上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海鳥瞰図(2):浦西の巻

2010年09月15日 06時30分49秒 | 上海街角スナップ
目指すお店は38階で、39階は超高級レストランなの、お間違えのないように。

南側に見える西蔵南路の表通りは、道路の拡幅ですっかり綺麗に変わってしまいましたが、その後ろにはまだ古い低層住宅がびっしりと並んでいます。

林の辺りが老西門で、上海城の城壁だった中華路も見えます。

東側に人民路から浦東に渡る隧道の入り口が見えます。

高層ビルが林立する部分が浦東で、浦西側とは景観が異なります。

国際フェリーターミナルに白い船が停泊していますが、黄浦江が東に蛇行する部分で、虹口区になります。

白い船の手前に外灘の税関ビルの時計台が見えます。

北側の西蔵中路方面で、人民広場が見えます。


延安東路の高架の手前に、中庭に屋根をかける改装中の「大世界」が見えます。

その手前の茶色の建物は「青年会賓館(旧YMCA本部)」です。

西蔵南路の西側にある上海音楽庁(旧「南京大劇院」)です。租界時代の場所から東へ建物ごと移動しました。


人民広場の中央の白い建物が「上海市政大厦」で、左が「上海大劇院」右が「上海城市計画展示館」です。

手前側の丸いビルが「上海博物館」です。万博へ貸出し展示している物もあるかもしれませんが、入場無料で中国5000年のお宝が見れるのはたいへんお徳です。

「上海市政大厦」と「上海大劇院」の間に「上海美術館」の時計台が見えます。租界時代は競馬場のクラブハウスでした。


西側には延安路高架路と南北高架路の立体交差が見えます。

上海市内中心を十字に走る大動脈で、いつも渋滞が激しい場所です。

南側の上海時代広場の奥はまだ古い住宅が残っています。



夜はお酒を飲みながら、夜景を眺めるのもいいかもしれませんね。


応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海鳥瞰図(1):浦東の巻

2010年09月14日 06時16分44秒 | 上海街角スナップ
53階から87階まではグランド・ハイヤットホテルとなっていますが、ロビーからも西側を眺望できます。

ロビーの横から、更にエレベーターを2つ乗り換えて87階のレストランへ行きます。

西側眼下に東方明珠電視搭と陸家嘴金融街が見ます。

また高層ビルが建築中です。

黄浦江の向こうに外灘が見えます。


南側黄浦江の上流が万博会場です。

地平線近くまで見えることは珍しいですね。

南浦大橋の向こうに中国館が見えますね。

万博開催中は市内の建設工事を全て中断させていますので、大気もすっかり綺麗になったようです。

こちらは北側、黄浦江の川下です。

高層マンションの谷間に、びっしりと中層住宅が並んでいます。

古い住宅の外壁は、ほとんど塗り替えられたようです。

地平線近く、船が見えますので恐らく長江のようです。

赤い橋は楊浦大橋です。

左岸の楊浦区と右岸の浦東新区を繋ぐ大動脈です。

左手遠くは中国第3番目に大きな、長江の河口にある崇明島かもしれません。

野鳥など自然の宝庫で、今では2本の橋で繋がり観光地になっています。

撮影:CANON PowerShot G9

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村




上海街歩き:豫園ファンシー小物問屋街

2010年09月13日 06時00分27秒 | 上海街角スナップ
店の前の様子ですが、ビルに小さな個人商店が雑居しています。


通りのお向かいの中国風建物にも10元ショップが並んでいます。


ビルの中に入ってみましょう。


通路は人がやっとすれ違えるくらいの広さです。


間口1m位の店が、恐らく何百と出店しているのでしょう。


玩具や文具や縫いぐるみなどなど、さまざまな商品の専門店となっています。


携帯電話のストラップを探しました。


最近は中国アニメのキャラクターが人気のようです。

まとめ買いをすると値切れます。

人民広場や南京東路の露天商などは、ここから仕入れているのかもしれません。


著作権問題も何のその。

ファンシーグッズ問屋街は今日も大繁盛。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海歴史散歩(2)浦江飯店:華夏第一西飯店

