3月12日
大阪2日目の朝、もう一度あづみちゃんと会うべく産院へ出かけました。
土曜日で息子と真っ先に”ノロ感染”から立ち直った遼君が私達を迎えに来てくれました。
「姉ねえはまだ気分が悪いし、おじいちゃんはまだお熱があるって・・・。遼はもう大丈夫!」
あおちゃんやあちらのご両親に会えないのは残念だけど、遼君とママとあづみちゃんに
会えてよかった!!
「ママもこれから大変だから遼君もおりこうさんにして手伝ってあげてね。お約束のミニカー
お土産に持って来たよ。」 「やった~」
遼くんは、車の中で時々目が会うとニコっと笑顔を見せてくれて、お互い手を取り合って私達4人で
あづみちゃんとママに 久々に面会に行きました。
スヤスヤと休んでいたあづみちゃんですが、急に部屋が賑やかになったのを察知したようにまぶしそうに目を
開けました。変わるがわるあやしたりだっこさせてもらったりあっという間に時が過ぎていきます。
遼くんは早ばやとママのベットに乗っかってミニカーと遊び始めました。
覚えたての名前「あづみちゃ~ん」と呼んでいます。お兄ちゃんらしくなったように感じました。
ママは3人目の貫録でしょうか? ゆったりと落ち着いてこれから3人の子育てをじっくりやってゆこうという
気迫とゆとりさえ感じさせてくれました。 あづみちゃん、すくすくと育って欲しいと祈るばかりです。
短い逢瀬、あおちゃんも一緒だったらと思うととても残念でしたが、大阪を後にしました。
東京に向かうにつれ、地震災害の事が大きく頭の中をよぎりました。東海道新幹線は平常通り、横浜線も
普通列車は、まだ少しの間引き運転位で夕刻無事家に着きました。
家の中は本棚の本が少し散乱していたのと、棚の前面に置いてあったものが落下していた、
引き出しが開いている部屋があった、植木鉢が一鉢ひっくりかえっていたくらいで助かりました。
それからは、被災地の目を覆うばかりの惨状が日々伝えられています。
義弟の住む茨城は、加え 原発のことも気になります。
今、私達はガソリンが不足で全部歩きで買出し、スーパーは品薄だけど被災地に行っているなら・・・
とある品で少し買う、計画停電1日3時間がある日、ない日があり洗濯、炊事など時間を考える。
乾電池が余りないので、余震の恐れあるものの手持ちのローソクを使う、ラジオ、水の準備・・・
等など暫くつづくこの状態を考えながら過ごしています。電力を使う電車の通勤の方は運転見合わせで
大変御苦労ですが、この辺で過ごしている私達はそれ位で何とか暮らしています。