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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

安倍政権がめざす「日本」

2014-01-12 08:33:05 | 読書
 北朝鮮の国家体制は、強い非難にさらされている。あの国に生まれなくてよかった、と多くの日本人は思っていることだろう。だがボクは、北朝鮮の国家が、1930年代を経て完成した戦前の日本国家(「超国家主義」)の姿と相似形に見えて仕方がない。

 その戦前の日本国家のようにしたい、と考えているのが安倍政権だ。「日本を取りもどす」ということばの「日本」は、戦時体制下の日本である。

 ボクは、丸山真男の「超国家主義の論理と心理」を読んだ。この文は何度か読んでいる。『増補版現代政治の思想と行動』(未来社)に収載されている論文で、1945年の敗戦によって崩壊した日本国家、これは安倍が目指している国家でもあるが、それを分析したものだ。ボクの持っている本は1973年の59刷。今はおそらく100刷を超えているのではないか。丸山の代表的な本である。

 ボクは、維新によって創作された近代天皇制国家の基本原理である記紀神話、それが強調される時代は「危険」な時代であることを立証しようとして、丸山を読みはじめているのだが・・。

 さて「超国家主義の論理と心理」を読んでいて、やはり現在の政治状況との相似を感じざるを得なかった。

 近代国家は、基本的には「中性国家」として、「思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保障され」る、つまり国家は「思想信仰道徳」に干渉しないというのが原則なのである。だが、近代日本国家は天皇制を導入することによって「権力と権威」が一体化し、そうした「私事」(何が「真善美」であるのか)を国家が決定する、「何が国家のためかという内容的な決定をば「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ」(官吏服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下す」こととなり、「我が国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことが未だ嘗てない」ということになる。

 日本国憲法により、天皇は政治的実権をもたない存在とはなったが、しかし「支配層の日常的モラルを規定しているのものが抽象的法意識でも内面的な罪の意識でも、民衆の公僕観念でもなく、このような具体的感覚的な天皇への親近感である結果は、そこに自己の利益を天皇のそれと同一化し、自己の反対者を直ちに天皇に対する侵害者と看做す傾向が自ずから胚胎する」、そうした思考は「一切の特権層のなかに脈々と流れている」。

 そのような思考は、自民党の憲法草案に明確に記されている。

 道徳を教科として導入する、記紀神話を中心とした戦前の国定教科書まがいの国家主義的教科書が文部科学省や教育委員会の後援を得て各学校で使用されるようになるなど、今また「私事」や「学ぶ内容」を国家が決定して、それを子どもたちに押しつけようとする、そういう状況がある。

 「戦後」は、強引に消されようとしている。安倍政権は、その速度をあげている。

 現代日本は、再びガラパゴス化しようとしている。


寂聴さんの危惧

2014-01-11 12:23:37 | 日記
『朝日新聞』記事。会員でないと、全文は読めないが、しかし前半だけでも、瀬戸内さんがもつ危惧は理解できる。
 昨日、丸山真男に関連して、今は「戦後」ではなくて、「戦間期」ではないかと記したが、その時代つまり1930年代を知っている人々が、現在がその時代の雰囲気と似ていると言い出している。そういうことばに敏感にならなければならないのではないかと思う。

秘密法反対「残りわずかな命を捧げる」 瀬戸内寂聴さん

2014年1月11日04時02分

 年内に施行される特定秘密保護法に対し、作家の瀬戸内寂聴さん(91)が「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」と批判の声を上げた。10日、朝日新聞のインタビューに答え、自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている。

 表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。

 首相が集団的自衛権の行使容認に意欲を見せ、自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。

 戦争に行く人の家族は、表向きかもしれませんが、みんな「うちもやっと、お国のために尽くせる」と喜んでいました。私の家は男がいなかったので、恥ずかしかったぐらいでした。それは、教育によって思い込まされていたからです。

 そのうえ、実際は負け戦だったのに、国民には「勝った」とウソが知らされ、本当の情報は隠されていました。ウソの情報をみんなが信じ、提灯(ちょうちん)行列で戦勝を祝っていたのです。

 徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。

http://www.asahi.com/articles/ASG1B76MLG1BPTIL03S.html

「戦間期」

2014-01-10 17:24:00 | 読書
 日本の政治思想史を学ぶ場合、丸山真男を読まなければまったく先には進めない。4月からの講座のために、ずっと昔読んだ本を書庫から運び出しては眺めている。

 そのなかで、苅部直『丸山真男ーリベラリストの肖像』(岩波新書)を読みはじめた。この本は2006年に出版されたもので、読むのは2回目。丸山真男を読む前に彼の人となりをもう一度確認しておこうと思って読みはじめた。

 丸山は、1914年生まれ、1996年に亡くなった。日本が戦争へと向かう時期に学生時代を経て学者になっている。そのプロセスを本書は書いているのだが、丸山は治安維持法違反で検挙されたことがある。1933年4月のことである。彼はただ唯物論研究会の創立第2回公開講演会に、長谷川如是閑の講演を聴きに行っただけ。それだけで捕まり、留置場に入れられた。1930年代というのは、そういう時代だ。

