上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

「博多旧町名歴史散歩」第9章-蓮池界隈(4):金屋町・横町 

2014年09月14日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
下記お知らせをお読みください。

1.上金屋町の大師堂
空海の木造立像がご本尊だそうです。
福岡大空襲では道路を挟んだ東側は罹災を免れました。戦後の復興事業で西側は道路(ふれあい通り)の拡幅で町は更に狭くなりました。

2.大師堂前にある上金屋町の碑




3.十三仏が見えます。



4.顎無地蔵尊


大きな仏像は「顎無地蔵尊」でしょうか。歯痛にご利益があるそうです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

お知らせ

2010年よりスタートした「上海下町写真館2010」は、画像ファイルが制限を超えてしまいましたので新しいアドレスへ引っ越します。

9月19日より「上海下町写真館2014」で継続しますので、お手数ですがブックマークの変更をお願いします。
                       
今後ともよろしくお願いします。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
haichaoluさんへ (上海・東京ベイビーのパパ)
2014-09-14 19:05:24
歴史有る太師堂が
戦災を間逃れて良かったです。
私の場合、肩こり腰痛にご利益有ると、
嬉しいのですが。(笑)

そういえば、李香蘭さんが
お亡くなりになられたそうです。
激動の時代を知る方が、
また逝かれてしまいました。
返信する
上海・東京ベイビーのパパさん (haichaolu)
2014-09-15 09:52:47

町内のお堂は医者代わりだったのですね。

終戦直後上海で中国人の反逆者と疑われましたが、ロシア人の友人が北京から日本人としての出生届を人形の中に隠し送ってくれたので、日本人であることが証明でき帰国できたそうです。
日中友好にはご尽力されていたそうですね。
上海の和平飯店のバーに彼女の女優時代の写真が飾ってありました。
返信する
haichaoluさんへ (上海・東京ベイビーのパパ)
2014-09-15 16:33:08
お堂は、お医者代わりだったかもしれませんね~。

それから、軍師黒田官兵衛では、宇都宮市を祭った
神社が紹介されていましたね。

あと、何度も和平飯店の前を通っていますが、
一度中に入って、見てみたかったです。

返信する
上海・東京ベイビーのパパさん (haichaolu)
2014-09-17 18:39:11

宇都宮氏を謀殺したのは官兵衛の汚点だったかもしれませんが、戦国の世では綺麗事は通じなかったでしょう。
秀吉も権力の座についてからはあまり評価できませんね。
子宝に恵まれなかったのが唯一の弱点だったのでしょうが、
官兵衛も関ヶ原の時は混乱に乗じ九州の各大名を攻めています。
関ヶ原を1日で決着させたことについて、長政を叱咤したそうで、彼も全国制覇をたくらんでいたのですね。
返信する
haichaoluさんへ (上海・東京ベイビーのパパ)
2014-09-17 19:13:21
秀吉の変貌ぶりを見ると、
権力って怖いですね。

官兵衛が天下を取れたかというのは、
戦国を語る上で最も盛り上がる
テーマの一つですね!

返信する

コメントを投稿