中川秀直政調会長の昨日の発言に注目してみました。以下に報道各社の見出しを書き出してみます。
◇NHK <新総裁の公約 反対は許されず>
◇毎日新聞 <自民総裁選:中川氏「個別議員の拒否権発動はあり得ない」>
◇日本経済新聞 <中川氏「論功行賞の余裕なし」、次の政権人事で>
◇産経新聞 <「論功行賞の余裕ない」 中川氏、次期政権人事で>
◇読売新聞 <自民・中川氏「次は“仕事師内閣”」、論功行賞けん制>
◇朝日新聞 <「論功行賞人事の余裕なし」 自民総裁選で中川氏がクギ>
「安倍みこし」に群がり始めたハイエナたちに一撃を加えるような発言です。一つは郵政民営化の時のような総裁の公約に逆らうことは許さない。それが出来ないなら近づくことまかり成らぬという意味です。そしてもう一つは、ご褒美欲しさで賛成の顔をして働いたふりをしてもダメということでしょう。中川秀直も小泉首相と同様、新総理・総裁が主導権確保できることを一番に考えているようです。そうしないと何の仕事も遂行できないと身にしみているのでしょう。こうした一連の発言をみると、随分、中川秀直も力を付けてきていると言えます。
この中川秀直という人物の【プロフィール】を以下に抜粋してみます。
(引用始め)
1966年に慶應義塾大学法学部を卒業し、日本経済新聞社に入社。政治部記者を経て、義父の地盤を継いで衆議院議員総選挙に出馬するため退社。1976年、新自由クラブ公認で旧広島2区から立候補し初当選。 1979年の選挙で落選し新自由クラブを離党、翌年トップ当選で復帰し自民党へ入党する。
長年にわたって森喜朗前首相の側近を務め、2000年7月の第2次森内閣発足では国務大臣内閣官房長官兼沖縄開発庁長官として首相の女房役を務める。しかし、愛人や右翼との会食などスキャンダルがマスコミで報道され、実力を発揮できないまま就任3ヶ月で辞任に追い込まれた。この辞任劇が支持率低下に悩んでいた森内閣に追い討ちをかけ、同年末の加藤の乱発生に少なからず影響を与えたことは否めない。
(引用終わり)
森派に所属していると思っていたら無派閥になっていましたが、森喜朗との関係は自民党への入党から続いているようです。今は無き、新自由クラブ出身なのですから、党内でも苦労が多かったと想像できます。森に仕えて官房長官まで上り詰めましたが、結局、自らの蒔いた種が原因で辞任してしまいました。この当時の官房副長官が安倍晋三になります。
個人的な話しですが、03年の総選挙のときに苦い経験があります。広島の関係者に中川秀直への支援をお願いしたいと計画を進めていたところ、私のところにクレームの電話がありました。電話口の女性は「中川なんて応援できっこない!貴方の見識を疑う!」といった大激怒状態でした。地元の方々からみた議員の姿と、国政の舵取りをする議員の能力を評価しようとする差があるのはしばしばなのです。しかし、女性問題だけは頂けません。何を説明しても感情的に受け入れてもらえないのです。
かなり話しが脱線してしまいましたが、中川秀直がここまで復活してくるなかでどんな変化があったのかに関心があります。おそらくある時点で、自らはトップを支えるNo2が一番適していると気がついたと思います。その時点とは、小泉純一郎が自民党総裁選で勝ったときからだと思います。時代が望むのが派閥の力学ではなく、政治家のリーダーシップ=個性という資質だと分かったからです。
中川からみたら安倍晋三がその条件に一番近いのでしょう。
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