 丸山はこの経験によって、「精神の内側に無限に踏み込んで行く日本国家権力の性格」を知る。そして戦後、こう語っている。

 私は、ぬくぬくした今日の環境の中で、戦後の民主主義などは空虚なイデオロギーだとか、平和憲法なんてたわごとだとかいう、いかにもわけしりの口調をマスコミで言う人を見ると、正直のところ、いい気なもんだなあと思いますが、それにしても、戦後民主主義や日本国憲法への疑問や懐疑が出されることそれ自体は大変結構なことだと思います。もしかりに、皆さんが、戦前に、大日本帝国憲法なんて虚妄だというようなことを公然口にしたらどういうことになるでしょうか。皆さんはただちにつかまるだけではありません。おそらく一生涯、どこでなにをしていようと、国家権力によって、見えないところから皆さんの一挙手一投足をじっと監視される身になることを覚悟しなければならないでしょう

 丸山は、まさにずっと監視され続け、そして兵役にも行かされた。

 丸山は警察の留置場で拷問により苦悶の声をあげる人々を知る、そして留置場から釈放される。その時丸山は「バナナ屋は相変わらず、バナナを人々の前にぶらさげてたたき売り、ゴモク屋の前には人だかりがしてみな言葉なく、ゴハンの「問題」をみつめている。そうして、本富士署の壁一つ隔てたあのなかでは、すさまじい拷問がいま行われているのだ」として、その落差を深く深く感じ取る。

 苅部は、その丸山の体験を「平和な世界の裏側に、反体制分子を巧みに排除していく、権力のはたらきが蠢いていることを知ってしまった者にとっては、そのうららかな空気が、むしろ不気味な窒息感をもっとまとわりついてくる」と記す。

 そして「多くの庶民が政府による宣伝を信じこみ、足なみをそろえて自由な発言を封殺する」(64頁)状況が、丸山を取り巻く。

 「誰もが「國體」の神話を本気で信じていたわけではないとしても、それに対する批判を許さない空気が、社会をおおってゆく」(69頁)のである。

 1930年代の戦争へと進んでいく時代状況の中で、丸山が感じたことを、ボクは今同じように感じている。1930年代と相似形の様相が、今存在している。「戦間期」!!

公安警察、大喜び

2014-01-10 07:19:28 | 政治
  特定秘密保護法も省益がからむ。この『東京新聞』記事にも見られるように、最大の利益を得るのが警察庁、そのなかでも公安警察だろう。社会運動が激減している中、公安警察の出番が少なくなっている。しかしこの法の成立で、俄然活躍の場が出来た。

 おそらく調査対象は、無限に拡大していくことだろう。一人一人の個人情報が公安警察に集められる。自分は関係ない、という時代ではなくなっている。今はコンピュータがあり、莫大な情報をストックすることが出来、瞬時に検索できる。


秘密法「適性評価」身辺調査 警察権限拡大に懸念
2014年1月9日

 機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法に基づき、保護する特定秘密を扱える人物かどうか身辺を調べる「適性評価」は、警察庁など公安当局が実施主体となる。対象者は、府省庁職員や防衛関連企業の社員ら数万人単位に上ると推定される。公安当局による個人情報の収集が強化され、警察官僚の権限肥大化やプライバシー侵害を招く懸念が指摘されている。

 適性評価の運用基準は、有識者でつくる「情報保全諮問会議」の意見を首相が聴き、法施行までに策定する。ただ政府は対象者数や調査方法の詳細を明らかにしておらず、恣意(しい)的に運用される可能性が拭えない。

 政府はこれまでの国会審議などで、現在、特定秘密と同じレベルの機密を扱っている公務員は約六万四千五百人、企業社員は約三千三百人と説明。特定秘密に触れる可能性がある都道府県警の職員は約二万九千人と推計する。

 合算すれば十万人規模となるが、政府は「もっと絞り込む」(官邸筋)としており、法成立から約一カ月が過ぎた現在も対象者数すら不透明な状態が続く。

 秘密保護法は、閣僚ら行政機関の長が適性評価を行うと規定。評価のための情報を集めるのは警察庁や公安調査庁が中心になる見通しだ。

 (1)精神疾患の有無(2)借金など経済状況(3)飲酒の節度-など七項目にわたる個人情報を収集する権限が与えられるため、府省庁は公安当局の権限拡大を警戒している。


カネとウソ

2014-01-10 06:53:25 | 政治
 原発の再稼働を、ひたすら追求する電力会社。原発の立地自治体も、再稼働や新設を求める。日本人のあさましさを感じる。

 昨日の『中日新聞』は、中部電力浜岡原発が立地する浜岡町、現在は合併して御前崎市になっているが、そこでは多額のお金がばらまかれていた。原発立地自治体などに支払われる政府からのカネ以外に、電力会社から不明朗な多額のカネが投入されていた。これらの原資は、中部電力の電力供給地域の電気代だ。電気代の一部、とはいっても多額のカネが旧浜岡町に投下されていた。旧浜岡町にとっては、原発万歳だ。安全よりカネ、という醜い姿がある。『中日新聞』が原発ゼロを打ち出しているため、旧浜岡町などでは『中日新聞』購読者が減っているという。

