この言葉は、吉川英治氏の作品「宮本武蔵」に出てくる言葉である。
今回のブログは、この言葉から始まるのではない。
いろいろと考えていた結果、この言葉に到達したと言っても良い。
●人に対する接し方
事の発端は、他人に対してどのように接するか、ということを考えていた。
人の良いところを見るか、それとも人の欠点を見るか、ということである。
よく人の良いところを見て、褒めなさい。
そうすれば人間関係が良くなる、と言われている。
なぜそうなのだろうか?
人間誰でも長所もあれば欠点もある。
もし、上から目線であれば、人の欠点が目につく。
上司であれば、若い部下の欠点や未熟な点も見えてくる。
普通に考えれば、経験豊富な人と未熟な人を比べれば、自ずとその差が見えてくる。
差が見えれば、愚痴となり、ひどい時には粗探しに発展する。
出来た人は、未熟な人に対しても、優しさがあり、フォローする。
多少のミスをしても、「スピード感があってよい」など良い面を強調してくれる。
その結果、若い人でもやる気を持って次の仕事に当たることができる。
●同じ人間はいない
人間、この世で同じ人間はいない。地球上70億人以上いるが、
自分と同じ姿、同じ価値観、同じ考え方をしている人は誰一人としていない。
自分以外の人は、自分と違う姿であり、違う価値観であり、違う考え方である。
このことは、親子・兄弟・姉妹においても言えることである。
元々他人であった夫婦はなおさらである。
会社の同僚、上司、部下、等々、みな違う。
この「みな違う」ということをどのように捉えるかである。
違うのは当たり前、それがどうしたの?
という人もいるだろう。
違うから諍いがあるのだよ、
同じだったら、気持ち悪い、
などなど、意見もあろう。
●違いを認めるとは
大切なことは、価値観が違う、考え方が異なる、ということをまずは認めることである。
当たり前のことであるが、本当に違いを認める意味を理解しているかどうか、疑問である。
恥ずかしい話だが、私自身表面的な意味での違いは理解していたが、本当の意味でその違いを理解していたとは言い難いのである。
●成長のヒント
違いを認めるとは、自分に無い才能を認める、と言えばいいだろうか。
大人と子供を比べたらどうだろうか?
大人には、子供に比べたくさんの知識や技術を有している。
しかし、子供の純粋さや素直さは、大人にはあるだろうか?
「昔のオレも、あの子のように純粋だったな」と思う大人もいるだろう。
この場合、子供の純粋さを認めることができるかである。
子供の考え方を尊敬できる人は、子供から学び成長することができるだろう。
●謙虚に学ぼう
同様に、親・兄弟・姉妹をはじめ、上司、部下、友人、さらに街を歩いている人々、TVや新聞に出ている人々、等々、みな価値観や考え方が異なる。
であるならば、これらの人々から学ぶことができるだろう。
謙虚になることで、上から目線が改まり、尊敬する目線に変わる。
今まで見えなかったモノが見えるようになり、気づくことも多くなる。
その結果、成長することができる。
同じ人生歩むならば、どのような目線で歩むかで、その成長は異なる。
「我以外皆師」という意味を理解した次第である。