大杉栄は1923年9月16日に殺された。大杉栄が書きのこした諸々の文章は、『大杉栄全集』(パル出版)に掲載されている。しかし、大杉とはどのような人物であったのかを知るためには、誰かが書いたものから知るしかない。
『新編 大杉榮追想』という本がある(土曜社)。これは『改造』の1923年11月号の特集「大杉榮追想」の部分をまとめたものである。9月に殺されたわけであるから、かなり早く出版したものである。
そこには、山川均、村木源次郎、安成二郎、山崎今朝弥、和田久太郎、賀川豊彦、岩佐作太郎、堀保子、内田魯庵、松下芳男、土岐善麿、近藤憲二、馬場孤蝶、宮嶋資夫、有島生馬、久米正雄の文が掲載されている。
私は学生時代から伊藤野枝ファンであったが、大杉にも魅力を感じていた。女性はもちろん大杉に吸い込まれていったが、男も大杉の魅力に惹かれていた。
山川はこう書いている。
大杉君には一種の徳が備わっていた。大杉君の性格には、それほど人を惹きつけ、それほど人を親しませるところがあった。あれほどの剛情張りで、あれほど人を人とも思わぬ態度で、あれほど言いたい放題を言い、仕たい放題をし、あれほど我押し通して、しかもあれほど人を怒らせず、あれほど人から親しまれた人はない。
大杉君の周囲には、大杉君の「説」を讃美する者よりも、「人」を讃美する者をよく惹きつけた。
このように記された大杉に会ってみたいと思うのは、私ばかりではないだろう。
しかし彼は、甘粕憲兵大尉等に虐殺された。
そのことを一番憤っているのは、有島生馬である。
今度の殺害事件について一言しよう。甘粕大尉の無智無謀と当局の弁明書とは実に国家の一大汚辱なりとは、ほぼ識者の論じ尽くしたところであるから今さらそれを言う必要はあるまい。ある個人が将来にこんな悪事をするであろうからという予想のもとに憲兵大尉がこれを司令部内で死刑に処するということになれば東京市民全体に対する一大恐怖と言わねばならない。(中略)
しかしこの違法犯罪よりも、無智よりも、さらに私の憎しみに堪えないものは彼らの残忍性である。人間らしい憐愍の情の露ほどもない獣性の表れである。何らの用意もない大杉を、不意に絞殺し、その同じ腕で再び野枝を殺し、頑是ない宗一を殺させたことを聞くと、われわれとは異なった一種の劣等人種があるのではないかという感がする。自衛団その他の出来事でもみな同じくこの想像できない獣性がわれわれ同胞の間にも隠されているということに気付いて嫌な心持になる。強盗などよりももっと悪い、なぜなら強盗などにはどこか冷やかでない幾分自衛上やむをなく(ママ)とか意識の曇ったようなところがある。しかるにこの殺人者らの行為はあたかも当然のことを名誉をもって行うという風な非人情的な、天真の欠乏した、まったく誤った心状にあるからである。いかなる場合でも憐愍の情なく人を殺すごときは最も恐るべきかつ許すべからざる行為である。強盗の殺人よりも憎むべき野蛮人の行為心状だからである。
この本には、大杉の人となりが、様々な方向から描写されていて、大杉に関心を持つ人にとっては、たいへん参考になる本である。