鳩山由紀夫・民主党幹事長の政治センスの無さに呆れるばかりで、またこのポスターを使うことにしました。呆れた原因はTBSの番組で以下のことを語っていたからです。読売新聞<山崎・加藤両氏に「決起」促す…民主・鳩山氏が17日>
<引用始め>
民主党の鳩山幹事長は19日午前のTBSの番組で、自民党の山崎拓・前副総裁、加藤紘一・元幹事長らと17日に会った際、安倍官房長官が首相になった場合は、アジア政策での食い違いなどを理由に野党と連携して政変を起こすよう呼びかけたことを明らかにした。
鳩山氏によると、同日の「国立追悼施設を考える会」の主要メンバーによる会談で、「安倍さんが首相になり、若手に(政権が)引き継がれていけば、戦争責任の話が消え、アジアとの関係もますますおかしくなる。ならば、もう一度、決起されてはどうか」と促したという。加藤氏らが2000年11月、当時の森首相に退陣要求した「加藤の乱」を踏まえた発言だ。ただ、鳩山氏は、両氏からは前向きな返答はもらえなかった、としている。
<引用終わり>
小泉首相の靖国神社参拝を批判する加藤紘一の山形県の実家と事務所が、右翼団体構成員により放火された事件が起こりました。しかし政府・与党からこの事件に対する強い批判の声が高まらないことにつけ込んだのでしょうが、鳩山幹事長の軽はずみな発言は、さすがに加藤紘一も呆れたのではないかと思っています。
加藤紘一HPには以下のようなコメントがありました。
<引用始め>
今の状態を例えるなら、いきなり後ろから殴られて、膝をついたような状態とでもいうのでしょうか。しかし、決してこのまま倒れ落ちることはありません。立ち上がって歩き続けます。
今回のことは悲しく許せないことですが、私は政治家ですから、信じていることは今後も発言し続けていきます。
<引用終わり>
「いきなり後ろから殴られて、膝をついたような状態」の自民党議員に対して、「もう一度、決起されてはどうか」と促したことに驚きを覚えます。そして鳩山由起夫が「加藤の乱」で失敗したことを思い出しました。
「加藤の乱」を振り返ってみると、小渕首相が倒れてから森首相を経て小泉首相に政権に移る過程のなかで、平成12年(2000年)に第2次森喜朗内閣打倒を目指して与党・自由民主党の加藤紘一・山崎拓らが起こした出来事でした。
「長いドラマの始まり」・「100%勝つ」と勇ましい発言をしていた中身は、野党の不信任案に同調しての倒閣宣言でした。もともと唐突な感が強かった「倒閣宣言」で、発言した場所はマスコミ関係者らとの酒席だったそうです。
加藤紘一が勢い込んで倒閣を訴えたところまではいいのでしょうが、不信任案賛成という切り札をいきなり切る拙劣さが露呈してしまいます。しかも離党はしないという中途半端な態度でした。それでも盟友山崎拓が呼応し、小沢一郎、菅直人たちを巻き込んで政界再編なるかという局面でもありました。
しかし野党側の足並みが揃いませんでした。自民党内で起きた「加藤の乱」につけ込みたい小沢一郎。この時は自由党党首で、民主党の代表が鳩山由紀夫でした。鳩山由紀夫の優柔不断さが逆に野党側にも隙を作り、自民党を助けることになってしまいます。
小沢一郎は、金曜日に不信任決議案を提出するよう民主党代表の鳩山由紀夫に主張しました。この金曜日に提出すべき!という理由は、週末議員が地元に戻り、後援者から不信案への対応を考え直すように説得される可能性が考えられるためでした。しかし鳩山由起夫は、小沢からの提案を受け入れることを嫌がってしまい不信任案を月曜日に提出、結果的に加藤派所属衆議院議員の半数は、時の自民党幹事長・野中広務や古賀誠らにより切り崩されてしまいました。このとき小沢一郎が地団駄を踏んだのは間違いありません。その後、小沢一郎は菅直人しか相手にしなくなってしまいましたから。
6年前に犯したミスを取り戻したい鳩山由紀夫。ちなみに「加藤の乱」の後、加藤紘一自らが「私は自民党内部での変革を望んでおり、国民は自民党を超えた政界の変革を望んでいた。これが大きな誤算だった」と言っていたことを忘れてはいけません。仕掛ける政治家の癖を覚えていないと、またミスを犯しますよ。鳩山幹事長!
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