上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

行く年来る年:JR博多シティのイルミネーション

2011年12月31日 06時00分21秒 | ふるさとの風景
市内の買い物は天神地区と博多駅地区に大別されますが、今年は博多駅地区に軍配が上がったようです。


阪急デパートや東急ハンズなどの出店やグルメ街の充実で、旅行客だけではなく、買い物客の流れも変化したようです。

クロスフィルターを付けてみました。

イルミネーションの規模を見ても、博多駅地区が一番のようでした。

来年も良いお年をお迎え下さい。

平野國臣:当仁ウォーキング(1)

2011年12月28日 06時57分30秒 | ふるさとの風景
薩摩や長州が「幕藩体制の呪縛」に囚われていた頃、すでに彼は「幕府滅亡・日本統一」の理論を完成させていました。

彼が福岡藩の獄へ繋がれていた時に「こより文字」で著した藩主宛「許可嘆願書」は、野村望東庵らの命がけの努力により、現在に伝えられています。

また、近年の発見で彼の薩摩藩に対する建白書「尊攘英断録」や「回天管見策」が明治以後、改ざんされていたことが分かりました。


維新の勝者である薩長土肥以外に功労者は必要ではなかったのです。

「西郷吉之助と勝麟太郎の対談において共和政治が話題となった」と伝えている歴史も、実は國臣が二年も前に牢獄において「こより文字」で論を展開していたことも分かりました。



これは中央区舞鶴公園の鴻臚館発掘現場のフェンスにある平野國臣のパネル。



同じ中央区西公園には大正時代に建てられ、先の大戦中に金属供出のため取り壊された彼の銅像が再建されています。



実際に江戸で黒船を見、長崎で外国人と接した経験より生まれた思想は、大久保利通らとは15年先を進んでいました。



外国人から買い付けた武器を使い、同じ日本人同士が争う内戦を最後まで避けたいと考えていました。


生まれて来るのも、去っていくのも早すぎた一生でした。
この後も福岡藩は藩政の混乱で自ら多くの英傑を失い、維新から遅れていきます。

母里太衛兵:黒田二十四騎の一人

2011年12月26日 06時07分21秒 | ふるさとの風景
槍の由来が掲示されています。


実物は福岡博物館に現存するそうです。

天神2丁目の屋敷跡の碑。



福岡城内には母里太衛兵屋敷門も移設復元されています。



屋敷門の由来です。



舞鶴公園にある二十四騎の紹介。



こちらは博多人形師が作った母里太衛兵像。


中段左から4人目。黒田二十四騎の一人でした。中央の兜は藩主のあの水牛の兜ですね。

大手門1丁目にある銀行本社のロビーに展示してあります。

Merry X'mas:天神光のファンタジー

2011年12月24日 06時40分40秒 | ふるさとの風景
ここ、天神地区では博多駅地区からの客足奪回に、今年はイルミネーションもバージョンアップしています。



都心の小さな公園は夜ともなれば華やかなクリスマス雰囲気に包まれます。



買い物帰りの散策に葉もってこいの立地です。



小さな野外スケートリンクも客寄せに一役買っています。





まだあった猿田彦大神の碑:警固ウォーキング(3)

2011年12月21日 06時26分53秒 | ふるさとの風景
一つ目は上人橋通りよりも西側、警固と薬院の境に位置します。

ちょうど警固の丘陵より東側の裾にあたります。

裏には「寛政(1789-1800年)」年間の文字が読み取れます。


上人橋通りの猿田彦の石碑よりも50年以上古いことになります。

二つ目は上人橋通りよりも東側、今泉1丁目と2丁目の境にあります。
 



ほとんど魚屋さんの軒先です。

 


こちらも裏には寛政年間の文字が読み取れます。


3つの道祖神は東西にほぼ1直線に並んでいますが、位置的に何か関連があったのかもしれません。

上人橋通りの猿田彦神の石碑:警固ウォーキング(2)

2011年12月19日 06時29分24秒 | ふるさとの風景
日本神話に出てくる猿田彦神は「交通安全」や「方位除け」の神だそうです。


有料駐車場の片隅のわずかな敷地に残っています。


この辺りが福岡城下から南へ下る街道筋だったのでしょうか。

地元の方でしょうか、こちらもきれいに清掃が終わっています。


住民の方々の篤信が感じられます。

裏には幕末の「安政5年」の文字が読み取れます。


西暦1858年、井伊直弼による「安政の大獄」が始まった年です。

味噌食い地蔵:警固ウォーキング(1)

2011年12月17日 06時22分44秒 | ふるさとの風景
地蔵尊の入り口は民家の隙間にあり、注意しないと見落としてしまいそうです。


この狭い石段を上がっていきます。


ちょうど地元の方が清掃をなさっていました。


地蔵尊の由来が詳しく書いてあります。

悲惨な歴史と地元の方々の篤信が感じられます。

1732年に西日本に発生した享保の大飢饉は江戸時代4大飢饉の一つと言われています。

西日本各藩の餓死者の合計数は12,000人、250万人が飢餓に苦しんだと記録されているそうです。

博多の町は人口の1/3にあたる約6千人が餓死したと伝えらる甚大な自然災害でした。

市内の他の場所にも「飢人地蔵」として残っています。



望東庵ゆかりの兜:黒田長政愛用の水牛の兜像

2011年12月14日 06時29分27秒 | ふるさとの風景
望東庵の実家浦野家のご先祖は戦国武将で、黒田家へ仕える時に藩主へ献上したものだそうです。

藩主より浦野家にはお返しにその兜の複製品を賜り「家宝」としていましたが、望東庵が少女の頃実家が火災に遭い消失しました。
その頃の逸話が残っています。
火災の時、急ぎ帰宅した彼女の第一声「水牛の兜は如何に」が藩主に伝えられ、「さすが武家の子女」と藩主より褒めの言葉があったそうです。
彼女にも戦国武将の熱い血が流れていたのですね。

