この秋、学業の一環としてホロコーストについてあれこれ読まなければならなかったムスメ。
ある日 “似たような話を聞いた覚えが・・・” とのコメントつきで、
こんな画像 を送ってきました。
息子 「一体どうしたっていうの?」
継母 「お父さんよ! 私をまるでメイドか看護師みたいに扱って・・・ それに、ひどいの!
私にひと月50ドルしかくれないのよ。 ストッキングが必要になると、自分の貯金を使わなきゃならないの!」
息子 「うーん・・・ 父さんは相変わらずだな・・・」
これはアート・シュピーゲルマン作のグラフィック・ノベル 『マウス』 からの一シーンだそうです。
もともとは2巻に分かれて刊行された(下左)ようですが、ムスメが講師から安く譲ってもらったのは、
2巻がひとつに収まった完全版(下右)。 日本でも1991年と1994年に出版されていたんですね。
作者の、ホロコーストを生き延びた父親の過酷な体験を中心に、迫害されたユダヤ人家族の戦後の苦悩をも描いたというこの漫画。
ユダヤ人はネズミ、ドイツ人は猫、ポーランド人は豚、アメリカ人は犬、フランス人は蛙として描かれているんですね。
作者の母親が戦後自殺してしまったため父親は再婚しますが、冒頭のシーンは、作者の継母が作者に、
父親のケチぶりを嘆いているところ。
前置きが長くなりましたが、ムスメがほのめかした 『似たような話』 の主は、もちろんオットー父。
老後の沙汰は、カネ次第 ② に書いたように、オットー父は去年の春、不安障害(?神経衰弱?)にかかったわけですが。
じつはあの時、それまでオットーも知らなかった事実が判明したのです。
何と・・・
・・・と気を持たせつつ暴露しようとした事実ですが、自分のブログを読み返してみたら、もう暴露してました。
間違いだらけの夫選び で。 この部分です。
銀行口座は二人の共同名義ながら、オットー母はクレジットカードはおろかキャッシュカードも持っておらず、小切手は書けるものの、
あくまでオットー父の許可があった場合のみ。オットー父は生活費を下ろしてくると、毎月30ポンドをオットー母に、自分のものを買うための
『ポケット・マネー』として渡すそうです。
これ聞いたとき、驚きのあまり力が抜けましたよ。80代の妻にお小遣いって・・・ つまりオットー父は、オットー母の年金までも、がっちり
握ってしまっているわけですから。車庫は立派にし車は3年ごとに買い替えても、キッチンはひどい状態のまま放置。共働きなのに、
家事も育児も一切手伝わなかった。今で言う『モラハラ夫』? オットーですら、「なぜ母が離婚せずにここまできてしまったのか、
息子ながら理解に苦しむ」と言っています。本当に、あの義母以外には、耐えられる人はいなかったでしょうね。
オットー父、一生理解できないでしょうけど、あなたは本当にラッキーなんですよっ!
しかもこの事実が私たちにも知れることになったのって、去年の春じゃなくて3年も前の春だったんだ!
自分でブログに書いた以上、そうだったに違いない。 勘違いしてお騒がせし、皆さん申し訳ありませんでした。
(・・・自分の記憶力が非常にヤバイ・・・ 認知症!? )
オットー母の苦労については、過去の関連記事をお読みください。
私、おばあちゃんというものは、孫ができるとかわいくてたまらなくて、衣類やおもちゃを買い与えずには
いられないものと思っていました。 だから初孫だったムスメが生まれたあと、オットー母にそういう傾向が
見られなかったので、意外に思ったんです。 でもきっと、老後のため浪費を控えて堅実に生活しているのだろうと。
それならそれでこちらも安心だからいいか、と。 (ワタシの好みでなくてムスメに着せたくならないような衣類を
たくさんいただいても困るし。 )
オットー両親がムスメを初めとする孫たちにプレゼントをくれるのは、誕生日とクリスマスのみで、教育的なおもちゃが多くて、
チャリティー・ショップで買った中古の絵本やゲームなども混ざっていたりして。 新品の既成服などは一度もいただいたことがなく、
ムスメにいただいた衣類といえば、ムスメが2歳のときにオットー母が手作りしたワンピースのみでした。 でも
そうして将来介護が必要になった時のために倹約してくれているなら、こちらとしても助かるな、と。
そういった過去も、オットー母は自分の年金すら自由に使えないという事実を知ってから、納得できました。
月額30ポンドしか自由にできるお金がないのでは、自分の必需品(衣類・靴下・下着など)を買うにも苦労することでしょう。
だいいち、携帯電話の使用料金。 オットー母は週一回は子供たちに電話をする習慣がありますが、独身の義弟②は
固定電話を持っていないので、彼の携帯に電話するしかありません。 なのにオットー父が 「携帯への電話は高くつく」 と
オットー母に家電を使わせてくれないので、オットー母は自分の携帯で義弟②に電話するしかなく、その料金だけでも
30ポンドの半分は消えてしまうのです。 ほんと、冒頭の 『マウス』 の継母の状況にそっくり。 否、それよりひどいかも・・・
そんなオットー父に、あくまでも添い遂げる決意であるらしいオットー母。 以前はその忍耐心にただただ感服していましたが、
近頃は私、見方を変えつつあります。 オットー母って、たぶん、一人では暮らせない人なのではないかと。
誰かしら面倒をみる、世話をする対象がないと、自分の存在意義がなくなるようで、一人ではいられない人ではないかと。
この夏オットー父にボロクソに言われたにも関わらず、オットー父と一緒にいたいと言い切りましたからね。
