はるのほっぺ

備忘録です。仕事柄、政治の話題が中心です。

家族サービス第1日目

2005年12月30日 | プライベート
いよいよ本格的に休みモード。
年賀状はすべて書き終わりました。ついつい今年の元旦に届いた年賀状を見てしまうと時間が掛かります。光陰矢のごとしとは言い得て妙ですね。
玄関の清掃を完了させて、ほぼ大掃除も完了です。
午後からは特養のいる妻の祖母に会いにいきました。きれいな施設でゆったりと過ごしているのは微笑ましい感じです。人生を駆け足で駆け抜けてきたような祖母ですので、今はゆったりと時間が過ぎているようです。
合間に100円ショップに行って来て雑貨をそろえました。100円ならではの太っ腹感でついつい沢山買ってしまいますね。
そして遅い昼食へ。
娘の要望で久しぶりに焼き肉店へ。写真は入り口での記念撮影。とっても喜んでいました。BSEの問題があり料金は割高でしたが、味を堪能することができました。また沢山食べる娘の姿を見ると成長したと思ってしまいます。つい一年前は食が細くて心配ばかりしていましたが、もう安心して見ていられます。
夜は、パパのリゾットが食べたいとの要望で台所に立ちました。残りのご飯を利用してまぁまぁの出来栄えでした。こうして一日家族サービスができるのも一年のなかで暮れと新年の数日くらいでしょうか。
日頃の勤めが不規則なこともあり、土日も一緒にいることが難しいのですが至福の時とも言えます。
子育ても体力勝負と思うのは、あまりの子供の体力についていけない自分がいることです。
もうすぐ大晦日。明日はどんなサービスになるのか楽しみです。

29日 出張片づけ

2005年12月30日 | プライベート
恒例、妻の実家へ片づけに行きました。
毎年29日ですが、家族総出やっております。一年の疲れもあり結構大変でしたが楽しみでもあります。
終了後はみんなで食事に。回転寿司で満腹!来年に向かいます。

仕事納め『結局は人と人との付きあいが仕事』

2005年12月28日 | 仕事
本日28日をもって一年の仕事納めとなりました。
午前中はショッキングな情報が飛び込んできましたが、対応は来年に持ち越すことに決めました。持ち越して大丈夫なのかというよりは、持ち越してキチンと対応を練り上げないといけないほどの問題だったということです。う~ん来年は大変そうだ!と予感させられましたね。
午後は打ち合わせで一年いろいろあったと感じながら終了。
夕方からは今年一年お世話になった方々へ挨拶を始めました。一段落したところで、文章を書いております。
仕事の中身を振り返ると、人間関係が9割。お世話になったりお世話をしたり、時にはケンカしたり仲良くしたり。それでも理解者そして協力者を募って案件を進めないといけません。これが結構ストレスにもつながるんですよね。今年出来た円形脱毛もそのせいですが一人では何も成し遂げられません。
いかに人と仲良くなるのか、来年以降も大きな課題です。

オリンピック『大人の事情』2

2005年12月27日 | プライベート
渡部女史はそのころ、プリンスホテルの営業している品川アイスアリーナというところがあり、よく練習をしていたようです。
次世代はみなさんも記憶にあると思うジャンプの伊藤みどりです。この人は名古屋を練習場にして台頭してきました。一気にフィギュアのジュニア世代は名古屋に集中し始めます。
確か伊藤みどりのお兄さんはアイスホッケーをしていて同世代だったと思います。国体に愛知県代表であったと思います。
この伊藤みどりは西武にはなびきませんでした。ご存じのように名古屋はトヨタ自動車がありますからスポンサー探しには困らないのです。
この次の世代からは八木沼、佐藤と続いていきます。佐藤は世界選手権のチャンピオンですから全米では大人気になりましたね。今でもプロとしてアメリカにいろのでしょう。
長く書きましたが競技を続けてゆくには莫大な資金と整った施設が必要なんです。北海道は室外のリンクがありますから、スピードスケート選手がいますがフィギュアの選手は育っていません。
これとは対照的に室内のリンクと資金が充実している名古屋の時代になってきているんです。浅田真央も伊藤みどりを指導したコーチについていることでもわかります。
オリンピックに関して言えばロサンゼルス五輪あたりから商業用イベントになっていますので、選手の成績はもちろんですが、選手の使用する道具やユニホームに入るロゴなども大激戦で提供していますよね。
アイスホッケーにしても有望な選手には道具などの支援もありました。
ずいぶんと脱線しますがマラソンの高橋にも何億円も支出するスポンサーが付くのも、マラソン好きの人へ商品が広がるからなんです。
今回のフィギュアでは、ロッテ、パナソニック、トヨタと大会前からCMに五輪候補になった三選手が出てしまっているフライングがなければ不自然さから逃れることもできていたでしょう。
会場になった代々木では、最後に演技した安藤の出来が悪すぎて観客は引いてしまっていたようです。当人もあきらめて原宿に遊びに行っていたのですから、自分の実力は自分がよくわかっているんです。世界レベルではないことを。

オリンピック『大人の事情』その1

2005年12月27日 | プライベート
フィギュアスケート女子のオリンピック代表選手が決定しましたね。
ネット上では“出来レース”という感想を綴っている方が多いようです。そのなかでも辛辣なのがスポンサーからの圧力と表現しているものです。
もちろん反論はありません。しかしながら青春時代にアイスホッケーをしていた自分としては、若干は内部事情が分かっているので思い出話と併せながら進めていきます。
まずはスケート選手が練習できる場所が非常に限られていることです。特に室内競技であるフィギュアやアイスホッケーなどはリンク場が無ければできません。
そしてそのリンク場の維持管理に莫大な費用がかかってしまうのです。一般開放して入場料を取っても赤字。営業時間外にリンクを貸し出しても大した額にはなりません。
一方競技をする側はリンクを借りるのにお金がかかります。また本格的に競技に参加しようとすればお金が必要になります。
このような背景があるのかで、特定の企業しかアイスホッケーの実業団チームを維持することができません。自分のころはまだ“西武鉄道”と“コクド”という堤義明率いるアイスホッケー好きがいましたが、彼が第一線から引いた現在の低調さはちょっと残念な状況です。もちろんオリンピック出場など夢。競技人口も減少しているようです。
自分がホッケーを始めたのは同級生に声を掛けられたからで、彼の父上はなんと“オリンピック選手”だったのです。数十年前は日本も強かったんだそうです。そんな同級生の勧誘を受けてどっぷりはまってしまったのです。
『大人の事情』も体験しました。高校国体の選抜チームの選出が行われたのですが、私は落選、同級生は選抜されました。これは別に気にならなかったのですが、彼が国体から帰ってくると『全然知らないやつが3人もチームに入ってたんだ』と教えてくれたんです。
後から聞くと連盟の子息や関連企業(スケート場を持ってる会社)の重役のせがれだったんです。自分の体験はどうでもいいのですが思い出したので・・・
フィギュアの方はもう少しドロドロ。
人気が出たのは『渡部絵美』(古いなぁ)の登場。世界的に通用する選手で華があったんです。今はタダのでっかいおばさんになっていますが。
この人に群がる大人の戦いに勝利したのが、堤義明率いるプリンスホテル。その後のオリンピックや世界選手権なども渡部中心に展開しました。それもそのはずで、専用のリンクはある金も出してくれるのです。その代わり彼女は●●を捧げるんですから命がけですよね。(おっと、打ち合わせに行かないと。続きはまた後で)