この像は母里太衛兵のご子孫の方の寄贈のようです。

母里太衛兵についてはまた別の機会にご紹介します。

広田弘毅像:落日はまた昇るのか

2011年12月12日 06時04分03秒 | ふるさとの風景
福岡市立大名小学校、高等小学校、県立修猷館卒業後上京し一高、東京帝大法学部政治学科を経て明治38年の外交官試験を受験しますが英語で失敗。その才能を惜しまれて1年朝鮮総督府勤務、翌年主席で合格し外務省入省。同期入省に吉田茂がいます。



外交官時代は清国北京公使館付外交官補を振り出しに、ロンドン三等書記官、本省課長などを歴任後、昭和2年オランダ公使、昭和5年ソビエト連邦特命全権大使を勤めています。

昭和8年外務大臣、2.26事件の昭和11年総理大臣、翌12年に内閣総辞職。翌年6月には再度外務大臣となり翌13年には辞任。
政権が次々と変わり、軍部の独走で戦争へと突入する困難な時代に外交を任され、東京裁判では沈黙を貫き死刑となりました。

生家の碑が天神の裏通りにひっそりと建っています。

その時代、平民出身でありながら学歴立身出世の典型と知られました。

父は石工で、東公園の亀山上皇像の銘板に父徳平の名が刻まれているとか。


彼の伝記、城山三郎著「落日燃ゆ」では当時の困難な時代背景が描かれています。
平成の現在、国内はFTAなど外交問題でも世論が2分されています。
困難な政治的課題山積の日本、果たして落日はまた昇るのでしょうか。

7/30記事「博多区御供所町辺り(2)聖福寺」は彼の菩提寺となっています。

もう一つの菅原神社:赤坂ウォーキング(2)

2011年12月10日 06時21分04秒 | ふるさとの風景
村の鎮守様にしては立派な造りですが、由緒書きはありません。。


立派な狛犬も揃っています。



苔むした扁額に「天満宮」の文字が読み取れます。


おそらく、当時は尾根伝いに街道があり、「菅原道真公が立ち寄った」とかの縁があるのでしょう。

古い鳥居の年号は文字が不鮮明で「天○六年」しか読めませんでしたが、新しい鳥居は昭和9年の建立となっています。


道真公由来の神社はこれで5社めの掲載です。

野村望東尼誕生の地石碑:赤坂ウォーキング(1)

2011年12月07日 06時17分59秒 | ふるさとの風景
ケヤキ通りを西に進み、護国神社の三叉路を六本松方面へ曲がり、すぐ料亭の横の急坂を昇ります。


1806年生まれ、幼名「もと」。生家は300石の福岡藩士だったそうです。


江戸時代、この辺りは御馬屋後(おんまやのうしろ)と呼ばれており、中級家臣達が住んでいた地域ようです。

すぐ近くに同時代の勤皇の志士「月形洗蔵居宅跡」の石碑もあります。

彼は1828年の生まれ、馬廻り役でしたが藩主に尊王論を建白し家禄没収となり、幽閉されました。

後に勤王派家老「加藤司書」の進言により、彼も復権しました。


薩長同盟の起草や三条実美ら5卿の都落ちを下関まで出迎え大宰府へ案内しましたが、藩内の佐幕派の復権により1865年地行浜で斬首されました。

その、勤皇派家老「加藤司書公屋敷跡」は桜坂方面へ丘を下ったところにあります。



さすがに2800石の大身、敷地跡も広大です。


彼も佐幕派の復権で罷免され、36歳の若さで切腹しました。

福岡藩にはもう一人の幕末の重要人物がいます。
野村望東庵とも交流があり、彼女の歴史観に影響を与えた幕末の活動家「平野國臣」の史跡も取材を予定しています。

紅葉パノラマ:舞鶴公園

2011年12月05日 06時48分19秒 | ふるさとの風景
デジカメの利点の一つは、画像サイズや色合いを自分で設定できることですね。

1枚目の上下を切り取りパノラマサイズに変えてみましたが、サイズを変えると写真の印象がかなり変化します。

またCANONでは好きな色合いを「ピクチャースタイル」で簡単に設定できます。



秋の風景はピクチャースタイル「紅葉」で赤が更に鮮やかになります。



銀杏の黄色は「紅葉」では色合いが赤っぽくなりますので、いつもの「風景」に戻します。



ご近所の方も、ワンちゃんとの散歩の途中でシャッターを切っていますね。


来週はもう錦秋も終わりでしょうか。

カトリック浄水通教会:平尾ウォーキング(4)

2011年12月03日 06時09分30秒 | ふるさとの風景
大正12年に福岡市に上水道が設置された時、ここ浄水緑地に浄水用の池が設置されたそうです。

市内中心部の高台だったのですね。今は自然が体感できる小公園となっています。

さらに道を北へ下ると右手に立派な「カトリック浄水教会」が見えてきます。



教会の北側には昭和9年に完成した「福岡司祭館」があります。


平成19年に市の「第21回都市景観賞」を受賞しています。