上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海ライブ2013:郵便博物館もある「上海郵政大楼」(2)-虹口区北蘇州河路

2013年12月30日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.江沢民の題字。彼は上海交通大学の卒業生でもあります。

2.2階は1200m2の郵便局フロアで、今でも郵便業務が行われています。す。



床はモザイクタイルが敷き詰められ、天井の装飾は宮廷式。両側に木製受付カウンターがあり、その豪華さは当時「極東一」と賛美されました。

3.同じ2階にある博物館入口。



4.中国の古代の郵便システムから順に現代にいたるまで、郵便の歴史が展示されています。



5.甲骨に掘られた手紙。(殷の紀元前16ー11世紀)


内容は辺境の部隊から本国への現状報告文だそうです。

6.秦代(紀元前221-206年)の軍隊の符牒。


右は皇帝が持ち、左は派遣部隊長が持っていたそうで、敵味方を識別する方法だったのでしょう。

7.展示フロアを出ると、建物中心部は吹き抜けになっています。



8.屋上庭園はまだ整備中だそうで登れませんでした。


屋上の塑造や外灘の景色が撮影できなくて残念でした。

9.吹き抜け1階には郵便列車や自動車・馬車などの展示があります。



10.出口近くには清代の郵便局が再現されていました。


屋上庭園が解放されてからまた来てみましょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2013:郵便博物館もある「上海郵政大楼」(1)-虹口区北蘇州路

2013年12月28日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.蘇州河の南岸から見た「上海郵政大楼」。
民国3年の1914年に万国郵便連盟に加盟した中国は、租界各国が独自の郵便事業を行っていたものを統一し、
1915年に「天津駅郵政大楼」、1922年「北京天安門広場郵政大楼」を建設し、1924年3番目の「上海郵政大楼」を建設しました。
上海にある13の全国重点文物保存単位の一つで、先の2棟は現存しませんので、上海郵政大楼は秀明期の中国近代郵便の歴史を語る唯一の生き証人です。

2.南側と東側には古代ローマ様式の巨大柱が再現されています。


地上4階地下1階建て、17世紀のイタリアバロック式風格の建築で東南角には高さ30mの尖塔が聳え、正面に直径3mのローマ数字の時計が今なお時を刻んでいます。

3.重厚な木製の扉が波乱の時代を生き抜いた風格を感じさせますね。



4.北側は天潼路に面しています。



5.古風なトロリーバスが通れば良く似合う裏通りですね。



6.前回来訪した時、博物館は改装中で閉館していました。



7.開館日が水・木・土・日と変則的ですが、博物館は無料で見学できます。



8.入口を入り、すり減った床の螺旋階段を2階へ上ってみましょう。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海PC事情:上海ライブ2013年ダイジェスト(4)

2013年12月27日 06時00分00秒 | 生活
1.光モデムと無線ラン親機

余りにも回線速度が遅いので今年春に光に変えました。
数年前にここのマンションの住民は、キャンペーンで光に変えた家が多かったそうですが、一つはIPTVを視聴するからでしょう。
工事費と端末代無料でマンションの部屋まで光ケーブルを届けてくれたのですが、結果日本との回線速度の変化はほとんど改善されませんでした。
PC用の回線使用料が月額140元は日本よりも安いと思います。
日本に帰国している間は月額30元で保留されます。

マンション内部が2階建てなので無線ランを設置しています。

2.ノートPC

今年、1kg以下の「軽さ」を優先し、WIN8の「ウルトラブック」を購入し持参しました。
データ移動用に外付けの1TのHDと、バックアップ用に外付けDVDも持って来ています。


日本では家内がSkype専用で使用していますが、上海では1階リビング専用でブログの作成にも使用しています。
少しでもレスポンスが早いかと光モデムとイーサネットで直結しています。(悲)

3.デスクトップ
2009年頃にドスパラで購入した古いPCで、まだXP現役です。
2010年頃、上海に運びマザーボードが対応する最速のCPUとメモリを交換し、HDも1Tを増強しました。


