からの援助と近隣の住民の世話を受けて暮らしたシモンは、2000年5月26日に死没した。同じ年の9月12日、隣にアウシュヴィッツ・ユダヤ人センターがオープンした。

     クルーガー・ハウスが写った古い絵葉書。矢印の家がそれらしい。

          

町に唯一残ったシナゴーグの裏手に立つクルーガー・ハウスは、20世紀の始め頃に建てられたと考えられている。1928年にシモン・クルーガーの祖父と母親のフリーダがその家を買い取り、家族で住むようになった。9人兄弟の上から2番目だったシモン。家族のうちホロコーストを生き延びたのは、彼以外には兄のモヘ(?Moshe)と妹のブロニア(?Bronia)の2人だけだった。その2人はオシフィエンチムを去ってアメリカに渡った。

      下中:1930年代に撮られた写真。左から妹のブロニアを抱える母親のフリーダ、手前に兄のモへ、弟のイチャック、シモン、メイドのヘレナ、妹のメレチ。 

  下左:シモン・クルーガー。                                                   下右: 戦後に撮られたブロニアとモヘの写真。 

        

晩年自分の身の回りのことができなくなったクルーガーは、友人や近隣の住民に助けられた。警官もクルーガーの無事を確認するため毎日立ち寄った。『クルーガー・ハウス』として知られるクルーガーが最後まで住んだ家は、アウシュヴィッツ・ユダヤ人センターに寄付された。しかしその家は、2010年の地震で屋根が陥没し天井は抜け落ち、現在倒壊の危機にある。そのためセンターは、できるだけ特徴を残しつつクルーガーの家を修復し、カフェに改造する計画を打ち立てた。可能な限り地元の産物を使って作った軽食やお菓子を出すベジタリアン・カフェになる予定だ。

この計画のため、ユダヤ人センターはヨム・ハショア(ナチスによるユダヤ人の大虐殺を追悼するユダヤ教の祭日)だった先月8日、オンラインで募金活動を始めた。(募金のプロモーション・ビデオはをこちらをどうぞ。ついでながら・・・ビデオの映像のBGMに使われている歌、なぜか心に残ったので調べてみました。マティスヤフというニューヨーク生まれのユダヤ人レゲエ・ミュージシャンの“One Day”という歌だそうで、歌詞をYouTubeで見たら、目が潤んでしまいました。・・・いい歌!)

                  

既に決まっているカフェの名は、“カフェ・オシュピッツィン(Cafe Oshpitzin)”―― Oshpitzin は“guests”を意味し、ユダヤ人はオシフィエンチムを、昔からこう呼んできたそうだ。ユダヤ人センターは、忌むべき過去を背負わされた町・オシフィエンチムに誕生するこのカフェを、世界各地から訪れる客や地元住民の会話と相互理解の場所にしたいと考えている。ユダヤ人センターからのメッセージ: 

                   “私たちは、単にカフェをつくるのではありません。

                       地域のイメージとアイデンティティーと文化を再建しようとしているのです。

                          過去を学ぶことにより、未来を豊かにできる場所を。”

 

・・・オンラインでアマゾン・アカウントを使って寄付できるとのことなので私もささやかながら寄付をしようとしたのですが、なぜかパスワードが受け付けてもらえませんでした。パスワードずっと変えてないのに? 先週だってアマゾンで、ムスメの本を注文したのに?? しかたない、来月現地で、ユダヤ人センターで、寄付するとしよう。

このオンライン・募金活動は半日ほど前に締め切られましたが、目標額を大きく上回る金額が集まったようです。よかったよかった 

 

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