 さて昨日の記事では、2004年の合併直前、何と35億円というカネを旧浜岡町の各地区に分配したというのだ。一人あたり15万円というカネがばらまかれた。

 ある地区の2011年度決算では、3億円を国債、1億円を定期預金で運用し、340万円の利子を得ている。そして支出は2670万円。それらは地区役員の手当や研修旅行代、会議費などに費消されたという。しかしほとんど使途は不明である。

 原発マネーが、旧浜岡町では住民のふところを暖めている。だから危険であろうと何であろうと、立地地域の住民にとっては、カネがなる木、原発は必要なのだ。カネで買われる住民のこころ。今さえよければ・・・

 どこの原発立地地域においても、こうしたカネがばらまかれていることだろう。

 そしてウソ。今日の『中日新聞』の「特報」欄には、鹿児島県の川内原発のことが記されている。川内原発は九州電力。この会社はウソをばらまいている。活断層の存在やもし地震が起きた場合の震度についても、政府ですら「ひどい」というほどのウソをつく。川内原発建設予定地の地盤調査では、サンプルのすりかえも行われたという。

 何という会社だ。いずれにしても、原発にはカネと、こうしたウソがまかり通る。

 原発、どす黒い利権や汚いカネの流れ、そしてウソ。日本人の精神を荒廃させる原発。。

消えた「不戦の誓い」

2014-01-09 10:36:15 | 政治
 自民党は「戦う」気持ちだ。現在を「戦間期」と表現することが多くなった。なぜなら安倍政権は、戦争を行う態勢づくりに躍起になっているからだ。

 このままでは、自衛隊員が戦闘を行うことが、必ずでてくる。戦争とは破壊と殺人である。自衛隊にそういうことをさせてよいのかが問われる時となった。

 以下は『日経新聞』記事。


自民、靖国巡り「不戦の誓い」削除 運動方針最終案

2014/1/8 19:23

 自民党は8日、2014年の運動方針の最終案を発表した。靖国神社について「参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠をささげ、恒久平和への決意を新たにする」と明記した。例年とほぼ同じ内容。原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現は削除した。党内で「不戦の誓いをする所ではない」などと反発が出たため。首相は参拝後、記者団に「不戦の誓いをした」と発言。政府は米側に同様の説明をしている。

 運動方針は、憲法改正の機運を高めるため「全国で対話集会を行う」とした。機密を漏洩した公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法では「国民の理解を得るため、必要性を丁寧に説明していく」と明記した。


選挙制度

2014-01-09 09:21:32 | 読書
 今月号の『世界』は、小選挙区制度に焦点をあてている。当然である。この制度が導入を前提にして出現したときから、小選挙区制度は、民意をそぎ落とし、保守的な政治勢力が政権を運営する方向にならざるを得ないということは指摘されていたのである。従って、今更小選挙区制度は・・・という議論がおこなわれても、大きな問題をはらむ選挙制度であることはすでにわかっていたはずだ。

 そこでもう一度、山口論文から引用する。

 政治の学問的観察をもとに、実践的、規範的な提言をするとき、政治という活動は単純化される。・・・問題は、単純化という知的作業に伴う制約や限界を自覚するかどうかである。その点を顧みれば、私自身の議論も含めて、単純化に対する懼れを持たず、「こうして、こうすりゃ、こうなる」という安直な議論が多かったような気がする。

 おそらく山口二郎は反省しているのだろう。だがボクは彼を信用できない。なぜか。彼の議論は、この論文では最初に「社会科学としての政治学」について論じてはいるのだが、「社会科学」とはまったくいえないような、きわめて主観的なものであったということができる。彼は、政権交代をさせるべきだ、そのためには小選挙区導入という「政治改革」が必要だと説いた。きわめて「単純化」した議論であった。「制約や限界を自覚」するどころか、小選挙区制に対する批判を無視したのである。そしてその結果彼は「幻滅」した。
 ボクは彼の議論は致命的な欠陥を持っていると思う。つまり極めて主観的だということだ。「社会科学としての政治学」を論じる資格はない「学者」であるということだ。それはこの論文にも見て取れる。

 多くの批判的な言説を無視し、みずからの願望を「単純化」して小選挙区制導入の旗振り役をし、今度は安倍政権が誕生して悪政の限りをつくしていると知ったときに「幻滅」を公表する。そして「絶対に譲れない政治的価値について考えることこそ、政治学の課題である」と、今度は非実践的な思考に陥る。

 『世界』今月号には、他の学者の論文が掲載されている。中北浩爾、中野晃一両氏の議論は具体的で、また本質的な議論を行っている。山口は、こうした論文を読み、学ぶべきである。中野論文には、イギリスの小選挙区制の実態が具体的に記されているが、山口もイギリス政治を研究してたはずだ。

 中野は、こう記している。

 イギリスの場合、戦後を通してこんにちに至るまで18回総選挙があったなかで、第一党が過半数の議席を獲得できなかったことは2回だけで、残り16回は過半数の議席を制しているが、実際には第一党が有効投票の過半数を得票したことはただの一度もない。

