花夢

うたうつぶやく

033:鍵のうた

2006年11月30日 | 題詠2006感想

どうしようどうしようもなくてのひらに花 やさしさの鍵がこわれて
飯田篤史

このあふれだす感じはなんだろう。
華やかにあふれだして、どうしようと思ってしまう、
この気持ちはなんだろう。

(恋に似てるな。)

「やさしさの鍵がこわれる」というのは、
私だったら、やさしくなくなる。という意味で使ってしまいそうなんだけど、
ここでは、鍵がこわれたことでやさしさがとめどなく溢れる・・・というような。いっぱいいっぱいまで溢れてる。光。

こういうあふれんばかりのやさしさ。
とまどってしまうほどのやさしさ。
もてあましながらもとどまることのないおもい。

とてもまぶしくて、うらやましくもおもいます。



実らない果実のほうが好き鍵を太陽にかけたから笑おう
ハナ

うん。うん。笑おう。(強く)

女子だなぁ。
この気持ちも。
この気持ちを共有できるのも。

笑い声がきこえる気がする。
蝶々のように舞う女子たちの。

逃げ場をさがした言い訳も、
どうしようもなく自由でいられたことも、
そうだよね、って確認しあった、
私たちという存在も、
ぜんぶぜんぶ、
泡のようで、でも真剣だった。

からっぽのようで、でもそこにはなにかあった。
私たちは、私たちのままでいられた。
だから、笑えたの。うん。



あなたまでゆくのか春の鍵盤に淡い指紋を残したままで
村上きわみ

「あなたまでゆくのか」という言葉がやわらかく重く横たわっていて、また、きわみさんの言葉に呑まれてしまう。

あなたまでゆくのか
あなたまでゆくのか

落胆のようで、
でも、どこか覚悟していたような強さと重さを帯びていて、
どうしようもなくなる。
子供のようには泣けなくなる。

淡い指紋を残したままというのが、
悲しいとか、恨めしいなどという感情よりも先に、
そのひとが確かにそこにいたという、さいごの証として息づいているみたい。

「春」と「淡さ」が、作品を暗くさせなくて。
とてもほのかに、去りゆく人の面影を残し、
たたずむ残されたものの心を、そっと包み込んでいます。



屋上の鍵を盗んでわたしたちこれから( )のはなしをしよう
遠藤しなもん

「( )のはなし」とは、「かっこのはなし」と読めばよいのでしょうか?

内緒話とか、秘密の話とか、二人だけの話とか、
そんなありきたりな言葉ではなく、( )のはなし。
ちょっとわくわくしました。

( )のなかには何が入るんだろう。
どきどき。わくわく。

「屋上の鍵を盗んで」
という、やんちゃなシチュエーションも、好きです。
縛られているものに気づいていて、そっから飛び出したがってる感じ。
これもわくわく。

なににもとらわれない場所で、なににもとらわれないはなしをしよう。



<振り返り>
この辺のお題は難しかったです。消化試合のような気分が強い期間。
広がりのある単語は、その広がりとどう向き合えばいいのかわからずに逃げ、広がらない単語は、広がらないために自分の限界と思いのみこんでいた・・・そんな時期だった気がします。

10 コメント

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鍵。 (飯田篤史)
2006-11-30 01:26:06


花夢さん こんばんは。

いつも取り上げてくださって
ありがとうございます。

ピックアップするだけじゃなくて
ていねいに読まれるというのは
とてもうれしいし、勉強になります。

うたは読むことで、ドラマになる。
というようなことを
たしか花夢さんがおっしゃって
いたような気がします。

今回の題詠100首で、ぼくは
この『鍵』のうたを書いたときに
「やっと書けた」と思いました。
それまで題に振り回されていたような
気がします。

なんというか、それまでは借り物の題
だったものが、この『鍵』のとき
はじめて「これが書きたい」という感じで
書いていた気がします。


村上きわみさんのうた。
ぼくもきわみさんのうた、大好きで
歌集『fish』のころからずっと
ファンです。どうやったら
こんなうたが書けるんだろう。って
きわみさんのこころのみずうみに降る
雪のことを、いつもうたを読むたびに思います。

返信する
ありがとうございます。 (花夢)
2006-11-30 22:55:53
鍵は、わーどうしよう、と思ってしまう作品ばかりでとてもしあわせでした。
ありがとうございました。

うたを読むことでドラマになる。
とは、以前、私のブログにて、きじとら猫さんが言ってくださった言葉です。
http://blog.goo.ne.jp/hana_yume/e/b8705d52143065d7592c960957e91655

