はるのほっぺ

備忘録です。仕事柄、政治の話題が中心です。

宗教団体の政治活動「微妙なさじ加減が大切」

2006年01月31日 | 政治
立正佼成会 (りっしょうこうせいかい)をご存じでしょうか。
歴史などについては『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考にしてください。
日蓮宗系の新宗教団体で、公称信者世帯数は205万世帯(2002年12月31日現在)という日本第二の規模を誇る教団です。
霊友会の有力な信者であった庭野日敬と長沼妙佼によって、1938年3月5日に「大日本立正交成会」(現在の名前に改称されたのは1960年6月1日)として創立されています。
今年はその庭野日敬の生誕100年にあたり、節目の年としていろいろな活動を展開しているようです。
その一つとして『政治への取り組み』を新たに発表しています。
これまでの政治的な活動は、当初自由民主党を中心に民社党の候補者も支援していました。しかし、自民党が創価学会を母体とする公明党と連立政権を組むと、創価学会との対立関係から自民党からは距離を置き、教団としての統制を緩め選挙区単位で政策の利害が一致する候補者(その対象が野党民主党候補である場合もある)を支援するようになっています。

以下の記事は佼成新聞に掲載されていたものの抜粋です。
詳細は教団HPのこちらにあります。
(抜粋)
 『政治への取り組み』は、「基本理念」「基本姿勢」「活動」の3部で構成されています。
冒頭の「基本理念」では、本会創立の精神である「現実に人を救い、世を立て直す」ことを目的に平和社会の実現をめざしてきたことを明示。
宗教と政治が「人々を幸せにする」「調和の世界をつくる」という共通の目的を有していることを記し、それぞれの役割の重要性を紹介しています。
その上で、政治の動向や政策が国民の行方を大きく左右することから、「私たち国民は政治に無関心でいることはできません」と強調。本会は宗教団体としての立場から政教分離の原則を厳守し、「すべてのものの生命が尊重される社会の実現をめざし、全力を尽くしてまいります」と表明しています。
 続く「基本姿勢」では、これまで本会が政治課題としてきた「四項目」(「平和主義の推進」「信教の自由の堅持」「政治倫理の確立」「行政改革の推進」)を刷新。
生命の尊重と平和を希求する仏教精神を自覚し、新たに「生命の尊厳を守る」「平和主義の推進」「思想・良心・信教の自由を守る」「政教分離の原則を守る」「政治倫理の確立」を政治課題の「五項目」として示しました。
 さらに、「活動」では、基本理念や基本姿勢を踏まえ、「政治参加に向けた会員の意識高揚をはかる」「正しい世論づくりに努める」など具体的な6つの取り組みを掲げています。

 立正佼成会は新宗教のなかでも政治参加に積極的な団体でもあります。また新宗連のなかでもリーダー的なポジションを占めていますので、佼成会の意向が色濃く反映されています。
昨年の終戦記念日には多くの民主党議員が、千鳥が淵で行われた戦没慰霊祭に参加しています。
こうした民主党寄りの背景には、自民党と公明党の連立政権があります。
公明党の支持母体は創価学会であることは周知の事実です。連立以前は、宗教団体の中では自民党の一番の支持母体が佼成会であったのですから、裏切られたも同然といえます。
それを契機に反自民党へ大きく舵を切ることになります。しかしあまり舵を切りすぎたことで、いろいろな反動もあり現在は個々の教区でも実状に合わせて自民党支持や民主党支持を決めているようです。
また2年前の参院選挙では、はっきりと民主党支持を打ち出していました。
全国区(比例)では東日本と西日本に分けて2名の民主党候補者(KF.SH)に支持を集中させてみたり、東京都でもタレント女性を熱心に応援していました。
 いろいろ書きましたが、宗教団体が特定の候補者を応援することを反対しているわけではありません。
しかしあまり拘束力を持たせた支援を信徒に命令することは、信徒たちが信仰をしているのか選挙をしているのか分からなくなってしまいます。まぁ程良いところは主と従を転倒しなければいいでしょう。やはりさじ加減が大切です。
 そして個人的に残念なことがあります。発表された政治に取り組む姿勢五項目のなかで、以下の二つには首をひねってしまいました。
【2.平和主義の推進】
○憲法の平和精神を堅守し、平和主義を第一とする
○非武装・非暴力を目標に、軍縮の推進を訴える
○非軍事分野の国際貢献を積極的に推進する

