上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

豊後街道の旅(4):「居蔵の館」-2

2013年09月30日 06時00分00秒 | 国内旅行
当主が営む銀行は福岡の銀行に合併され、当主はその株主となって福岡へ移住したとか。



戦後空き家になり荒れていましたが、旧吉井町が政府の事業援助により買取修復し公開しています。



吉井銀と呼ばれた櫨の実と抽出された蝋。



吉井銀の説明。


現代の経済にも通じるものがありますね。

蝋を積んだ荷車が行きかった土間の横にある、吹き抜けの部屋の神棚。


多くの吉井銀を見守ったことでしょう。

富のもう一つの象徴だった「おひな様」も筑後吉井では盛んなようです。


土間横の部屋に飾られた獅子頭。

5人の庄屋の命がけの嘆願が筑後吉井に富をもたらしました。


その嘆願によって作られた南新川は子供たちの夏の水遊びにも使われていましたが、今でも豊かに水を湛えています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS


豊後街道の旅(3):「居蔵の館」-1

2013年09月28日 06時00分00秒 | 国内旅行
玄関横の通用口は庭へ続く土間がありますが、土間横に飾られた獅子頭。

正面玄関はまるで時代劇映画に出てくる武家屋敷のよう。


ここでは重要な客を迎えましたが、右手に土間へと続く通用口があります。

周囲を庭と縁側で囲まれた角座敷。


全部で21畳の広さがあります。

襖絵は久留米出身で小倉藩のお抱えだった絵師が描きました。



敷地は400坪ですが、落ち着いた庭を見ることができます。



仏間の豪華な仏壇。



商家によく見る箱階段。



2階に4部屋ある内の一番広い南向きの10畳の座敷。


当時は豊後街道とその向こうの耳納連山が見渡せたでしょう。


内庭の中央に掘られたつるべ井戸。



当主家族が利用した風呂場。


炊事場奥には使用人専用の風呂も作られています。

多くの使用人でにぎわったであろう炊事場。


当時の商家の暮らしぶりがうかがえますね。

影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

豊後街道の旅(2):「白壁通り」

2013年09月25日 06時00分00秒 | 国内旅行
2階の窓には鉄扉が施されています。



今でもヨシイ醤油を製造する老舗の醤油屋さん。



2階戸袋の意匠は大黒様でしょうか。



明治32年の創業とあります。



当時、災除川(さいのきがわ)には水車が連なっており、精米や製粉・製麺、木蝋、菜種油、製紙、製油、醤油業などに利用されていたとか。


今でも川にはシラサギやアオサギ、たまにはカワセミもやって来るそうです。

和菓子屋さん。



羊羹が有名だとか。



広い間口の家。



肥料店など。



金のうさぎ。


富は水路の恵みなのでしょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

豊後街道の旅(1):白壁の町「筑後吉井」

2013年09月23日 06時00分00秒 | 国内旅行
それから水車を利用して精蝋、酒造、製麺などの農産加工品の生産が盛んになり、経済発展を遂げました。
明治初期までに幾度の大火に見舞われた筑後吉井は、漆喰や鉄の扉で住居の防火対策を競い、白壁の町が出来上がりました。