私は、けっこう、勝手に想像を膨らませて暴走してしまっていることが多いです。ごめんなさい。
作者さんの意図とまったく違うところでドラマを作ってしまっていても、それはなんだかダメですしね。
少しでも、近づけていればいいけれど・・・
なんて願いながら、自分の感じたことを書いています。

なので、こうしてコメントをいただけることは、とてもうれしいです。
ありがとうございます。

飯田さん自身が「やっと書けた」と思えた作品をキャッチできたこと、私も嬉しいです。やった!って感じです。

村上きわみさんの言葉は、ほんとうに。
とても美しく磨かれていて、静かで重くてやわらかくて。
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題のない題詠。 (飯田篤史)
2006-12-01 01:07:56


花夢さん こんばんは。

そうだ。きじとら猫さんでしたね。

「短歌って詠み手と読み手が一緒につくるんだ」
って、きじとら猫さんの言うとおりだと
思います。

読むときに、作者が伝えたかったことに
すこしでも寄り添えるような、
そういう読みができたらいいなと
いつも思っています。

ぼくのうたの読みだけではなくて、
花夢さんが取り上げているみんなの
うた、うたの読みを読んでいると、
花夢さんの人柄が伝わってくるようです。

ぼくは、今回の題詠100首を
2周したんだけれど、2周目の
『鍵』のうたは、こういううたでした。


しんしんとかなしむようにてのひらはゆき 鍵としてうまれたならば


鍵ということばは、何かぼくのこころの
底のほうにあるものにふれてくるようです。


題詠は題なんだけれど、題がないときに
どんなうたをつくるか。というと
ぼくたちはもしかしたら永遠の題詠を
しているのかもしれませんね。
題のない題詠をしているのかもしれません。


こっそり告白してしまいますが、
花夢さんの去年までの題詠を
すこしずつ埋めていくホームページの
うた、こっそりたのしみに見ています。

返信する
お返事おくれました (花夢)
2006-12-03 01:03:15
飯田さん、こんばんは。
私にとって鍵はとても難しいお題でした。
でも、もっと向き合えばよかったな。と皆さんの作品を見て、今更ながらに感じています。

私は今回、題詠というものがほぼ初めてで、自分のホームページでやってたあれくらいしか詠んだことがなかったので、題を詠みこむことの難しさと、それによる自由詠とは違う効果を知りました。
(どちらかというと無我夢中で駆けた感じですが)

ただ、題詠も詠んでいくうちに、行き着く場所は自由詠と同じだな。とも感じました。
自分のなかの、なぞられたい場所へと。

ホームページのほう、気にしてくださってありがとうございます。
う。脱皮を試みる途中で途方に暮れていたふしがありました。(あのページ。実は更新のたびに消えていっている短歌のほうが多いです。)
しかし、今回の題詠100首blogは完全に自分の殻内で詠んでいた気がします。
うーむ。また少しづつもぞもぞ動いてみようかしら。
ありがとうございます。

ピアノ、聴かせていただきました。
ひらがなと、やさしさと、さみしさとが織り交ざった、飯田さんの短歌のもつ空気と同じように思え、あー飯田さんだー。と思いました。
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題のちから。 (飯田篤史)
2006-12-03 02:16:19
花夢さん こんばんは。

題詠もふつうにつくってるときの短歌も
行き着くところは同じだなって
ぼくも思います。

自分の思っていることや
感じていることしか
どうやっても書けないなあ。って。

今回は、ぼくはやたらと
さみしいやさしいを連呼してしまって
自分の殻のなかでもがいていたんだけれど、
反省もしながら、そうするしかなかったんだ。
とも思っています。

つらい苦しい気持ちは、ことばにすると
それだけでかっこよく決まってしまうから
そんなお手軽なうたは、できれば書きたくないと
思っているのに、題詠で出てきてしまった
ぼくのこころは、はからずも
さみしいやさしいというこころでした。

なんでぼくはそんなにさみしいんだろう。
って題詠を終えてから、ずっと考えています。


さみしいって書くのは、とても簡単だし、
それだけでサマになります。

むずかしいのは、あかるくてうれしくて
たのしくてしあわせな気持ちを書くことだと
ぼくも思っています。




題詠の題は、ふだん自由に短歌を
書いているときには使わない(使えない)
言葉もあって、自分には自分の書けるようにしか
書けないんだけれど、自分の枠を
内側からも外側からも押し広げてくれる力が
ありますよね。

その力に振り回されちゃうか、
力をコントロールできるかって
ぼくも100の題をこなすのは
初めてだったので、振り回されちゃったところも
かなりあるんだけれど、うん。
もし、来年も題詠100首の企画が
あったら、今度は、1題1題、
一歩一歩自分の気持ちを確かめるように
ゆっくり歩いてみたいです。