2010年09月12日 06時16分00秒 | 上海優秀歴史建築
外灘から北へ進み蘇州川を渡ると虹口区ですが、当初アメリカ租界で後に共同租界の一部となり、歴史的建造物もまだ多く残っています。

浦江飯店は1846年、英国人船長アスター・リチャードが創業した「リチャード・ホテル」が前身です。

蘇州川にまだ橋が無い頃で、辺りは漁民が網を干すような荒地で、土地代も安かったそうです。

当初のホテルは木造2階建ての東インドシナ風でしたが、開業後の経営は不振だったそうです。

1856年に蘇州川に木造の橋が架かり、それ以後客数も増えました。

1860年には英国人某・スミスに転売され、「アスター・ハウス・ホテル」と改名し経営は改善されたそうです。

上海で最初の外国人旅行者専用ホテルで、客室以外にもビリヤード場・バー・ダンスホール・ポーカー室も完備していました。

1階大広間では外国劇団の歌舞・演劇、1882年にはサーカスまで催されていたそうで、当事の繁栄ぶりを思い起こさせます。

1906年には旧館の裏にレンガ造り英国風5階建て、建築面積8,100m2の現「金山大楼」を増設しました。

更に翌年には旧館を撤去し、現存の鉄筋コンクリート造り6階建て、建築面積15,011m2の新館を建築しました。

3階の広間は天井から陽光が降り注ぐ吹き抜けになっており、ホテルの歴史を展示する空間になっています。

歴代の貴賓の写真パネルが、その歴史の長さを誇らしげに語っています、

アメリカ元大統領グラントと物理学者アインシュタインの写真です。

左は喜劇王チャップリンの若かりし頃の姿です。彼は1931年と1936年の2度、上海へ来訪しています。

彼は1889年生まれですから、1936年の頃は40代後半ですね。

4階に上がってみましょう。


410号室は1879年に元アメリカ大統領、南北戦争の英雄グラント将軍が泊まった部屋です。

ホテルは建て代わっていますので、恐らく当時を復元したものでしょう。

404号室は1936年、チャールズチャップリンが宿泊しました。

2回目の来訪は3人目の妻との世界一周新婚旅行の途中だったようです。その前後、その年の2月と5月に2度目・3度目の来日もしています。

1920年代、香港に本部を持つ香港上海大酒店公司に併合されました。中華人民共和国成立後の1959年に上海市が管理し、浦江反転と改名されました。

3階にはロビーの右手のエレベーターもしくは階段で上がれます。エレベーターガール(おばさん)に階数を伝えると、快く答えてくれます。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村




上海歴史散歩(1)「外白渡橋」:名前の由来は?

2010年09月11日 06時03分08秒 | 上海優秀歴史建築
1848年、渡し舟しかなかった蘇州川に英国商社怡和洋行らが共同出資で「蘇州川橋梁公司」を設立し、長さ137m、幅7mの木造橋梁を架設しました。

当初、1人銅板1枚、馬や車は2枚の通行税を徴収していましたが、1863年にアメリカ租界が英国租界と合併され共同租界となり往来が増えたので、通行税を2倍に値上げしました。

しかも中国人だけに課税したので、市民が憤慨し抗争となりました。

某広東人が「義渡(無料の渡し舟)」を始め、当局に対し抗議を示しました。市民はこれを歓迎し「白渡」と呼んだそうです。

抗議に屈したのか1873年、租界当局は下流側に無料の幅11mの木製浮き橋を設置しました。

当初「公園橋」と呼ばれていましたが、何時の頃からか「外白渡橋」と呼ばれるようになったとか。

その後「蘇州川橋梁公司」の橋は租界当局が買い取り撤去しました。1907年、路面電車を通すために鉄橋に架け替えられました。

橋を渡ると黄浦区から虹口区になりますが、左は「北蘇州路」、真直ぐは「大名路:ブロードウェイ・ロード」、右へ曲がると「黄浦路」です。


左手は上海大厦。当時は通りの名前から「ブロードウェイ・マンション」と呼ばれていました。

右手はロシア領事館とその北側が「礼査飯店(リチャード・ホテル):浦江飯店」です。

どれも優秀歴史建築に指定されていますが、次の上海歴史散歩の目的地は「礼査飯店(リチャード・ホテル):浦江飯店」にしましょう。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海街歩き:芸術村「田子坊」