飛行機で運べる限界の重さですが、来年はXPを何とかしなければなりません。
写真データのバックアップ用にも大容量のHDが必要でしたが、最新のCANONの写真編集用のソフトがうまく動きません。
やはり、1枚当たり大容量になった写真データの変換にはCPUのパワーが追い付かないようで、1枚のRAWデータの変換に1分かかります。(悲)

第4世代のCPUを使用するにはマザーボドから交換しなければなりません。
HDとDVD、電源ユニット位しか再利用できませんが、
上海のDIYでパーツの値段を調べましたが、以前と比較し円安で日本よりも割高になります。
USB3.0の付いた最新のケースも入手困難なようです。

試しにWin8を導入しましたが、何とか動くようです。しかし無線ランのUSB子機がWin8非対応で使えないのであきらめました。
日本のデスクトップで使っているWin8対応の無線ラン子機を持参するのを忘れました。(悲)

(悲)が3つも付きましたが、日本の情報を入手したりメールのやり取りや銀行振り込みなど、生活上PCは長期滞在には必需品です。

撮影:
1-2.:CANON PowershotS100

3.:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2013:東洋一の豪華ホテルだった「浦江飯店」虹口区黄浦路

2013年12月25日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.「外白渡橋」を渡った交差点から撮影した「浦江飯店」。ここは全体が見渡せる撮影ポイントです。

2.黄浦公園から見た「外白渡橋」と、かつて「ブロードウェイマンション」と呼ばれたホテル「上海大厦」。



3.「外白渡橋」も優秀歴史建築の指定を受けています。


租界当時のTVドラマにも度々登場しますが、あれは上海映画村にある野外セットです。

4.「外白渡橋」を渡り交差点から右が黄浦路。



5.「浦江飯店」が掲示した優秀歴史建築のパネル。



「旧礼査飯店、上海開港以来第一の西洋式ホテル。創建は1846年、英文名はリチャードホテル、創業者のリチャード・アスター(船長)から名付けられた。
1857年に「外白渡橋」の北側の現地へ移築しアスターハウスホテルと改名した。中国名は礼査飯店のまま。
1907年に新瑞洋行の設計で一部鉄筋コンクリート造り、一部煉瓦造りの新古典式イタリアバロック建築で拡張した。
当時上海で最も豪華な西洋式ホテルで、中国いや東洋で最も著名なホテルだった。
創建後150年たってもなお当時の英国建築スタイルを残す歴史遺産で、補修をし経営している。」

手元資料では一連の船長による経営が続いたが、1860年にヘンリー・スミスに売却、彼がアスターハウスホテルと改名しました。
更に1923年には和平ホテルとともに「香港ホテル」に売却、この香港ホテルはこれを期に社名を「香港上海ホテル」と改名。
この会社はユダヤ系英国人カドゥリー家の所有会社で、彼らの末裔が現在の「ペニンシュラーホテル」のオーナーです。
初代Ellis Kadorieの墓は今でも宋園路の外人墓地に残っています。
香港上海大酒店有限公司」のHPにある「Our Histly」には「Sir Elly Kadooriey & Sons」の写真を見ることができます。

6.右手がホテルの正面入り口。


5階建てで客室は200室、5台のエレベータ設置。
発電とボイラー設備があり全館で2000個の電燈を灯し、冬は暖房、夏は扇風機が使用可能で、各部屋は24時間温水衛生設備がありました。
ダンスフロア、喫煙室、理髪室に撮影スタジオ、バーにビリヤード室などの娯楽施設があり、1913年には初めてトーキー映画を上映しました。
600人収容のレストランには30トンも貯蔵できる食品冷蔵庫も設置しており、どれをとっても20世紀初頭の最高のサービスを提供していました。

7.上海市が指定した優秀歴史建築のパネル。


ドイツ人科学者アインシュタインや喜劇王チャップリンなど、世界中の著名人が宿泊した部屋が残されています。
4階の吹き抜けホールはホテルの歴史や著名な宿泊者を紹介する展示室になっていますが、宿泊者以外でも閲覧できます。

1949年に「浦江飯店」に改名、お隣の上海大厦などとともに上海衡山集団の傘下となっています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2013:「和平飯店のメリークリスマス」黄浦区外灘

2013年12月23日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.外灘から見た和平飯店(旧サッスーン・ハウス)。右は中国銀行、左は和平飯店南楼。

