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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮文庫)

2013-12-22 14:06:07 | 読書
 もと記者のSさんから教えられた本。それまでこういう本が出ていることすら知らなかった。この本を教えてもらっただけでありがたい。ただし、Sさんはこの本については否定的。しかしボクはとても参考になった。

 この本の基調は、甘粕が本当に大杉らを虐殺したのかという問いだ。もちろんその問いに対する回答は、ノーである。

事件後の甘粕の動き(精神も含め)を、無数の資料により浮き彫りにしていく。事件後の裁判、服役生活、結婚、フランス行き、そして満洲へ。満洲での謀略活動、そして満映の理事長としての動向。

 渉猟したたくさんの文献、また取材対象とされた者もずいぶんたくさんだ。調べるということは、こういうことをいうのかといわせるほどの取材の量。

 知らなかったこと。関東大震災時の戒厳令は、きちんとした手続きを踏まない違法なものであったことだ。水野錬太郎、赤池濃ら内務官僚が強引にもっていったようだ。

 そして甘粕以外に虐殺に連座した者たちのその後が記されている。

 平井利一、本多重雄、鴨志田安五郎の三人は、いずれも満州へ渡った。三人とも、甘粕との関係から満洲で職を得ている。

 平井は1937年渡満し、甘粕の世話で大東公司に入り、ソ満国境で要塞建設の現場監督となったが、1941年満洲から引き揚げ後、脳溢血により死亡(48歳)。本多は、これも甘粕の口利きで満洲航空株式会社に入社。1937年奉天で脳溢血により死亡(42歳)。鴨志田安五郎は満鉄につとめていたが、1946年奉天でコレラにより死亡(52歳)。

 もう一人、甘粕と共に実刑判決を受けた森慶治郎は懲役三年であったが、刑期満了前、紀元節の恩赦で1925年2月11日に仮出獄した。そして三重県旧大里村で酒屋、そして戦時中村長を二期つとめ、1961年71歳で死亡したのだそうだ。

 
 この本では、満洲での甘粕の行動が、文献や聞き取りにより詳細に浮き彫りにされていくのだが、それらが並列的に使用されて叙述されていることから、たとえば満洲で甘粕が関与した謀略活動の顛末、満映での甘粕の役割などがまとまったかたちで書かれていないので、イメージをまとめることが難しい。構造的な歴史像を描くという目的がないのだから仕方がないといえばそうなのだが、それでも食い足りなさが残る。

 まあしかし、これだけの文献や情報を集めることは、とても一人ではできない。優秀なスタッフがいてこその作品である。スタッフの中に安田浩一の名があった。在特会のノンフィクションを書いた人だ。
 
 ボクにとっては、良い情報を得られて、読んで良かったと思う。


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