2010年09月10日 06時15分32秒 | 上海街角スナップ
写真は3つある泰康路の入り口の一番東側です。



建国路からも1箇所入り口があります。

最寄り駅は新しく開通した地下鉄9号線「打浦橋駅」で、4号出口を出て数分です。

南北の3本の道がメインですが、迷子になりながら歩くのも楽しいものです。

日本の下町の飲み屋街「○○横丁」を思い出させます。


有名な「新天地」は全て再建ですが、こちらは住民が住むそのままの建物を店舗として使用しています。


この雑然とした雰囲気が人を寄せ付け、リラックスさせますね。


何度も足を運びたくなる不思議な魅力があります。


狭い通路にテーブルを並べて、屋台で食べる雰囲気ですね。


洋風との新旧折衷がお洒落で、なんともいえない良さですね。


写真家のギャラリーもあり、中で作品を見て、写真集やパネルを購入することもできます。

少数民族や上海の古い住宅の写真など、なかなか見ごたえがあります。

気に入った料理や、お土産が手に入るでしょうか。


歴史と政府指定のプレート。


応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

蘇る外灘源(5)南蘇州路を東へ

2010年09月09日 05時49分54秒 | 上海街角スナップ
蘇州川に架かる1927年竣工の乍浦路橋は優秀歴史建築に指定されています。

以前は1873年架設の木造の橋があったそうです。橋を渡ると虹口区で乍浦路となります。

左手上流に見える時計台のある大きな建物は、優秀歴史建築にも指定されている郵政大厦です。

内部は郵便博物館になっていますので、また別の機会にご紹介しましょう。

右手下流方面は黄浦江と合流します。左手上海大厦と外白渡橋、黄浦江の対岸浦東が見えます。
 

虎丘路と南蘇州路の北西角は1925年建造の旧英美煙公司です。

1902年に英米合資でロンドンに創設されたタバコ会社で、翌年に浦東へ工場を建設し生産を始めました。

日中戦争前は中国の紙巻タバコの70%を生産していたそうです。

1999年に優秀歴史建築に指定されています。

圓明園路との北東角の教会は新しく建築されましたが、協和礼拝堂(ユニオンチャーチ)を復元したものと思われます。

協和礼拝堂は1864年に建設され、1901年に増築されました。2002年頃には古い建物がまだ残っていました。

その北側の建物はこれも復元建設中ですが、「蘇州路水浴場」でしょう。


1905年に開設された外国人用のプールで、4コースのプールがあったようでねす。


この建物も復元のようですが、「女青年会寄宿舎:YWCA」と思われます。左は旧英国領事官邸です。

上海基督教女青年会は1908年に創設されましたが、現在上海には10箇所の活動拠点があります。

再開発が完成すれば、外灘の歴史がストーリーとして繋がります。

これから外白渡橋を渡って虹口区へ向かいます。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

蘇る外灘源(4)外灘美術館

2010年09月08日 05時28分38秒 | 上海街角スナップ
建物の内部を見たいので、入館料15元を払って入館しました。

北隣の古い建物は撤去され、駐車場になっています。

ちょうど東側には工事中の圓明園路の建物が見えますね。

入り口は道路と反対側でしたが、建物の外観は現代風ですね。



小さな美術館ですので、全館個展となっていました。先ず、エレベーターで5階へ上がります。

4階と5階が吹き抜けになっています。
 

6階のペントハウスは喫茶室になっています。

階段を1階ずつ下りていきます。


係りの人に写真撮影が可能か聞いたら、ストロボ発行しなければOKだそうです。


係りの人に、象牙は「本物ですか」と聞いたら「偽物です」と答えが返ってきました。


油絵ですが、H250cmxL1050cmの大作です。




湖北省武漢出身の46歳男性作家でした。



立派なパンフレットや、上海の美術館便りも無料でいただけました。
上海の美術館に興味がある方は「上海美術館」以外にも新しく「M50」「田子坊」「紅坊」などもできていますので、参考にしてください。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