2.南京東路に面して3つの入口があり、一番右手(東側)の入口を入るとロビーとホテル・フロントがあります。



3.1階商店のショ-ウインドウには可愛らしいクリスマスの飾りがお目見えです。



4.ホテル内部より東側入り口を撮影。左がホテルカウンター、右がロビー。


内部のインテリアは壁は木目調大理石にフランス製黒大理石の縁取りが使われており、桃の芯をデザイン化したパネルが嵌められています。

5.中央の入り口から入ると中央フロアがあります。


4方に回転ドアがつけられた八角形の中央フロアにはクリスマスツリーが置かれています。

6.その吹き抜けの上には八角形の天蓋が設けられ、柔らかな太陽光が差し込んでいます。



7.中央出入口天井にもおしゃれなイタリア製シャンデリアが下がっています。



8.ホテル内部から中央入り口を撮影。和平飯店南楼の赤いレンガが見えます。


吹き抜けから見える風景は、ここがアジアだと言うことを忘れさせてしまいますね。

9.外灘側の外壁にはオーナーだったサッスーンの名前を残すプレートが掲げててあります。


1996年に国家重点文物保護単位にも指定されています。

サッスーン一族の壮大な故事

遡ること1833年、人種差別によりバクダッドを追われインドボンベイで貿易会社を起業したユダヤ人サッスーン家の第一代頭首デビット・サッスーンは、1844年に香港支店を開設し、その2年後にアヘン貿易に参入するために上海支店を設置しました。
彼は中国にアヘンと英国製綿布を輸出し、絹、お茶、銀を輸入しました。その結果、中国で消費される高質なアヘンの1/5は彼の手配する船で運ばれるまでになりました。
彼が亡くなった後、彼の長男が中国のビジネスを引き継ぎ、次男はボンベイに新サッスーン会社を興しましたが、20世紀初頭、上海サッスーンは業績が悪化し、ボンベイの新サッスーン会社がその事業を引き継いでいました。

サッスーン・ハウスを建設したビクター・サッスーンは1881年、ナポリで生まれましたが、そこは一族がバクダッドを追われインドへ来る途中両親が滞在した場所でした。
一族はインドの成功により既に英国の支配者階級の一員となっており、ビクターは英国で育ち英国の教育を受け生粋の英国人となりました。
1914年英国が第一次世界大戦に参戦すると愛国者ビクターは王立航空隊に志願しましたが、不幸にも航空事故で両足を負傷し一生2本の杖に頼って歩く体になってしまいました。
退役後1916年にボンベイの新サッスーン会社を引き継ぎ、1923年には上海サッスーン会社を再興するために4代目頭首となって上海へやっていました。
彼は上海到着後10年の内に30以上の会社を興し、一家の事業を拡大し一大帝国を築き上げました。
サッスーン・ハウス以外にも中国沿岸では最大のビル「河浜大楼」、「福州大楼」「錦江飯店北楼」「錦江飯店貴賓楼」その他中国人用住宅、商店、芸場や事務所などを建設しました。
1940年代、上海には10階建てのビルが8棟ありましたが、その内6棟がサッスーン会社の所有でした。
大小の建物1900棟以上と40万m2以上の土地を所有し、その賃貸料収入は年間350万両銀で、名実共に上海一の不動産事業者となりました。

1931年日本は満州国を建国し、次に「東洋のパリ」と呼ばれたアジア最大の金融センター上海を手に入れるためその触手を伸ばしてきましたが、ビクターが実権を握る上海租界にはまったく手を出すことができませんでした。
日本が英米に宣戦布告した1941年、彼は上海を去りボンベイに逃れ、上海の彼の資産は日本軍が接収してしまいます。
第二次世界大戦後、ビクターは国民党が崩壊する前に大半の資産を売却し資金を英国へ還元したあとバハマ諸島ナッソウへ企業の本部を移しました。
そこで自由な国際的事業を展開し1961年ににその地で亡くなりました。
78歳まで独身を通した彼は病魔に倒れ、最後にアメリカ人看護婦と結婚し、彼女が莫大な財産を相続することになりました。