ピアノ、聴いてくださってありがとう。
いつか花夢さんに、CDと歌集をお渡しできたら
いいなと思います。
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雪が降りそう(な気がする) (花夢)
2006-12-03 16:03:54
晴れ間は見えていますが、パラパラと雨みたいなのがときどき落ちています。
雪になるんじゃないかと、こころが言っています。この冬、はじめての雪に。
風が冷たいです。
寒いですが、風邪をひかないよう、お体に気をつけて。

今回の題詠では、
五十嵐さんの開いてくださったお茶会や、さまざまな人から頂いた感想により、私自身が、曖昧に抱いていた感情を、形にして感じることができた気がします。
ひとりでこねこね考えていたものを出し、他の方から光を当てていただくことで、自分が感じていた形がクリアになったり、見えていない部分があらわになったり・・・あぁ、自分が抱えているものは、こういうふうにも思えるんだ。と感じることもあったりして、そう思えることが嬉しくもありました。

私にとっての創作は、もともと、曖昧に抱いていた感情を形にする・・・というところから始まっているのですが、それが私一人だけの視点を抜け出したときに、どうなるのだろう。という勉強にもなりました。
一人ではできないこと。という意味でも、題詠に参加してよかったと思っています。
また、私の作品にかかわってくださった方々にはほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです。

でも、ほんと、私も題に振り回されっぱなしだったなぁ。
題詠が終わり、時間が少し経った今、ようやく、それに気づきだしました。(笑)
皆さんの作品を読んでいると、言葉を掬い取る力に圧倒されます。
自分の完走前にこの感想を始めていたら、きっと自分が走れなくなっていたなー。としみじみ思っています。(苦笑)

いつか飯田さんのCDと歌集を手に取ることができる日、夢みています。
その時までには、私もなにか形にして見せられるものができているといいなぁ。
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はじめまして (遠藤しなもん)
2006-12-03 22:06:44
花夢さん、こんにちは。はじめまして♪
私の歌を見つけてくださってありがとうございます。

これから()の話をしよう。
暗い歌ばかり詠んでしまいがちな私の歌の中での、数少ない明るい歌でございました。
詠み方は「カッコのはなし」でいいと思います……って、実はあんまり考えてなかったですけど。(苦笑)

私も、お題については、悩んでばっかりでした。
例えば「鍵」だったら、「カギカギカギカギ……」って、普段そんなに考えない「カギ」の姿を思い浮かべて、もうまるでカギに恋してるかのようでした。
みんなの歌を読んで、「こう来たかぁ!」と唸ってみたり。それはお題があってからこそのことですから、面白いですよね。

花夢さんの歌、どれもとても素敵です。
屋上でひそひそ話をするみたいに、
これからもたくさんの歌を作っていけたら素敵ですよね。
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ありがとうございます。 (花夢)
2006-12-03 23:39:01
遠藤しなもんさん、書き込みありがとうございます。
可愛いお名前ですねぇ。ひらがななのが可愛いです。

いいですね。( )のはなし。
制服の少女たちの独自のルール。私たちだけの言葉。という感じがして好きです。

お題は支配されますよねー。
でも、お題を主役にするより脇役に持っていったほうがうまくいったりとか、100首走るうちにいろいろと学びました。

そうですね。この題詠をひとつの通過点として、また新しいものを書いていきたいですね。
キラキラと輝く時間を思わせる言葉を貸していただきありがとうございました。
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ゆきが降ったら。 (飯田篤史)
2006-12-04 20:37:53


ゆきが降ったら
ジュースをかけて
ゆき、食べるとおいしいです。

寒くなって来ましたね。
花夢さんも風邪に気をつけてくださいね。

ストーブのゆれるほのおの美しさに
みとれてしまいます。

海と雲とあたたかい火は
いつまででも見つめていたいです。

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ゆき、降らなかったー。 (花夢)
2006-12-04 23:56:47
お気遣いありがとうございます。

実は、寒いのが大大大大大キライです。
でも、寒いだけで雪が降らないのはもっと許せない。
今年はそんな気分です。
(でもいっぱい降るとつらいから、ちょっとだけ、見たい。降る、雪。)
そんな自分勝手な12月です。

飯田さんは、大きな変化ではなく、絶え間なく微妙に変化し続けるものが好きなのかなーと思いました。
今年が終わりますが、飯田さんは果たしてマナカナを見分けられるようになったのか気になる12月です。
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