三回にわたる歴史講座「戦争と画家」の三回目のレジメを作成しおわった。
第一回目は、浜松出身の画家・中村宏が戦争画を描き始めた。自らが戦時下、浜松で幼少期を生きた時に起きた、B29による空襲、米艦載機による銃撃、そして遠州灘沖から行われた艦砲射撃を描いたものだ。若い頃から批判的精神をもった中村は、しかし戦争を描くことはなかった。ではなぜ彼は描き始めたのか。ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルによるパレスチナへのジェノサイド、そして沖縄における自衛隊の基地増設など、国家が戦争を準備していることに危機感を持ったのではないかと、わたしは思っている。
この回では、藤田嗣治、向井潤吉らの「作戦記録画」を紹介し、どのような気持ちでそれらを描いたかを話した。そして通常は彼らがどういう絵を描いていたかを並べ、戦後、そのような絵を描いたことをどう振り返ったかを語った。他方、「作戦記録画」に協力しなかった画家も紹介した。
第二回目は、召集され、中国で従軍した浜田知明、満洲に行きその後シベリアに抑留された香月泰男、この二人の絵を紹介した。この二人は、軍隊や戦争に対して鋭い批判を持ち、それらを作品に遺している。
第三日目は、「無言館」に関わる画学生についてである。遺された絵は多くはないが、そこには絵を描きたい、描き続けたい、生きて絵を描きたいという思いがこめられている。しかし彼らは戦死、ないし戦病死した。彼らの短かった人生をふり返り、戦争の非情さを話すことにした。
戦死した画学生のなかで、山口県出身の久保克彦は、東京美術学校卒業までに、ほぼ自分の絵を完成させた。おそらく、召集されたら死ぬしかないという気持ちから、自分の短い人生の中で、学んだこと、考えたことをすべて絵に込めたのではないかと思う。逸材であったと思う。
戦没した画学生のなかで、『きけわだつみのこえ』に手記やデッサンが載せられている者が二人いた。一人は静岡県出身の佐藤孝である。書庫から『きけわだつみのこえ』をとりだして、あらためて読み進めた。
学徒動員、特攻作戦など、批判的知性をもった教養あふれる若者たちを、あえて戦死させようとした作戦であったのではないかと思うようになった。
講座が終わったら、それぞれについて考えたことを紹介するつもりである。