宗教の祈りがあればすべてが解決するのでしょうか。
そして非軍事分野の国際貢献というけれども、これは絵に描いた餅を見ておなかが一杯にならないように、決して主権国家としては考えられないことです。

【4.政教分離の原則を守る】
○靖国神社国家護持・公式参拝に反対する
○直接、間接に関わらず、特定の宗教団体による政治上の権力の行使を認めない
※本会は、政党をつくらず、特定の政党・政治家を固定的に支持せず、また教団役職者を役職者のまま政治家にすることはしない

靖国神社への公式参拝は創価学会と同じなのに、次の段では、案に創価学会を批判しています。不思議です。

 こうして考えてみると宗教団体としての自説があるとは思います。しかし政治にすべてを反映させようとすれば、自ら政党を持たなければいけない状況になりえます。いくら選挙で推薦をしてあげても国会議員たちは票のなかの一つとしかとらえませんから。
しかし政党を持ってしまえば宗教団体の意味が無くなってしまいます。
やはり宗教の本道を進むことが一番なのでしょうか。個々の政治参加の意識を向上させることぐらいが団体として出来る精一杯なのかもしれません。
うーん、難しい問題です。また折を見て書いてみたいと思います。

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中川農水相を追い込むのが野党の仕事ではない!

2006年01月31日 | 政治
牛肉答弁、予算委紛糾 追及民主、棚ボタ戦果 勢い持続? 長期戦略欠く (産経新聞) - goo ニュース
中川農水相の答弁が瞑想した結果ですね。
しかし民主党のみなさんが、ここぞとばかり責任問題に踏み込むことはいかがなものかと思っています。
BSE問題に関しては、米国側に責任があります。もちろん農水省としては断固とした態度が大切です。
事が発覚してからの総理と農水相の毅然とした判断はよかったのですが、言葉足らずの二人の悪いところが出てしまったのが予算委員会での対応でしょう。
ここで民主党に言いたいことは、対決路線も結構ですが、何に対して対決路線をとろうとしているのかです。
対決すべきは米国の牛肉輸出に関する姿勢です。業者が知らなかったというお粗末な状況が米国側にある点を攻めるべきです。
これは政府・与党と一体になって取り組む課題です。食の安全を目指すならこれが第一でしょう。
そして国会での民主党の取るべき対応は、中川農水相の態度や答弁にいちいち文句を付けるのではなくて、なぜ危険部位の牛肉が輸入されることになったか農水省の問題点を究明すべきです。
繰り返しになります。民主党のみなさん対決路線の目的をお間違えのないように。

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政治家の姿7「松井孝治」

2006年01月30日 | 政治
官僚出身の若手議員のなかでも、評価が高いのが民主党・参院の松井孝治。
2001年7月 参議院議員に京都府から初当選(1期)。この人の経歴もユニーク。
本当に、国会議員ていろいろな人がいます。
目を引くいくつかのポイントがありますので順に紹介してみます。
■生まれ育ち
1960年4月24日 京都生まれ。
京都の旅館(現松井本館・ホテル松井)に次男。生まれも育ちも京都。
HPにある松井の母のコメントがいい。
「おまえは神さんからの貰いもんや。
 将来は、この家の商売はお兄ちゃんにまかせて何か世の中のお役に立てる、
 そんな仕事をせなあかん。そのことで神様にご恩返しせな、なあ。」