サッスーン・ハウスは1952年に上海市人民政府の所有となり、1956年に改修後「和平飯店」と改名しホテル業務を再開しました。

10.ちょっと古風なイメージに仕上げました。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2013:旧上海四大百貨店(4)「大新公司」黄浦区南京東路

2013年12月21日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.西蔵中路の西側から見た旧「大新公司」建物。現在は上海第一百貨店が営業をしています。

2.南京東路の歩行者天国の入口北東角に立地します。



3.現在、西蔵中路の反対側には1993年に開業した「新世界商場」も営業しており、南京東路一番の好立地となっています。



4.1916年に「泥城浜」と呼ばれた運河が埋立てられ西蔵中路ができていましたが、租界の中心はまだ東だったのでしょうか正面玄関は東南の角にあります。


壁面には青島産黒色大理石が使用されているそうです。

5.現在はテナントにユニクロなども入店していますね。



6.1階は化粧品売り場などが並ぶ一般的な百貨店風景です。



7.南京東路側入り口には「大新公司」のプレートが掲示されています。



旧「大新公司」の歴史

地下一階地上九階建ての建築面積28000m2、8台の米国製エレベーターが設置されました。
四大百貨店の内、一番遅い1936年1月10日に開業しました。
開業後半月あまり、上海近郊の村々は言うに及ばす、江蘇省、浙江省の農民までが観光、ショッピングのため訪れ、門前は客で満ち溢れました。
売り場三階まである国内最初の自動エスカレーターが物珍しく、開業3日間は津波のように争って客が殺到し、止む無く金券付きの入場整理券を発行したそうです。

その頃、新聞の読者投稿欄の「大新公司の門前には<衣服ボロボロの貧民や田舎者、短いシャツやズボンの作業員や物売りは入場を制限する>と貼られている。」が発端となり、差別だと上海市民の激昂を買い問責運動にまで発展しました。
結局貼り紙を<衣服不潔、夏日に裸や裸足等の非文明、非衛生的な者の入場を規制する>と変え治まったそうです。
当時の大混乱ぶりが目に浮かびますね。

開業ほどなくして売り上げは四大百貨店の第二位に達したそうですが、新中国成立後も国内最大の百貨店の地位を保ちました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

時間は止められない:上海ライブ2013年ダイジェスト(3)

2013年12月20日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.「時間は止められない」
写真の時計は止められても、私の時間は止められません。初めて上海を往訪してから、すでに干支は一回りしてしまいました。

2.「貴方にメリークリスマス」
「風を写しに来ました」もEOS70DのCM妻夫木君の言葉。


実際に写っていないものまでも感じ取ることができる写真って最高ですね。

3.「窓辺の故事」
1枚の写真でストーリーが連想できる写真を撮影できるようになりたいです。


「一コマ漫画」ってすごいですね。

しかし、写真と一口で言っても音楽と同じで色々なジャンルがあります。
例えば使用目的からでも「商業写真」「報道写真」「芸術写真」や町の写真館の「記念写真」や個人の「趣味」などなど。
被写体からでも「風景」「動物」「植物」「人物」「乗り物」「静物」「旅行」「スポーツ」「イベント」などなど。
デジカメやスマホが普及した現代では、すべての人が自分の好きな被写体を撮影する「カメラマン」ですね。

私の場合は主な使用目的は「ブログ」ですが、常にカメラを持ち歩き、撮影した日付別に保存し「日記代わり」になっていますが、
「美しい風景」や「感動的な瞬間」など、そう毎日撮影できるものではありませんね。
デジカメを購入した2002年頃からの写真が8万枚ほどPCに保存してありますが、
昨年5月に購入したカメラのカウンターが最近0になったので、1年半で1万枚、サブのコンデジも合わせるともう少し多いでしょうか。
やはり上海へ来ると月に1000枚位は撮影していますが、今年は現在までに7000枚。
大切な人生の記録、私の「宝物」です。

カメラを持って散歩をしていると、必ず面白いものを発見しますが、それは私が外国人でここが上海だからでしょう。
自分が撮影した一枚の写真について「なぜそれを撮影したか?」を説明しなければなりませんが、
被写体が「歴史的建築」の場合は「歴史に興味があった」と答えるしかありません。
すべての写真が「美しく、感動的」である必要はないと思いますが、何かしら訴えるものは必要でしょうね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2013:旧上海四大百貨店(3)「新新公司」黄浦区南京東路