蘇る外灘源(3)虎丘路を歩く

2010年09月07日 06時20分32秒 | 上海優秀歴史建築
北京東路から右(北)へ曲がります。

円明園路の1本西の通りになります。

虎丘路20号「亜洲文会」です。

英国王立亜洲文会(1823年創設)北中国支会が図書館に併設して建築、1932年に竣工しました。

今回の再開発で、新しく「外灘美術館」となりました。

本来も生物標本の博物館だったそうです。

優秀歴史建築に指定されています。


虎丘路128号「広学会大楼」。広学会は英国長老会伝道師が1887年に上海に創設した「同文書会」が前身です。

広学会は基督教各宗派が参加する全国最大の出版機関で、宗教関係以外にも歴史、科学、法律、政治、商業、文学など、出版物は多岐にわたりました。

時の清国光緒皇帝が変法準備のため購入した西洋新学の書籍129冊中、89冊が同会の出版でした。

同会が発行する<万国広報>は清国の王族や大臣にも読まれ、開国派に多大な影響を与えました。

1932年建築の9階建て建物は、優秀歴史建築に指定されています。


虎丘路131号「青年協会大楼」、国際基督教青年協会が建設1920年に竣工しました。

中華基督教青年教会は1895年に創設、上海青年会は5年後に創設されました。

布教活動や識字教育活動、孤児院等の社会活動に利用されました。

今でも「虎丘公寓」住宅として使用されています。

優秀歴史建築に指定されています。

当事のアメリカの住宅に倣って、水道ガスも完備と記載があります。

虎丘路146号「光陸大劇院」(キャピトル・シアター)は1927年建造の9階建てです。

租界時代はパラマウントのトーキー映画の封切り館が在って、魯迅も家族連れてミッキーマウスの映画を見たそうです。

優秀歴史建築に指定されています。

次回は「外灘美術館」のご紹介です。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村




蘇る外灘源(2)圓明園路を歩く

2010年09月06日 06時35分00秒 | 上海優秀歴史建築
南側の北京東路方面。



圓明園路97号「安培洋行」1908年建造、優秀歴史建築に指定されています。

 


北へ古い建物が続きます。



通りの東側はペニンシュラー・ホテルと旧英国領事館です。



「圓明園公寓」


少し古い写真を見ると、最近まで住宅として使用されていたようです。

圓明園路133号「中華キリスト教女青年会」。優秀歴史建築に指定されています。




 


「哈密大楼」



「協進大楼」



圓明園路185号「蘭心大楼」。優秀歴史建築に指定されています。


 
最近までチャータード銀行浦西分行が使用していました。



圓明園路209号「真光大楼」。優秀歴史建築に指定されています。



モデル撮影地としては雰囲気ありますね。

 


租界当時の情景が蘇ってきますが、それぞれの建物がどのように再利用され、開放されるのか楽しみです。

蘇る外灘源(1)圓明園路へ

2010年09月05日 05時21分13秒 | 上海街角スナップ
上海との関係が古い香港のペニンシュラーホテルの開業に伴い、この地区の再開発が進んでいます。黄浦区の最重要大型案件のようです。

外灘から北京東路を西に進みます。


左手に大型の赤レンガの建物がありますが、旧「圓明園酒家」です。優秀歴史建築には指定されています。

外装が新しくなりましたが、詳しい情報がほとんど入手できません。今は窓だけディスプレイし、まだ空き家のようです。

道路右側が新しく開業したペニンシュラーホテルの正面玄関です。外灘側にも出入り口があります。(写真右の古い建物は「格林郵船大楼」)

上海との古い関係は、また別の機会にご紹介します。

右手から円明園路が北へ走ります。


今は再開発が完了しておらず、案内板の表示もありませんが、徒歩での通り抜けはできます。

次回は圓明園路を北へ歩きます。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海万博の夜景(3):噴水ショー

