北朝鮮の国家体制は、強い非難にさらされている。あの国に生まれなくてよかった、と多くの日本人は思っていることだろう。だがボクは、北朝鮮の国家が、1930年代を経て完成した戦前の日本国家(「超国家主義」)の姿と相似形に見えて仕方がない。
その戦前の日本国家のようにしたい、と考えているのが安倍政権だ。「日本を取りもどす」ということばの「日本」は、戦時体制下の日本である。
ボクは、丸山真男の「超国家主義の論理と心理」を読んだ。この文は何度か読んでいる。『増補版現代政治の思想と行動』(未来社)に収載されている論文で、1945年の敗戦によって崩壊した日本国家、これは安倍が目指している国家でもあるが、それを分析したものだ。ボクの持っている本は1973年の59刷。今はおそらく100刷を超えているのではないか。丸山の代表的な本である。
ボクは、維新によって創作された近代天皇制国家の基本原理である記紀神話、それが強調される時代は「危険」な時代であることを立証しようとして、丸山を読みはじめているのだが・・。
さて「超国家主義の論理と心理」を読んでいて、やはり現在の政治状況との相似を感じざるを得なかった。
近代国家は、基本的には「中性国家」として、「思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保障され」る、つまり国家は「思想信仰道徳」に干渉しないというのが原則なのである。だが、近代日本国家は天皇制を導入することによって「権力と権威」が一体化し、そうした「私事」(何が「真善美」であるのか)を国家が決定する、「何が国家のためかという内容的な決定をば「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ」(官吏服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下す」こととなり、「我が国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことが未だ嘗てない」ということになる。
日本国憲法により、天皇は政治的実権をもたない存在とはなったが、しかし「支配層の日常的モラルを規定しているのものが抽象的法意識でも内面的な罪の意識でも、民衆の公僕観念でもなく、このような具体的感覚的な天皇への親近感である結果は、そこに自己の利益を天皇のそれと同一化し、自己の反対者を直ちに天皇に対する侵害者と看做す傾向が自ずから胚胎する」、そうした思考は「一切の特権層のなかに脈々と流れている」。
そのような思考は、自民党の憲法草案に明確に記されている。
道徳を教科として導入する、記紀神話を中心とした戦前の国定教科書まがいの国家主義的教科書が文部科学省や教育委員会の後援を得て各学校で使用されるようになるなど、今また「私事」や「学ぶ内容」を国家が決定して、それを子どもたちに押しつけようとする、そういう状況がある。
「戦後」は、強引に消されようとしている。安倍政権は、その速度をあげている。
現代日本は、再びガラパゴス化しようとしている。
その戦前の日本国家のようにしたい、と考えているのが安倍政権だ。「日本を取りもどす」ということばの「日本」は、戦時体制下の日本である。
ボクは、丸山真男の「超国家主義の論理と心理」を読んだ。この文は何度か読んでいる。『増補版現代政治の思想と行動』(未来社)に収載されている論文で、1945年の敗戦によって崩壊した日本国家、これは安倍が目指している国家でもあるが、それを分析したものだ。ボクの持っている本は1973年の59刷。今はおそらく100刷を超えているのではないか。丸山の代表的な本である。
ボクは、維新によって創作された近代天皇制国家の基本原理である記紀神話、それが強調される時代は「危険」な時代であることを立証しようとして、丸山を読みはじめているのだが・・。
さて「超国家主義の論理と心理」を読んでいて、やはり現在の政治状況との相似を感じざるを得なかった。
近代国家は、基本的には「中性国家」として、「思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保障され」る、つまり国家は「思想信仰道徳」に干渉しないというのが原則なのである。だが、近代日本国家は天皇制を導入することによって「権力と権威」が一体化し、そうした「私事」(何が「真善美」であるのか)を国家が決定する、「何が国家のためかという内容的な決定をば「天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ」(官吏服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下す」こととなり、「我が国では私的なものが端的に私的なものとして承認されたことが未だ嘗てない」ということになる。
日本国憲法により、天皇は政治的実権をもたない存在とはなったが、しかし「支配層の日常的モラルを規定しているのものが抽象的法意識でも内面的な罪の意識でも、民衆の公僕観念でもなく、このような具体的感覚的な天皇への親近感である結果は、そこに自己の利益を天皇のそれと同一化し、自己の反対者を直ちに天皇に対する侵害者と看做す傾向が自ずから胚胎する」、そうした思考は「一切の特権層のなかに脈々と流れている」。
そのような思考は、自民党の憲法草案に明確に記されている。
道徳を教科として導入する、記紀神話を中心とした戦前の国定教科書まがいの国家主義的教科書が文部科学省や教育委員会の後援を得て各学校で使用されるようになるなど、今また「私事」や「学ぶ内容」を国家が決定して、それを子どもたちに押しつけようとする、そういう状況がある。
「戦後」は、強引に消されようとしている。安倍政権は、その速度をあげている。
現代日本は、再びガラパゴス化しようとしている。