2013年12月18日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.旧「新新公司」は「先施公司」の開店5年後、高級幹部数人が経理(社長)との利益配分で造反して資本公募で隣地に設立した百貨店でした。
開店は1926年、併設された茶室、飯店、美容院、演芸場などが人気で、特にガラス張りのラジオ放送局が話題で毎日6時間の娯楽番組やCMを放送をしていました。

1941年にラジオ放送局は火災で焼失。日中戦争勝利後に再建「凱旋電台」と呼ばれました。
新中国成立前、ラジオ放送局は新新公司内の共産党地下党員による共産党の宣伝にも利用されていたとか。
アジア地区繁華街の最先端のデパートの一つでしたが1952年に閉店。

2.第一食品は上海一の食品小売りの老舗で昨年末に店内の改装が終わり、売り場が2階にも広がり、買い物客の混雑が緩和されました。



3.第一食品の商品は安全な食品ということで、上海土産のお菓子や、地元上海人の日常の買い物にも利用されているようです。



4.1階奥に上海ブランドの土産物が売っていますので、ご覧ください。
 


5.改装後3階4階までエスカレーターが設置され、食堂街となっています。


日本の永谷園が中国の牛乳メーカーと共同出資してラーメンチェーンの経営に乗り出しました。

6.上海では日本食は人気のようで、隣に回転寿司が開店するようです。


4大百貨店の中では一番小さな建物ですが、食堂街にはちょうど良い広さかもしれませんね。

撮影:1.~4.CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS
   5.-6.CANON Powershot S100

上海ライブ2013:旧上海四大百貨店(2)「永安公司」-黄浦区南京東路

2013年12月16日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.立地的にも時期的にも「先施公司」との激烈な競争は避けられなかったようです。

2.英国古典主義様式の六階建て。



3.当時屋上に遊園地を備え、豪華なホテルも併設しました。



4.1969年に「上海市第十百貨店」と改称。



5.1987年に改装して現在の「永安公司」と改名。


現在は百聯集団の傘下となっています。

6.最上階の階段踊り場に残る永安公司「百年社訓」。


「中国で最初に西洋風経営管理を導入した」そうですが、社訓の中には「貯蓄に励み、家計は慎む」などがありました。

7.1933年、好敵手「先施公司」の屋上にそびえる摩星塔に対抗し、旧館東側に22階建ての新館を建設。


当時南京路を訪れる人々から「鶏群の一鶴:凡人たちの中で一人だけが際立って優れている」と讃えられたとか。

8.空中2か所の渡り廊下で新館と繋がっています。


1958年、上海にTV局が設立され、新館に放送局、屋上に放送アンテナが設置されました。

新旧館ともに1989年上海優秀歴史建築の指定を受けた第一級の歴史建築です。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS



上海ライブ2013:旧上海四大百貨店(1)「先施公司」-黄浦区南京東路

2013年12月14日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.西蔵中路から始まる南京東路の歩行者天国を外灘に向かって東に400mほど歩くと、浙江中路の北西角に尖塔をもった洋風建築が見えます。

2.左手に見えるのが旧「先施公司」です。



3.現在は百聯集団の傘下「上海時装商店」が衣料品中心の販売を行っています



4.7階建ての屋上には「摩星塔」と呼ばれる3階建ての尖塔があります。



5.創始者「馬応彪」が狙ったように浙江中路の交差点は毎日大勢の人出で賑わっています。



6.市内観光バスもここで一時停車します。



7. 外灘へ観光する旅行者は必ずここを通るでしょうね。



8.併設されていたホテル東亜旅社(現東亜飯店)の記念碑。現在は錦江グループのビジネスホテルとして営業しています。



旧「先施公司」の故事

辛亥革命を成功させた指導者の孫文は、世界各地の華僑に対し上海へ積極的に投資するよう働きかけましが、
孫文と同郷広州出身で豪州華僑、香港先施公司の総裁「馬応彪」はその呼びかけに応じた一人でした。