 つまり民意をそぎ落とす選挙制度のおかげで、得票率が少なくても第一党が多数の議席を獲得し、政権を維持することができたのである。山口はそういう選挙制度であることを知っていながら推進したのであり、その結果が自らの意に沿わないと「幻滅」する。果たしてこれが学者の議論と言えるのか。

 今、『世界』が、山口にこうした主観的な論文を書かせていることに疑問をもつ。山口も
少しは謙虚におのれの議論を反省してみたらいかがか。山口の論文より、中北、中野の論文が何倍も有益である。

絶望の淵から

2014-01-08 22:27:34 | 政治
 今月号の『世界』、政治学者の山口二郎が「政治学は政治を守れるか?ー期待と幻滅のバランスをどう取るか」を書いている。

 山口は、1990年代、政治改革という小選挙区制導入の旗振り役だった。彼はとにかく政権交代をさせたい、そのためには小選挙区制を導入したいということをしきりに説いていた。

 民主党政権ができたとき、彼は自らの活躍時であると認識していたことだろう。ところが民主党政権があっという間に瓦解してしまった。そして圧倒的な自民党・公明党による旧来の政権が出来、さらにそのなかでも最悪の安倍政権が出来てしまった。彼は現状の政治地図に「幻滅」をしている。

 彼はその「幻滅」に至ったことを「自ら検証しなければならない」と書く。彼はよほど「幻滅」をしている。「ビジョンや理念を提起することを止める必要はないが、政治には幻滅が不可避であることを理解しておく必要がある」と書くからだ。彼はその「幻滅」を予測できなかった。かわいそうな学者だ。

 小選挙区制導入の結果いかなる状況が生まれるか、本当は予想できた。小選挙区制が導入されれば、死票が大量にでることによって(つまり民意を強制的にそぎ落とすことによって)、二大政党のどちらかが政権を担うようになること、ということは中小の政党は淘汰されていくこと、小選挙区制であるから二大政党の候補者の政策はあまり変わらないものになり二大政党はいずれ保守の二大政党となっていくことなど。したがって、鳩山民主党政権が管民主党政権となり、さらに野田民主党政権となっていくにつれ、自民党とほとんど変わらない政策をするようになることは当然予想されたことだ。民主党政権であっても、いずれは山口が「幻滅」する政治を展開するようになることは予想できたのであり、それが野田政権で実証されたのだ。

 だからボクは小選挙区制が導入されたとき、「幻滅」した。山口よりはるかに早く「幻滅」を感じたのである。

 中選挙区制であっても政権交代は可能であることは、細川政権の誕生で証明されたはずなのに、その細川政権が、民主主義を破壊し、憲法改悪を可能とする小選挙区制度を導入した。その結果が、現在の安倍政権である。

 ボクは、山口がいかに「幻滅」しようとも、ボクは「あなたは現在の政治状況をつくりあげた戦犯です」と静かに言ってあげたい。つまりあなたの「幻滅」は、あなたがみずから招いたのだ、と。

 こういう結果を導いた「戦犯」たる山口は、この文の末尾にこう記す。

 政権交代への幻滅から、かつて政治の可能性に期待した人々が復古主義的な安倍政権による戦後民主体制の破壊を傍観する現状において、長い時間軸の中で絶対に譲れない政治的価値について考えることこそ、今の政治学の課題である。

 小選挙区制が「壊憲」を可能にさせる選挙制度となることは、十分に予想できたことであり、「絶対に譲れない政治的価値」、それを山口はどのようなものと考えているかはわからないが、もしそれが基本的人権の尊重、国民主権、平和主義という日本国憲法の憲法的価値であるのなら、「考える」なんていう悠長なことを言ってないで、改憲阻止を主張すべきではないか。小選挙区制度は、「絶対的に譲れない政治的価値」すら破壊する可能性をもつ制度であったことを、あなたは十二分に悔やむべきである。


利権財政

2014-01-08 19:30:28 | 政治
 これは『中日新聞』社説。一応載せる。読んで考えて欲しい。

 日本の財政支出は、基本的に利権とつながっている。財政再建がなぜできないか、政治家は選挙で世話になった土建屋や企業、官僚は天下り先、それらのためにせっせと国費を投入する。

 消費税の増税。社会保障のためだなんていっているが、それはウソ。安倍政権になって、社会保障はどんどん削られている。増税をみこして増える歳入を、どのように利権でつながった相手に割り振るか、それこそが政治家や官僚や大企業の関心事項だ。政財官のトライアングルが、財政赤字解消を叫びながら、国民負担だけ強化し、財界には税金をまけてあげたり、補助金を積んだりして至れり尽くせりの対応。

 国民は、政府と、政府発表をそのまま報道するメディアからのニュースを信じて、予算案の中身がある程度わかってきていても、社会保障がどんどん削られてきても、「消費税の増税は社会保障のため」だなんて、「理解」ある発言をしている。