ごく普通の男性と結婚していたら、定年退職後の自由を一緒に楽しんで、日帰りで出かけたり、時には
外食したり、旅行に行ったりできたでしょうに。 経済的には余裕があるのですから。 なのにオットー父に
くっついていることで、可能であったであろう多くのことをせずに終わりそうです。 でもきっとオットー母は、
そういう事は考えず 「夫に添い遂げた」 という満足感だけを持ってこの世を去れる人なのでしょう。
この夏オットー両親の家に、義妹一家も一緒に集まっていた時のことですが。 引越すための家探しがなかなか
うまく行かないことに苛立っていたらしいオットー父の機嫌がことさら悪く、キッチンまで出向いてオットー母の
料理の仕方を批判して声を荒げ、義妹の息子たち(12歳と9歳)に 「静かにしろ!」 と怒鳴り・・・・・
このような両親の初子として成長したオットーは、友達の家にお邪魔したとき初めて、自分の家庭が普通と違うことに
気づいたそうです。
父親が怒鳴らない。 子供に手を上げない。 食卓で会話できる。 父親が笑顔を見せる。
父親が家事を手伝う。 子供と遊んでくれる。 ・・・・・
この夏に話が戻りますが、自分の機嫌の悪さを隠すどころか八つ当たり的に苛立ちを撒き散らすオットー父を見ていて、
(注: オットー父は自分が他人の目にどう映るかなどお構いなしなので、オットーは父親に人格障害があるのではと疑っています、)
成長期にあったオットー兄弟やムスメがしたように、(この甥っ子たちも 『お母さん方のお祖父ちゃんは普通の
お祖父ちゃんとは違うみたいだ』 とそろそろ気づいているんだろうな・・・) と考えたら、何だか切なくなってしまいました。
オットー母がオットー父に添い遂げるというのは自らの選択ですが、それによって影響を受けるのは、決して本人だけじゃない。
その子供のみならず孫たちまで、否応なしに影響を受ける・・・・・
安易に離婚を選ぶのは考えものですが、自分に忍耐を強いて結婚生活を続けるのもどうかと思います。
そりゃオットー父は妻や娘には手を上げず、叩いたのはもっぱら息子たちでしたが。
定年まで働いて(オットー母もですが)、経済的な心配はありませんでしたが。
飲酒やギャンブルにのめり込むわけでも浮気をするわけでもありませんでしたが。
もっとひどい父親は、世間にたくさんいますが。
それでももし、オットー母が抑圧された結婚生活から自らを解き放っていたら・・・?
と、つい想像してしまいます。
少し前に寒気が訪れたとき、オットー母がオットーに電話で愚痴ったそうです。
「お父さんが暖房を入れてくれないので、屋内が寒い」 と。 オットー父に 「寒いから暖房を入れて」 と頼んでも
「フン」 と鼻を鳴らし、「寒いのは動かないからだ、体を動かすよう心がけていれば寒さなど感じない」 と主張して・・・
90歳が、88歳に対してですよ!
「父さんは意地悪だから、母さんに寒くてみじめな思いをさせるためなら自分も我慢するからなぁ・・・」 とオットー。
でもオットーがオットー父に 「暖房を入れてあげてよ」 とでも頼もうものなら、オットー母が “告げ口” したことが
オットー父にばれてしまい、そうなるとつむじを曲げたオットー父がオットー母とはしばらく口もきかなくなるので、
それもできない。 (あ、もちろん、オットー母が自分で暖房を入れるというオプションはありません。 テレビのチャンネル権と
同様、暖房のスィッチ権もオットー父が握っていますから。 そういう夫婦として、過去59年間暮らしてきましたから。
・・・来年はダイヤモンド婚じゃないっ! )
気の毒になってしまったので、私が日本で買ってきて重宝しているユニクロのヒートテックをオットー母にも! と思い立ち、ついでに
厚手のタイツ(オットー母はスカートしかはかないのでレギンスは買えないから)とベッドソックスも注文しました。
でもオットー母にだけだと妙だし “告げ口” がバレるかもしれないので、オットー父にもヒートテックの肌着の上下とベッドソックスを注文。
先週クリスマス・ホリデーで帰宅したムスメも一緒に三人でオットー両親宅に顔見せに行ったとき、2人にこれらをプレゼントしてきました。
オットー母の “告げ口” を勘ぐられないよう、「私が重宝している温かい肌着なので、お二人にもどうかと思って・・・」 というスタンスで。
オットーの家族内では大人同士のクリスマス・プレゼントの交換はやめたので、これくらいは、たまにはいいかと。
(それとなく観察していたら、その日オットー両親は、ほとんどお互いと目を合わせず、口もきいていませんでした。
私たちが行く前に、一戦交えたのかもしれません。)
これでオットー母が、なんとか寒さをしのげますように・・・・・
すごいお義父さんですねー。こういう方って、昔の日本人だけかなあ、と勝手に思い込んでいたのでびっくりです。
私の父と母の関係もわりと似たような感じですが、母は母親としての立場よりも妻と嫁としての立場を大事にしていたようです。完璧な妻であることが彼女のpriorityだったようです。お義母さんもそんな感じなのでしょうか。子どもにしてみると、迷惑な話なんですけどね…。
kさんのご両親もこんな感じだったんですね。 こういうお父さんて、戦前はたくさんいたんでしょうね。
今は亡き私の父は、優しく子煩悩、でも必要なときには厳しくと、尊敬できる父親でした。
母にもフェアに対等に接していたし。 まぁ家事は好きでなくて、ほとんど母任せでしたけど。
だから我慢し続ける義母を見ていると、(こんな人と添い遂げる意味って何!?)とときどき歯がゆくてたまらなくなるんです・・・。