1914年、馬応彪は自ら上海に赴き上海に相応の公司を設立することを決意し、南京東路と浙江中路一帯を入念に調査した結果、
浙江中路では南から北へ向かう人の流れが多い事が分かり、南京東路の北側に店を構えることにしました。

土地の権利者である英国商人雷士徳(HenryLester)と交渉、使用料として年間銀3万両、30年間の契約で合意、約1.3haの土地を借り受け、
1915年に起工、1917年10月に7階建て、建築延床面積3万m2のバロック風建築が完成、開業しました。
特別目新しかったのは従来の商習慣にない<値切りなしの正札販売>と<女性販売員の登用>でした。

買う以外にも遊ぶ(屋上庭園)・食べる(レストラン)・見る(劇場)などの娯楽のすべて備えた百貨店で、1000人以上の従業員が勤務し、
エレベータや暖房設備もあり、約1万m2の売り場以外に、華人による国内第一の高級ホテル東亜飯店、レストランなども併設されていました。

1937年8月23日午後、先施公司は空前の大災害に遭遇しました。
白崇禧ら国民党幹部の秘密会議が開催される極秘情報を入手した日本軍は、航空機による爆撃を強行しました。
爆弾は先施公司前の路上で炸裂し、市民173人が死亡、549人が負傷、建物1階玄関と2階3階が大破し、付近10余の商店も建物に大損害を受けました。

同月13日勃発した第二次上海事変、14日には中国空軍機が誤って大世界の前へ爆弾投下、2000人以上死傷者が発生、
同月28日には日本軍機が上海南駅を爆撃、市民約250人が死亡、500人余りが負傷。

以後、時代は泥沼の状態へと突き進んで、租界も苦難の時代を耐えなければなりませんでした。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海の住所番地:上海ライブ2013年ダイジェスト(2)

2013年12月13日 08時36分31秒 | 上海街角スナップ
1.淮海中路845

「紅房子西菜館」は上海でも有名なフランス料理レストランです。
4車線の道路の反対側からの撮影ですが、道路標識の番地が写真を拡大しなくてもはっきりと識別できます。
「CANON Powershot S100」は胸ポケットにも入るコンデジですが、写りの良さを再認識しています。

24mmスタートのレンズが搭載されたので昨年購入しましたが、新型のS120は連射などが強化され更に魅力的になっています。
ともあれ、光の条件さえ悪くなければ、今後もS100は街歩きや料理の撮影に多用できそうです。

以前もブログで書きましたが、上海の旧市街地の住所番地は決まったルールがいくつかあり、その中の一つ。
東西の道路:東に背を向けて右手が偶数、左手が奇数番地で前(西)に大きくなっていきます。
      つまり、外灘が基準となっており、845の右(西)は847で、846番は道の反対側になります。
南北の道路:延安路が基準です。
      つまり、英国租界とフランス租界の境界が基準で、延安路に背を向けて右手が偶数、左手が奇数で前に大きくなります。
      従って、延安路の南北では偶数と奇数の場所が東西逆になります。ちょっとややこしいですか?
  
これだけ覚えておけば街歩きは迷子になりません。

2.百円ショップ


今回の滞在で目に付いたのは日系サービス業の更なる進出でした。
味千ラーメンの成功が導火線になったのか、すぐ近くのデパ地下にうどんチェーン店が開店していました。

次回時間があれば100円ショップを覗いてみたいですが、相変わらず日本製品の注目度は高いようです。

雑談ついでに。
以前地元TVで街角レポートをやっていました。
冷蔵庫などに使う「食品ラップ」を「上手に切れるか」通行人に試させてましたが、中国製品はスパッと切れません。
みんな「ぐちゃぐちゃ」になってしまいます。
日本のお土産に100円で買えるラップを持参すると喜ばれます。

見かけは同じでも、日本製品は性能や機能が違います。「日本人って、すごいなー。」

日本で何気なく使っているマーガリンのケースにはバターナイフ用の切れ込みがありますね。
上海で購入する製品はいつも購入後「はさみ」で切っています。
10年前はそのバターナイフがスーパーなどで売っていませんでした。

撮影:CANON PowershotS100

上海ライブ2013:雲海の朝-黄浦区海潮路

2013年12月11日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.黄浦江近くの高層マンションの下の部分に霧が流れ、まるで海に浮かぶ島のようです。