 僕から言わせれば、はっきりって「アホじゃなかろうか」だ。


年のはじめに考える 財政再建はなぜできぬ
2014年1月8日

 いよいよ三カ月後に消費税増税が待ち受けます。暮れの膨張した政府予算案をみると、いくら増税しても財政再建は実現しないのではと不安が募ります。

 予算は政治そのものといわれます。やや難解ですが、予算とは限られた資源の分配をめぐる政治的な調整にほかならないからです。どういうことでしょうか。

 身近な町内会で考えてみます。収入は町内会費や住民の寄付金、支出はお祭りや慶弔ごと、寄り合い所の備品購入などでしょうか。

◆業界団体への高配当
 高度成長期やバブル期であれば、住民は増え、寄付も多く、町内会費は潤沢です。祭礼でお神酒を大盤振る舞いし、寄り合い所に大型テレビを購入、慶弔費だって弾んでいいかもしれない。その差配はさほど難しくないでしょう。

 ところが時代は変わり、人口減と低成長時代です。住民は減り、不況で寄付も集まらなかったら、どうでしょうか。限られた町内会費だから支出は厳しく査定する。よく話し合い、説得や妥協を重ねて優先順位をつける。場合によっては町内会費の値上げも必要かもしれない。こうした分配をめぐる一連の政治的な調整作業こそが予算の本質です。

 話は戻り、過去最大の九十六兆円(一般会計総額)に膨張した政府予算案の問題は何でしょうか。それは低成長・少子高齢化時代にもかかわらず高度成長期のようなバラマキ型分配を続けていること、分配先が選挙で自民党を支援した業界団体への手厚い配当(公共事業、農業、診療報酬など)や安倍晋三首相肝いりの防衛費に向けられている。増大する社会保障費で余裕などないのに。

 こんな予算をいつまでも続けられるはずはありません。国と地方の借金残高は一千兆円を超え、政府の利払い費だけで年間十兆円に上ります。しかもこれは日銀が異次元の金融緩和で人為的に金利を抑え込んだおかげで低い額で済んでいるといえます。

◆予算制度に問題あり
 しかし、政府が財政再建に本腰を入れずに日銀の人為的な金利抑制策に頼り続けていては、いずれこの国の財政を見限って、おカネが海外に逃げて行きかねません。市場の番人である日銀が市場を大きくゆがめている「危うさ」も忘れてはならないでしょう。

 アベノミクスには「手本」ともいえる政策があります。昭和初期、大恐慌時のデフレを収束させた大蔵大臣、高橋是清による「高橋財政」といわれる一連のリフレ政策です。金本位制から離脱して通貨発行量を無制限に増やす大胆な金融緩和、禁じ手とされる日銀の国債引き受けを利用した積極財政。アベノミクスの第一、第二の矢とそっくりです。

 高橋は日本経済を回復軌道に乗せましたが、出口戦略に取り掛かった途上で非業の最期を遂げます。健全財政に舵(かじ)を切り、軍事費を削減しようとして軍の恨みを買い、二・二六事件の凶弾に倒れたのです。安倍政権の行く末を案じるつもりはありません。言いたいのは、異次元の政策をやれば、避けては通れない困難な「出口」が待っているという教訓です。アベノミクスが正念場を迎える日はそう遠くありません。

 では、これまで財政再建がなぜ実現できなかったのでしょうか。「財政再建に失敗している根源的な問題は予算制度にある。それを放置してきた政治家や官僚、さらには国民も」というのは大蔵省(現・財務省)出身で各国の財政に詳しい田中秀明・明治大学公共政策大学院教授です。

 実は日本は一九九〇年時点では先進七カ国(G7)の中で財政の健全性は最上位でした。しかし、バブル崩壊を経て二〇〇〇年には最下位に転落。一方、九〇年代に予算制度改革に着手した欧米諸国は劇的に財政赤字を減らしました。国の取り組みによって財政再建の成否は分かれたのです。

 田中教授によれば、そもそも日本の財政法には目的規定すらなく、また財政再建の道標となる「中期財政計画」をつくっても単なる見通しでしかない。財政法を財政責任法に改め、そのときの政権が財政目標を定め、達成状況を定期的に検証することを義務づけるべきだといいます。

 過去に財政危機を経験したスウェーデンや豪州、韓国、さらに先進各国にならって予算制度の改革が必要と主張します。

◆問題解決への第一歩
 財務省の予算の説明資料は専門家がみてもよくわからないといいます。そうはいっても財政が厳しさを増す少子高齢化は待ってくれません。危機が顕在化して辛苦を味わうのは国民です。難しくても関心を持ち、政治家や官僚が危機感を抱くよう監視していくことが問題解決の後押しになります。

840円

2014-01-08 16:42:47 | 読書
 今日発売の『世界』2月号を買いに行った。悪税込みで840円である。悪税部分を除き、『世界』は読むべきである。ボクはこの種の本は『週刊金曜日』も購読しているが、日々の新聞報道以外から時事的な情報を得ることは、主権者としてとても重要なことだ。

 今月号の特集は、「空洞化する民主主義」である。最近の社会状況を見ると、日本は空洞化する民主主義が、そもそも存在していたのかという疑問を持つ、こうした少しひねくれた考えを持つ自分を発見してしまう。