松井旅館の次男で選挙に有利に働いたのでしょうか。

■学歴・職歴
1983年3月 東京大学教養学部教養学科卒業(国際関係論専攻)
1983年 通商産業省(現経済産業省)入省

ここである人との接点があります。
東京後援会のパーティーで講演をしてくれています。
村上ファンドの村上世彰(むらかみよしあき)です。
村上の略歴を見れば
1983年 東京大学法学部卒業
1983年 通商産業省入省
1999年 エムアンドエイコンサルティング代表取締役
                          ~現在に至る。
松井孝治とぴったり重なります。
意外なところに人脈は広がっていくんですね。やはり東大閥かと嘆く人もいるでしょうか。

■政治家への転身のきっかけ
1996年~98年 行政改革会議へ出向。
橋本龍太郎内閣で、調査員として中央省庁再編など行政改革の原案を作成。
おそらくこの根幹にあったのは、官邸主導型のトップダウン形式の導入でしょう。
結局は自民党の巻き返し、各省の跋扈によって次々と骨抜きにされてしまいます。
おそらくこの時点で政治家へという決断に導いたようです。

現在の小泉内閣が行う官邸主導型は松井孝治の考えていたものとそんなにかけ離れていないと思います。
松井参院の考えの一つに以下の論文がありました。
「霞ヶ関の意思決定は‥基本的にボトムアップのコンセンサス方式によって行われている」「原案作成者が第一案を作ってから最終決定に至るにはひとつの省庁だけでも十段階近くの『クリア』と呼ばれるステップが必要であり、他省庁協議や与党審査も加えれば、およそ原案の跡形もなくなってしまうケースも決して珍しくは無い」「調整はその決定に極めて長時間を要するだけでなく、政策の内容を玉虫色の曖昧なものとしてしまいがち」であり、「若手官僚の作成した先鋭な問題意識が省庁内部の決裁のプロセスにあって、また、利害の異なる省庁間の調整により、どんどん「洗練された霞ヶ関文学」に磨き上げられ、結果として彼らに残るのは徹夜の連続と自らの原案の意図せざる変貌による疲弊感、虚無感のみというのが決して例外的とは言い切れない状況」と。

(略)
注意したいのは、「官僚が私益に走ったり悪意で政策運営を行っているわけでは」なく、システムに問題があるのである、と。ピラミッド型の「ヒエラルキー組織・ムラの論理」により、「多くの優秀の官僚のマインドを国益から省益へ、省益から局益へと導いていく」。「私利私欲ではなく、累々と受け継がれてきた土地を勝手に譲り渡してはご先祖様に申し訳が立たないと言うような感覚で、場合によってはより多きな国益に反してでもその権限を墨守しようとする」のだ、と。こうしたピラミッド組織から個人を解放するために必要なのは、ネットワーク型の政策提言システム、政官民学を問わない開放的人事制度(「優れた政治的リーダーの下に、大所高所の視点と専門知識を持った官僚や民間人、研究者などが改革チームを組織し、トップダウンでダイナミックな意思決定を行うことが極めて有効である」と。

■政調会長型の政治家
昨年の総選挙でも、「岡田政権五百日プラン」のなかに、「国家経済会議」とい名称で官邸主導の政策決定メカニズムが披露されています。ここに松井孝治が関わっています。
残念ながら総選挙では民主党は惨敗。政権五百日プランもお蔵入りかと思っていたところ、新たな代表として同じ京都の前原誠司が代表になります。幸か不幸かまたチャンスが巡ってきています。
民主党内では党独自のシンクタンク期間として「公共政策プラットフォーム:プラトン」の事務局長になっていますし、なによりも代表が外交・安全保障には明るいですが、内政は松井孝治に頼ることが多くなっているでしょう。
官邸主導型の政策決定メカニズムが、民主党の普遍の考え方になるように日夜励んでいるのはないでしょうか。