2.昨日は低気圧が上海の北を通過したのでしょうか、南から暖かい空気が流入し湿度が高かったようです。


自室北側の霧はさほどではありませんので、黄浦江の湿度の関係もあるのかもしれません。

3.エアコンが示す現在の外気温は10度以上。


地表部分とはかなり差があったのでしょう

4.10年近くここに住んでいますが、珍しい自然現象です。やはり大気汚染の影響なのでしょうか。


これから「霧のロンドン」ならぬ「霧の上海」が有名になるかもしれませんね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2013:今日のお昼「鼎泰豊」-浦東新区陸家嘴

2013年12月09日 06時00分00秒 | グルメ
1.これは何の料理?以下をご覧ください。

2.手ごろな値段でお昼をいただけるので、家族連れや欧米人の客も多いようです。


看板にはちゃんと日本語表記もあります。

3.西側の大きな窓からは外灘が正面に見え、絶好のポジションですね。


夜景の頃はもっと素敵でしょう。

4.有名な小龍包。10個入りもありますが、二人なので5個入りを注文。


食べる時は蓮華の上に乗せ、薄い皮の中にある熱いスープをこぼさない様に注意しましょう。

5.新鮮な生姜の千切りに醤油のタレを入れます。


上海蟹の食べ方と同じですが、蟹肉入りの小龍包もあるからでしょうか。上海蟹は体を冷やすのでそれを防ぐために生姜たれを使うそうです。

6.野菜の蒸し餃子もさっぱりしていて好きです。


他にチャーハンや麺類もあります。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L

今日の一枚:上海ライブ2013年ダイジェスト(1)

2013年12月08日 11時17分50秒 | 上海街角スナップ
1.海潮路バス停前

最近は屋台の取り締まりも行われているようですが、下町のバス停近くには今でも屋台が営業しており、出勤途上の忙しい客などがテイクアウトの焼餅を買い求めています。

撮影:CANON PowershotS100

2.浦江飯店

虹口区に建つ租界時代中国一の洋風ホテル。


影を消してしまう現実離れしたHDR画像が良く似合う建物だと思います。

2.以下、撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上2枚の写真は上海の「今」と「過去」を対比していますが、24mmからの便利ズームを使用しているとどうしても引いて全体を撮影してしまいます。
写真のマンネリ化を打破するために単焦点レンズを使用しても良いかなと考えていますが、
街歩きで被写体を次々に変える癖が、距離的にも内容的にも被写体に一歩踏み込もうとする意志を希薄にしているかもしれません。

3.いつも「説明的」写真ばかりなので「抒情的」な写真にも挑戦したいと思っていますが、この1枚は如何でしょう。



4.舞台裏を明かせばこの1枚をトリミングしています。


高性能のカメラとレンズとPCのお蔭で「被写体に迫った」ように見えたでしょうか。(自嘲)

コンデジのS100は持ち歩くには便利で、1枚目や料理などの近景にはそこそこの映像を出してくれますが、遠景は限界があります。
最近はミラーレスの「EOS M2」と「SONY α7」が気になっているところです。

上海ライブ2013:浦東新区「濱江公園」

2013年12月07日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
2.黄浦江の西側は旧市街で「浦西:プーシー」と呼ばれ、上海人は今でも浦西に住むのに拘ります。隅田川を挟む東京と似ているかもしれません。


東側は「浦東:プートン」と呼ばれ、今では金融街となり次々に高層ビルが建ち並び発展し続けています。

3.錨のモニュメント。そうです、上海は横浜や神戸と同じ港町だったのです。


以前に比べると、観光客がずいぶんと増えた印象です。

4.黄浦江の対岸(浦西側)はちょうど外灘が正面に見え、川岸のベンチは空きが在りません。


夜景の頃はカップルで一杯かもしれませんね。

5.租界当時、黒船やジャンクが行き交った黄浦江、休日ともなれば遊覧船は観光客で満杯です。


新しい形の遊覧船が次々に就航しています。

6.時間があればカフェでのんびりと夕日が沈むまで、行きかう遊覧船や貨物船を眺めているのもよいかもしれません。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L