 さて今月号、すべてを読んだわけではないが、民主党参議院議員の福山哲郎が書いた「そのとき国会で何が起こったか」に注目したい。

 どこの組織や機関でもそうだが、その運営の仕方は、慣例に則って行われる。どういう結果になろうとも、慣例となった手続きは、その組織や機関に参加している者にとって当然の前提として承認されている。もちろんその手続きは、参加者が合意に至れば改変してもかまわないのだが、多かれ少なかれ手続きは慣例化しているものだ。

 この文を読んで驚いたのは、特定秘密保護法を成立させるために、ボクらの前に示されたのは、委員会や衆議院本会議での強行採決であり、洩れ伝えられる自民党・公明党の強引な運営であった。

 この文で明らかにされているのは、特定秘密保護法に関して、自民党・公明党は、参議院のほとんどの慣例を無視して強引に成立に向けてばく進したという事実だ。とにかく異例尽くめであったようだ。ボクはこれを読んでいて、まさに自民党・公明党による議会制民主主義を踏みにじる独裁政権が安倍政権であると断じてもよいのではないかとも思った。

 そういうことを可能にさせる議席数を彼らに与えてしまった国民が悪いと言えばそうなのだが、そもそも選挙制度自体が違憲(状態)といわれるほどの悪しきものであって、民意を反映する制度ではないことは、きちんと前提としておくべきことである。

 こういう反民主的な行動を堂々と推進していく自民党・公明党に空恐ろしさを感じる。メディアは、こういう恐ろしい事実をもきちんと報道すべきではあるまいか。

 とにかく特定秘密保護法は、衆参両院でも十分に審議されず、さらに政府の答弁もまったく明確さを欠き、答弁は揺らいだままであった。そういう法律、特に人権と抵触する法律が「成立」してしまったことに思いを馳せると共に、その廃止に向けた行動を始めるべきである。

 840円という本は、貴重な情報をたくさん与えてくれる。ぜひ購入して読んでいただきたい。



 

昨日の『中日新聞』社説

2014-01-08 10:48:45 | メディア
 この社説で参照されているジョセフ・ナイの「ソフトパワー」論は、そういう平和的なものではない、という異論をボクは持つが、許容範囲なので載せておく。



年のはじめに考える 「強い国」って何だろう
2014年1月7日

 二〇一四年の日本政治が始動しました。政権二年目に入った安倍晋三首相は「強い日本」を目指すと言いますが、国の強さとは、いったい何でしょうか。

 安倍首相はきのう伊勢神宮を参拝し、年頭の記者会見を行いました。例年より二日遅い始動です。

 この年末年始、首相は映画やゴルフに出掛けたり、地元・山口県で過ごしたり。英気を養い、気持ちを新たにしたことでしょう。

 一月下旬には通常国会が始まります。歳出規模が九十六兆円近くまで膨れ上がった一四年度予算、昨年末の首相靖国参拝など、野党側は厳しく追及する構えです。

◆絵本が描く「戦争」
 首相は元日付で発表した年頭所感で、経済政策の転換や震災復興への取り組み、国家安全保障戦略策定など政権一年目を振り返り、「『強い日本』を取り戻す戦いは始まったばかり。長く厳しい道のりを緊張感を持って進む覚悟を新たにしている」と表明しました。

 「強い日本」は安倍首相お気に入りのせりふです。これまでも国会などで何度となく繰り返してきました。「強い日本、それをつくるのはほかの誰でもありません、私たち自身です」という具合に。

 では、強い日本とはどんな国でしょう。軍事的に強い国でしょうか、経済的に強い国でしょうか。

 英国の作家、デビッド・マッキーさんの描いた一冊の絵本があります。「せかいでいちばんつよい国」(光村教育図書)です。

 ある大きな国が小さな国に攻め込みますが、その小さな国には軍隊がなく、戦いになりません。小さな国の人々に歓迎された兵士は遊びや歌、料理を習います。

 大きな国の大統領が故郷に戻ると、家々からは小さな国の料理の匂いが。遊びも服装も小さな国のものがはやっています。そして大統領が口ずさんだのも…。

◆平和国家への評価
 国の強さを決めるのは軍事力ではなく、文化の力だという筋書きです。これは絵本の中だけの「絵空事」ではありません。

 米クリントン政権で国防次官補を務めた、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、文化、政治的価値観、外交政策の三つを源とする「ソフト・パワー」と、軍事力や経済力などの「ハード・パワー」を組み合わせた「スマート・パワー」の重要性を指摘します。

 国民にとって強い経済力は安心して生活するために不可欠です。外国に侵略の意思を持たせないため、侵略があった場合には国民を守るため、必要最小限度の防衛力を持つことも必要でしょう。

 しかし、それだけでは強い国とは言えません。ナイ氏が指摘するように、ソフト・パワーも国力を構成する重要な要素です。

 まず、文化です。先人たちが営々と築き上げ、磨きをかけてきた日本文化は、私たちの誇りです。

 すでに多くの文化遺産がユネスコの世界遺産に登録済みです。多様な食材、優れた栄養バランスで国外にも愛好家が多い「和食」も昨年、無形文化遺産となりました。近年のマンガ、アニメブームも、新しい日本文化として世界に受け入れられた証しです。

