花夢

うたうつぶやく

031:寂しいうた

2006年11月25日 | 題詠2006感想
「淋しい」と「寂しい」はなにが違うのでしょう。

私のなかでは、
「淋しい」は泣き濡れて湿っているけど、
「寂しい」はカラカラと乾いている気がします。

「淋しい」は胸がつまっているけれど、
「寂しい」はからっぽのような。

「淋しい」は迫ってくる感情のように激しく、
「寂しい」はゆっくり時間をかけたもののようにも思えます。

なんとなくのイメージですが。

そういうことを考えていたので、「寂しい」の意味や内容を考えさせる作品に引き寄せられました。


バビロンの塔があき地に立っている あんまり大きくなくて寂しい
aruka

不思議な光景です。
シュールと言うのでしょうか。マグリットの描く世界のような静かで不思議な空気を感じます。

その光景を前に「あんまり大きくなくて寂しい」。
圧倒される大きさではなく、あき地にポツンと立つバビロンの塔。
その塔をポツンとながめ、寂しいと思う作中主体。

余白のような空間が、ぽっかりと残る作品です。



対になるワイングラスの一方をわざと割ってはよけい寂しい
五十嵐きよみ

この「寂しい」は、まさに心に穴の空いた感じの寂しいなので、私の感じた「寂しい」のイメージにぴったりでした。

対になるワイングラスの一方を割る行為。
おそらく、その一方はもう必要のないグラスなのでしょう。
その寂しさを捨て去ろうと、グラスを割れば、もっとリアルに寂しさが押し寄せてくる。
心の空白をなんとかしようとあがき、さらに深まる空白。というのでしょうか。

このワイングラスをわざと割る様子。
レオナルド・ディカプリオ主演の映画「タイタニック」にて、最後に年老いたヒロインのローズが、宝石を海に落とすシーンがありますが、
それに似た光景に思いました。

まるで、なにかの間違いで海に落としてしまったかのように。
まるで、なにかの間違いで割ってしまったかのように。

空白を埋められないことを知っていて。
知っていることを形にしてあらわしてしまえば、さらに広がる空白。



寂しいと言へばたちまち寂しさの形をとつてなだれる心
萱野芙蓉

こちらも、自らの感情をはっきりと意識することで、加速してしまう心をあらわしているようです。

うっすらと感じていることを、「寂しい」という言葉にしてしまう。
そうして言葉にしてしまった瞬間から、体も心も全身が「寂しい」へと向かっていってしまう。
「なだれる」という言葉が、その感情の重みと勢いをあらわしているようです。

うっすらと感じて凍えている夜も、それがくっきり形となってなだれる夜も。
心はそうして整っていこうとしているのだと思います。



あの朝に二人で分けた寂しさを今も大事に胸に抱いてる
逢森凪

こちらは「二人で分けた寂しさ」と来ました。うわー。
二人でいても寂しいのではなく。二人で分けた寂しさ。
寂しさなんていうものは、きっと、相当近くにいないと分けあえないと思います。
(それに比べれば、嬉しさはなんて単純に分け合えられるもんだろう)
けれど、分けあうのは、結局、寂しさなのですね。

わー。せつない。
近いからこそ分けあえる寂しさだから、せつない。

だから、きっと今も大事に胸に抱いているんでしょうね。



もう二度と会えぬと思っていた日々を思えば何も寂しくはない
お気楽堂

これは、『もう二度と会えぬと思っていたあの日々よりも寂しい(淋しい)ことはもうなにもない。』という意味の作品なのでしょう。

ここで、作者さんの意図を離れる恐れのあることを承知で、私の「寂しい」「淋しい」の概念から見ると、
「もう二度と会えぬと思っていた日々」は「淋しい」日々だったと思います。
けれど、今、作中主体が抱えているのは、
「もう二度と会えぬ」ということへの「淋しさ」ではなく、
「もう二度と会えぬと思っていた日々」を抱えていた自分への「寂しさ」だと思います。

この作品には、会えぬことの淋しさを越え、それを抱える自分への寂しさを越えるという、2重の脱出があるのではないかなぁ。と私は思います。

ゆっくりと時間をかけ、人はさびしさに耐えうるほどの強さを得るのね。



ひとり野に立つ寂しさがここちよく関わることの重さを思う
林本ひろみ

こちらは、「ひとり野に立つ寂しさ」からうまれるもの、気づくことに思いを馳せた作品です。
ここでは「寂しさ」が「ここちよく関わることの重さ」へと導いています。
はっとしました。

よく、寂しさと嬉しさは対比され、寂しい人間は、単純に、心を埋めようと願い、温まることを欲するけれど、
そのために大切なことを、この作品はぐっと見据えているような気がします。

寂しいことも、ここちよいことも、それだけに満足し、浸り、おぼれてしまわないで。



これらの作品の「寂しい」を「淋しい」と言いかえると、やっぱりなにかイメージが変わる気がします。
このお題。様々な「寂しさ」に触れられてよかったです。

2 コメント

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ありがとうございます (お気楽堂)
2006-11-26 14:41:17
やっぱり読む人に全て任せるのが一番です!
特に私のような浅ーい歌のバヤイ^^;
花夢さんのおかげで、すっごく深い歌になりました。歌になり代わり御礼申し上げます。
(えへっ、ホントはそんなに立派じゃないのでちょっと恥しい……^^;)

とはいえ、お題が寂なのでこうなりましたが、私も淋しいと寂しいの違い分かりません。使い分けは意識した事ないかなぁ、だって違いがわからないので^^;(漢字の雰囲気だけで使うっていうのが正直なところですね。ダメな日本人だ……)

鑑賞、ありがとうございました。
私も追いかけます。
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お気楽堂さん、いらっしゃいませ (花夢)
2006-11-26 15:29:18
書き込みありがとうございます。

すみません。私の「寂しい」「淋しい」のイメージも漢字の雰囲気だけです(^^;
しかも暴走して自論を展開させてしまい、重ねてすみませんです。
最初は、作品のもつイメージをそのまま受け取っていたのですが、いろいろ考えていたらこんなことになってしまいました・・・・(^^;

お気楽堂さんの鑑賞は、雰囲気をとても上手に掴まれるのでとても勉強になります。
自分の感想を書く前に、お気楽堂さんの鑑賞を読んでしまうと、お気楽堂さんの鑑賞にひっぱられる・・・なんてことがよくありました。(^^;
でも、お気楽堂さんの鑑賞を読むと、あーそれっていいよねぇ!と共感したり、わー、そうか!と発見があったり。とても楽しく読ませていただいています。

これからも楽しみにしています。
一緒に走りましょ~♪
よろしくおねがいします
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