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呆然の連続

2006年01月30日 | 社会問題
ホームレステント、大阪市が2公園で強制撤去 (朝日新聞) - goo ニュース
テレビでも強制撤去の様子が映されていました。
滑稽で悲しくなりませんか。
ホームレスの人たちにそれぞれ事情があるのでしょうが、現状を認識する力が完全に欠落しているように思えます。
大阪市も社会福祉の観点から、市が所有する施設への移動を伝えているのにこの始末です。
ホームレスの一部がしていたコメント「施設ではプライベートが確保されない」
には驚きます。
追い打ちをかけたのが大阪地裁の判決。公園も住居地として認める。住民登録することができる。・・・・・
こちらも呆れます。裁判官はどんな見識を持っていたのでしょうか。
日本はやっぱり幸せな国です。
そうそうホームレスなのにテントが家なのだと言い張って住民登録したらホームレスとは呼ばれませんね。
こうなったら条例で、テントに固定資産税でも課税をするしかないありませんね。
こういう社会問題の影にかならず煽動している人たちが存在するんですよね。
そういえば先日、東京広尾の日赤病院と東京女学館の小競り合いも笑えました。
日赤と道路を隔てて東京女学館があるんですが、日赤のレンガ塀を壊すことに反対しているんです。裁判で係争中ですが、日赤側が撤去工事を強行していました。
工事関係者に罵声を浴びせる学校側やPTAの姿に呆然。
たしかに依然よくあの道路を通りましたが、そんな大騒ぎをして保存することもないと思います。
まだまだありますよね。桜の木を切らないでと叫ぶ人など。
呆れ、呆れ、連続してます。

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政治家の姿6「逢沢一郎」

2006年01月29日 | 政治
今日から通常国会という言葉を省きます。

イラクにおける日本人人質事件で、現地に飛んで陣頭指揮をした外務副大臣逢沢一郎。
TVを見ていてチンパンジーに似ているなぁ、というのが第一印象の方も多いでしょうね。
詳しいプロフィールはこちらをご覧下さい。

NHKの日曜討論に自民党幹事長代理として出演していました。
いや、なかなか説明が上手でした。
江田五月のときに菅源太郎のことを書きましたが、この逢沢一郎が岡山1区の自民党代議士です。
驚くのは、三代目の代議士の割にあまり世間では騒がれていないこと。
祖父の逢沢寛、父の逢沢英雄も衆議院議員を務めていますが、地元では有名でも全国区ではないようです。
また、松下政経塾出身者では最初の国会議員ですが、世襲であることとその当時の政経塾の知名度の低さもあって注目もされませんでした。
うーん、つくづく地味であります。

父親の逢沢英雄は、
岡山青年会議所理事長、岡山商工会議所副会頭を経て、昭和51年(1976年)の総選挙に岡山1区(当時)から立候補し当選しています。
以後当選通算3回。残念ながら昭和58年(1983年)に落選してしまいました。
その3年後、息子である一郎の出番になります。
総選挙(衆参同日選挙)で郷里の岡山1区(旧)から、自民党公認で立候補し当選します。
以後、連続7回当選。
自民党では宏池会に所属。
父親の影響か、商工族議員としての経歴を積んでいます。そして衆議院外務委員長に就任し、外交政策にも幅を拡げ、2003年に外務副大臣になります。
この外務副大臣のときに、イラク戦争など靖国問題などで政治家として一皮むけたと言われています。
昨年の内閣改造時に、もしかして閣僚になるかもしれないと思っていました。
理由は慶応出身だからという簡単な発想。また以外と党務をしていないなぁという印象もありました。結局、自民党幹事等代理を務めることになりました。
現在、党務で汗をか来ながら人垂らしを覚えたら、中川秀直のような存在に化けてくるかもしれません。
派閥はパッとしませんが、これからは人物で登用されるケースの方が多くなるはずです。
自民党を担う一人であることは確かです。

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