 高い技術力の日本製品や日本人の勤勉さも、誇るべき文化です。これらも国力の源と言えます。

 政治的価値観、外交政策はどうでしょう。

 自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済という戦後日本の普遍的価値はもちろん、憲法九条に基づく「平和国家」「専守防衛」も、日本のソフト・パワーを構成する重要な要素です。

 安倍内閣も国家安全保障戦略で「我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得て」いると認め、この高い評価と尊敬を「より確固たるものにしなければならない」と述べています。

 しかし、実際はどうか。

 安倍内閣はすでに、武器輸出を原則禁じた武器輸出三原則の見直しや、節度ある防衛力整備からの転換を打ち出し、集団的自衛権の行使容認や九条改正による自衛隊の国防軍化にも意欲を見せます。

◆文化の力も高める
 こうした安全保障政策の転換が国際社会から高い評価と尊敬を得てきた平和国家、専守防衛という戦後日本の「国のかたち」を変えてしまわないか、心配なのです。

 もちろんソフト・パワーを過大評価すべきでないことは、ナイ氏も指摘しています。重要なのは、ソフト、ハード二つのパワーのバランスを考えながら、最も大きい効果を引き出すことです。

 経済に強さを取り戻し、節度ある防衛力整備にも努める。そして文化の力を高め、平和国家という政治的価値観の持つ力を最大限、引き出す。それができて初めて、日本が本当に「強い国」になったと言えるのではないでしょうか。

特定秘密保護法 後追い記事

2014-01-08 10:38:20 | 政治
 これは『東京新聞』記事をコピーしたものである。

 この内容は、すでに『毎日新聞』が報じたもの。しかしふつうの人は新聞は1紙しか購読していないから、抜いた抜かれたには関係なく、重要なことは後追いでもしっかりと報じてもらいたいと思う。

 この記事にあるように、10万人、しかしおそらくそれ以上になると思うの人の詳細な情報が、「合法的」に収集される。この情報収集にあたるのは、おそらく公安警察であろう。じり貧の公安警察に活躍場所を提供する法律でもある。だから警察庁などが躍起になって成立に力を入れていたのだ。

 この法律の廃止を志向すべきである。

適性評価 対象10万人 秘密保護法民間人は3300人
2014年1月8日 朝刊

 特定秘密保護法を担当する森雅子内閣府特命担当相は七日の記者会見で、特定秘密を扱う公務員や民間人が対象となる適性評価の対象者は十万人規模との見通しを示した。適性評価は本人の犯罪歴など多岐にわたる個人情報が調査対象。家族も含め調査されるため、プライバシー侵害につながると懸念されている。

 適性評価は対象者本人の精神障害や飲酒の節度、借金状況など七項目を調査。対象者の親、配偶者、子、兄弟姉妹らの国籍、住所、生年月日まで確認する。

 森氏は、特定秘密を扱う可能性がある対象者の内訳を(1)自衛隊法で定めた現行の防衛秘密を取り扱う民間人が三千三百人(2)都道府県警察の一部職員が二万九千人(3)現行の特別管理秘密制度で特別管理秘密を扱っている国家公務員が六万四千五百人-と説明した。

 特別管理秘密は各省庁の内規に基づき、現在約四十二万件が指定されている。政府は特定秘密が特別管理秘密と同程度の約四十万件になるとの見通しを示しているため、特別管理秘密を扱っている国家公務員がほぼ適性評価の対象者となる見通し。

 同法を所管する内閣情報調査室は、民間人を調査対象とするケースが増加する可能性があるほか、特別管理秘密と特定秘密の範囲が微妙に異なるとした上で、「(森氏の挙げた)数字を合計すると十万人規模になるが、個別具体的に積み上げた数字ではない」としている。

『中日新聞』のこと

2014-01-07 21:27:31 | メディア
 今日は午前中と午後、『中日新聞』東海本社に行った。何十年来のつきあいのあるUさんと話す。また浜岡原発の記事を書いた記者からいろいろ依頼された。



 『中日新聞』は「極左」などといわれ、抗議の電話がかかってくることもあるそうだ。『中日新聞』が「極左」なら、「極左」の人々はいるところがなくなってしまう。

 今の日本人は確かに「保守化」していると思う。政府がどんなことをしても、とにかく政府を「肯定すべきもの」と認識している人が多いようだ。特定秘密保護法も、「私たちが選出した国会議員の先生たちが決めたんだから・・」という声が寄せられているのだそうだ。

 ジャーナリズムというのは、公的権力の行動を監視するために存在しているはずだ。ジャーナリズムに批判精神がなくなったら、ジャーナリズムは死を迎えることになる。

 ボクは、『中日新聞(東京新聞)』には頑張って欲しいと思う。

 『中日新聞』がそういう非難を受けるのは、他のメディアが批判精神を失い、あってもなくてもよいメディアと化してしまったために、目立つようになったのだろう。

 ボクの知人には、他紙から『東京新聞』に変えた人が多い。当たり前だと思う。批判精神のないところに進歩は生まれない。

 夕方からは浜松市役所へ。区制の検討をしている市の職員と話し合い。一人の吏員は、上司からの命令をひたすら遂行することに生き甲斐を感じているような人だった。聞く耳をもたない。

