今月1日は、第一次世界大戦中だった100年前にソンムの戦いが始まった日。
100周年ということで、その数日前からニュースになっていた。
私にはお馴染みのない戦いなのでスルーするつもりだったけど、印象的な画像をTVニュースで見て興味が沸いた。
直径91m ・ 深さ21mの巨大な穴。
これはロックナガー・クレイター(Lochnagar Crater)といって、ソンムの戦いの火蓋を切って落とした爆発の跡だそうだ。
強固なドイツ戦線を突破するため、連合軍は坑道戦を採用。 地下に一日46cmのペースでトンネルを掘り進め、
ドイツ戦線の手前41mでY字形に枝分かれさせ、トンネルがお互いから18mほど離れたところにスペースをつくって
片方に16,000kg、もう片方に11,000kgという大量の爆薬(アンモナル)を仕掛けた。
トンネルの終わりのスペースが小さすぎたため、枝分かれ後のトンネル(長さ18mと12m)内にも爆薬を置くようだったという。
これは準備されていた大規模な8つ、そして小規模な11の爆発のうちのひとつだった。
爆発は午前7時20分に開始され、ロックナガー・クレイターを造った爆発は7時28分に起きた。
耳を裂くような大爆音は、遠くロンドンでも聞こえたという。 爆発により巨大なクレイターが出現した。
しかしながら爆発の効果は結果として少なく、7月1日の初日だけでイギリス軍は19,240人もの戦死者を出してしまった。
これは英軍の歴史上、現在に至っても最悪の記録だそうだ。
こうしてソンムの戦いは141日にわたって続き、100万人以上(両軍合わせて)の死傷者を出すことになる。
戦後小さなクレイターは埋め立てられたが、ロックナガー・クレイターは埋め立てを反対されてそのまま残った。
クレイターとその周辺の土地は1970年代に、歴史書 The Old Front Line (1917年出版)を読んで感銘を受けた英国人
リチャード・ダニングが、保存する目的で買い取った。
クレイターはそれまでバイクの乗り回しや廃棄物の不法投棄に使われていたが、ダニングは1986年に
クレイターの縁に木製の十字架を立てた。 現在は年間20万人がロックナガー・クレイターを訪問し、
毎年7月1日にはメモリアル・サービスが行われるという。
クレイターの背後に見えるのは、Ovillers-la-Boisselle の村(2006年の時点で人口362人)。
ロックナガー・クレイターの位置。
血みどろ・泥沼の塹壕戦となって膨大な犠牲者を出したソンムの戦い。
わずか6マイル(10km弱)前進するために、48万人の英軍兵士が死傷した。
アンネ・フランクの父オットー・フランク、アドルフ・ヒトラー、ウィルフレッド・オーエン、J・R・R・トールキンなどが、ソンムで戦ったそうだ。
ヒトラーは脚の付け根を負傷し、トールキンは塹壕で熱病にかかって戦線から退いた。
前進の際、歩兵は約30kgの装備を担がなければならなかった。
塹壕では劣悪な環境のなか敵の砲弾にさらされ、命を落としていった。
第一次世界大戦を舞台にした 『西部戦線異状なし』 という戦争映画の古典的名作があったが、
あれは西部戦線を体験したドイツ人エーリヒ・マリア・レマルクが1929年に発表したベストセラーを基にしていて、
主人公は英国兵ではなくそのままドイツ兵だったとは知らなかった。
ソンムの戦いの前にくつろぐ兵士たち。 その後の彼らの運命は、戦死、負傷、生存、不明など様々だ。
戦死者○○名というとただの数だが、こうして顔がついてしまうと数は人になり、心が痛む。・・・
今年7月1日の、夜明けのシープヴァル・メモリアル (Thiepval Memorial)。
ここはソンムの戦いで行方不明になった72,246名の大英帝国軍兵士を記念するメモリアルで、
英連邦の戦没者メモリアルとしては世界最大。
森に囲まれたメモリアルで、十字架に相対して巨大な記念碑がある。
各国首脳とともに、記念式典に列席する王室の若手メンバー。
カミラ夫人の大伯父さんのうちひとりはソンムで戦死し(享年24歳)、Carnoy 軍人墓地に葬られているそうだ。
彼の2人の弟も続けて第一次大戦で戦死したため、4番目の息子つまりカミラ夫人のお祖父さんは
戦場に赴くのを止められ、命拾いをした。 祖国のため戦う気満々だった本人は、憤懣やるかたなかったそうだが。
ちょっとプライベート・ライアンに似た話だが、戦争中は似たような話、それどころか兄弟が全滅したという話だって、
いくらでもあったのだろう。 墓前に花を供えるカミラ夫人。
ウエストミンスター寺院の無名兵士の墓にリースを捧げる女王陛下。 (これは6月30日の晩だったらしいです。)
午前7時30分に終わる2分間の黙祷を捧げる市民、兵士、ロンドン消防隊員たち。
ソンムの開戦から100周年のこの日は、第一次世界大戦時の英軍兵士に扮した1400名の俳優が、全国各地に出現。
午前7時から午後7時まで、駅やショッピング・センターや街角で静かに佇むその姿が見られた。
ロンドンのウォータールー駅。
バーミンガム・ニュー・ストリート駅と、マンチェスター・ピカディリー駅。
ニューカッスルと、不明のどこか。
ブリストル・テンプル・ミーズ駅と、ブリストルのショッピング・モール、キャボット・サーカス。
彼らは皆100年前の7月1日にソンムで戦死した兵士の名刺を持っていて、無言のまま大衆にそれを配ったそうだ。
名刺を受け取ってツィートした人も多かったらしい。 (あれ、キャロル・ミドルトンて、もしかしてケイト妃のお母様?!)
俳優さんたちが第一次大戦の兵士に扮するアイディア、最初は (・・・?) と思ったけれど、
『百聞は一見にしかず』。 見ているうちに心に沁みてきた。
あの人たちにも、戻っていきたい人、待ってくれている人がいたんだろうな・・・
(あの人というのはもちろん俳優さんたちじゃなくて、第一次大戦の兵士たちです。)
今日の自由と平和と繁栄は、多くの 『命』 という、過去の大きな犠牲のうえに成り立っていることが実感できる。
本当に、決して忘れてはならないことだ。 (下はドーヴァーの白い壁への投影。)
(ひらめきました! 日本でも終戦記念日に10代の若者に日本兵の格好をしてもらって、
当時の若者が払った犠牲を実感する・・・というのはどうでしょう・・・?)