2010年09月04日 06時00分28秒 | 上海街角スナップ
先ずは、少し離れた場所から「倒影」噴水です。

こちらでは「音楽噴水」と名付けられています。


大音響の音楽にあわせて噴水が変化します。


実演時間は15分、1日3回の実演がありました。


曲は変わり、2つのパターンがありました。


次回は三脚持参で再挑戦です。


応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海万博の夜景(2):倒影

2010年09月03日 06時10分12秒 | 上海街角スナップ
日本では河口湖に写る「逆さ富士」が人気ですが、中国でも水に映る景色を「倒影」と呼び好まれるそうです。

上海万博では水鏡を造り、夜景が逆さに映るように計算され造られています。

今回、三脚を持参しなかったので、全て手持ち撮影となりました。

撮影モードはP、ISOをオートにしました。

子供の顔がアニメーションになっています。

ISOが3200、SSが1/50程度の設定になりました。


花火撮影と同じように、有る程度遅めのSSで撮影したほうが良かったですね。


流石に画質が悪くなりましたので、次回は撮影モードをTvでSS1/15にしてみようと反省しています。

ここは万博中央を南北に貫く「世博軸」で、閉会後も保存されます。夜景のシステムも保存されるといいですね。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海万博の夜景(1):黄浦江

2010年09月02日 06時03分39秒 | 上海街角スナップ
上海万博は旧市街の南部、黄浦江の両岸が会場となっています。

会場は左手上流の濾浦大橋、右手下流の南浦大橋の間で、この辺りは黄浦江が東西に流れ、北側が浦西地区、南側が浦東地区となります。


万博会場となる前は造船所や製鉄所があり、工場地帯でした。


万博閉会後もここ中央の「世博軸」は保存されるらしく、黄浦江の畔も新しい観光スポットになりそうですね。


右手に古い火力発電所の煙突を温度計にしたものが見えます。


北側対岸も、閉会後に新しい観光施設が出来るとの噂です。

外灘に負けないくらい、新しい夜景撮影のポイントになりそうですね。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村

上海街歩きを極める(2)上海の土地勘

2010年09月01日 06時13分44秒 | 上海街角スナップ
地図を全部憶えるのは大変ですから、頭の中に漢字の「田」の字を思い浮かべて主要な道路だけ覚えてください。

1画目は左の縦棒ですが「中山西路」にします。市街中心部からここまで徒歩ではちょっと無理です。

租界も最終的にはこの辺りを越えて拡大しました。欧米人のゴルフ場跡が今の上海動物園で、別荘などに使用されていた優秀歴史建築も散在しています。

2画目の上の横棒は「蘇州川」でいいでしょう。蘇州川の北岸は現在の虹口区で当初米国が租界としましたが、後の1863年に南の英国租界と併せて共同租界となりました。

かつては日本人が10万人も住んでおり、小学校から女学校・商業学校、お寺や神社までありました。魯迅など革命思想家が中国官憲を逃れて転々とした場所でもあります。

右の縦棒が「外灘:中山東路」で、「浦西(プーシー)」と呼ばれる旧市街の東の端です。

黄浦江に面しており、その対岸が新市街の「浦東(プートン)」です。

3画目の真ん中の縦棒は「西蔵路」です。当事は運河があり、初期は英国租界の西端でしたが、後に徐々に租界が西へ拡大していきます。

今では人民広場など市街中心部を南北に貫通するメインストリートです。

4画目の真ん中の横棒が「延安路」で、市街の中心を東西に走る高架道路があります。フランス租界と英国疎開の境界でしたが、当事はここも運河でした。

今では中心部をを東西に貫く一番のメイン・ストリートです。

5画目最後の下の横棒は「中山南路」でいいでしょう。

この辺りは黄浦江が西に蛇行しており、南北両岸が万博会場になっています。租界に含まれない「華界」と呼ばれていました。上海の下町で、老上海がまだ少し残っています。

この「田」の字の外周は、旧市街地(浦西地区)ではほぼ軌道交通環状線(4号線)の浦西部分と同じですので、地下鉄を上手に利用すれば今では徒歩圏内ですね。

応援ポチを宜しくお願いします。--->にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ にほんブログ村 写真ブログ 海外風景写真へにほんブログ村