 その後は、中田島海岸のゴミ問題について意見交換。こちらはきわめて良心的な対応だった。

 そんなこんなで、今日は読書はせず。



退廃

2014-01-06 08:43:05 | 政治
 今日の『中日新聞』(東海本社)一面トップは、元日に引き続いて浜岡原発がらみの不明朗なカネの話だ。

 旧浜岡町、現在の御前崎市の公共施設など、たいへん立派である。その背景には、浜岡原発がらみのカネが投下されたことがある。

 原発などが立地することになると、電源三法交付金が国から投下される。これも一種のつかみ金だが、それ以外に旧浜岡町は、中部電力から様々なカネを引き出していたことが報道されている。まさに退廃だ。

 中部電力に申請すれば、湯水の如くカネが出てくると思っているようだ。実際、カネを請求している実態が文書で残されている。

 そのカネは、市民の電気料金から出されているはずだ。旧浜岡町の町当局者の退廃ぶりが手に取るように分かる。

 人間は、カネが入るとなると、カネの前に拝跪し、正常な神経すら麻痺してしまうようだ。旧浜岡町民は、そうしたカネで心を買われ、安全を買われ、中部電力からの買収資金によりすべてを買われてしまっているようだ。

 国が悪いのか、中部電力が悪いのか、それとも旧浜岡町民が悪いのか。 ボクはすべて悪いといいたい。

 原発のカネは、人間としての矜持を破壊する。町当局者が率先してそれに狂奔する。醜い、あまりに醜い。

 今日の、その記事。

原発増設協力の見返り 旧浜岡町が中電に再三要求

2014年1月6日
 中部電力が浜岡原発3、4号機の増設同意時に、立地する旧浜岡町(現御前崎市)に非公表の寄付五十三億円を約束していた問題で、町は五十三億円以外に一九七〇(昭和四十五)年度以降、「共存共栄のため」などとして、町議らの視察研修や茶畑の防霜対策などさまざまな名目で中電に資金提供を求めていた。中日新聞が入手した町の文書で分かった。増設同意前の金銭授受の見返りに「増設問題への協力」を約束した念書もあった。 

 町はこうした収入を「寄付金」のほか「負担金」という細目に振り分けて会計処理していた。いずれの細目も決算書で中電からの収入かどうかを判別できず、第三者の目が届きにくい不明朗な形で“中電頼み”の行政運営が続いていた。

 本紙が入手したのは、御前崎市教育委員会が保管している旧浜岡町の「原発関係文書」で、七〇年~八七年度の中電との金銭授受を示す文書が含まれている。

 文書によると町は道路や水道、病院など公共施設・設備の整備に加え、町議や町内会長らの「原発先進地視察研修」、原発増設に向けた「町内会調整」の費用まで中電に依頼、請求していた。

 町は3、4号機増設時に中電と協定書を交わし、受け取りを公表した寄付三十六億円や非公表の寄付五十三億円を合わせ、十八年間で少なくとも計百十四億円を受け取っていた。このほか中電が実際に支払いに応じたか不明な請求が十九億円以上あった。

 町は3号機増設に正式同意する半年前の八二年二月、テレビ中継局新設への協力を中電に依頼した際、「ご協力要請額」を三千八百万円と明示した上で「3号機着工問題の収拾という状況等もご理解いただき…」と記載。同年三月に同額を受け取ると、「もちろん浜岡発電所の運営ならびに増設問題にも協力いたします」との念書を差し入れていた。








齋賀琴

2014-01-05 20:58:40 | 読書
 『青鞜』に載せられた「戦禍」という文に心を動かされ、齋賀についていろいろ調べてみた。

 齋賀琴は1892年千葉県市原郡五井町に生まれた。1907年上京して東京家政女学校、そして成女高等女学校に学び、さらに日本女子大学校に進む。『青鞜』社の研究会に参加し、「夜汽車」、そして「戦禍」などを書く。

 1918年原田実と結婚。1926年頃までは小説などを発表しているが、作歌以外はしなくなる。そして1973年死去。

 齋賀琴について、以下の文献を入手。

 『『青鞜』人物事典』(らいてう研究会編著、大修館書店、2001年)
 「齋賀琴の原点ー『夜汽車』の作品世界」(橋本のぞみ、『国文学』2009年4月号所収)
 「齋賀琴の人と思想ー婦人雑誌とのかかわりのなかで」(中井良子、近代女性文化史研究会『大正期の女性雑誌』、大空社、1996年)

 これからも齋賀(原田)琴が書いたものをとにかく集めるつもりである。

 岩波文庫の『『青鞜』女性解放論集』に「戦禍」が掲載されているので、ぜひ読んで欲しい。

 こういうマイナーな女性の研究をするのも必要ですね。齋賀琴は、その時代の課題と全身で取り組み、そのなかで後世の者が学ぶべきものを書き残している。