付近の観光地図。


つづら棚田や田主丸町のブドウ狩り、筑後川温泉なども有名です。

筑後吉井の説明。


5人の庄屋が農民を代表して有馬藩へ直訴し、自費で水路建設を始めました。
町の入り口にに5本の「はり付け台」を建て、工事を督励した逸話は興味深いですね。

駐車場にある公衆トイレ。



旧豊後街道の国道210号線は「蔵しっく通り」と呼ばれています。


大正時代の全盛期にはこの通りに蒸気機関車が走っていました。

眼鏡屋さんも漆喰づくり。



骨とう品店の看板。



こちらは外壁にタイルを使用し個性化していますね。



古いお菓子屋さん。



伝統的な「なまこ壁」。



旧豊後街道の上町を北へ左折すると「白壁通り」へと続きます。




撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

空の玄関口福岡空港:博多区

2013年09月18日 06時00分00秒 | 乗り物
海上に建設された飛行場と違って、一般道路から離着陸する飛行機を間近に見ることができます。


私も中学生の頃、友人と自転車で見に来たことがあります。その頃は航空自衛隊と共用でした。

ANAのポケモンジェット。


もちろん、ヨーロッパ直行便も乗り入れる国際空港です。

今日は台風の影響で強い北からの風が吹いていました。


離着陸はすべて山側の南から海側の北に向けてです。

ローカル空港ですから、離島などに乗り入れる珍しいプロペラ機も見ることができます。



天草行のダッシュ8 39座席でしょうか。



おっと、強い横風に機体が左に傾いています。



体制を建て直して着陸態勢維持。



部分測光、SS1/2000。標準ズームでも大迫力です。


次回は違う場所から狙ってみたいものです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

なのくに歴史散歩(3):福岡平野最古の古墳「那珂八幡古墳」

2013年09月16日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
祭神の応神天皇は第15代天皇。


実在が濃厚な最古の天皇と言われており、邪馬台国東進説の中心人物のようです。

古墳は4世紀の造営で福岡平野最古と言われています。



古墳の副葬品として三角縁神獣鏡などが出土しています。


地元に前方後円墳があることは、学校の歴史では習った記憶にないです。

西側にも神社の入り口があります。



弥生時代の豪族たちの村がこの地にあったとは、ロマンですね。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

なのくに歴史散歩(2):ビール工場の古墳「東光寺剣塚古墳」

2013年09月14日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
ビール工場の正面とは反対側、工場の東北にある通用口の受付で古墳の見学を申し込むと、敷地内に入ることができます。


敷地は那珂川と御笠川の間にある10mほどの台地になります。

古墳の長さは75m、全円部直径46m、前方部幅は50m、高さは5.5mあります。



古墳の周りには周濠が三重に巡らされており、全体の長さは126mあったと推測されています。



敷地内には立派な神社があります。



順路に沿って森の中を歩きます。



しばらく歩くと横穴式石室の入り口があります。


石室の中から石棺と副葬品の刀、鏃、勾玉と男女や馬の埴輪が出土しました。

古墳は6世紀中頃の造営と考えられています。

1988年にはこの古墳のすぐ北に、更に100年前後古い長さ30mの「剣塚北古墳」の跡が発見されました。


撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

究極の糸島海鮮丼:糸島市「志摩の四季」

2013年09月11日 06時00分00秒 | グルメ
最近ローカルTVでも紹介されたかもしれません。



今日の海鮮のネタ説明。


すべて地元産ですね。

糸島市の各漁港毎に今朝捕れたての商品が陳列されています。



購入した魚はここで三枚下しなどにしてくれます。


今回は車にクーラーボックスを積んで行きました。

撮影:CANON Powershot S100

なのくに歴史散歩(1):比恵遺跡群

2013年09月04日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
博多区山王公園は御笠川の左岸に位置します。

山王公園から西に進み、筑紫通を超えます。



「小林郵便局」の手前、「駅南やよい通り」を左折し2つ目の角を更に左折すると「遺跡保存会館」があります。


遺跡保存会館は町内会の集会所のようです。

そこに「比恵還溝住居遺跡」の碑があります。


区画整理が始まる前の地図ですね。

集合住宅の間の小さな広場には、大きな桜の木が葉を茂らせています。



遺跡は発掘後に埋め戻されているようです。


ここから南、JR竹下駅から南福岡駅にかけ、9か所の古墳や遺跡が発掘されています。
発掘された古墳は近畿地方の古墳よりも規模は小さいですが、古い時代のようです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

福岡市埋蔵文化財センター(3):中世の国際貿易都市「博多」

2013年09月02日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
交易船には中国製陶器や銅貨などが積まれ、商人には莫大な利益をもたらしたようです。



平安時代に全国3か所に設置された外交施設「鴻臚館」の内の一つが福岡市で発掘されています。


古代国家が統制した海外貿易は、豪商たちが営む自由貿易へと移り変わっていきます。

中国より輸入した銅貨が国内で広く流通しました。


博多では特に高額な銅貨が流通していたそうです。

博多では商人が台頭し、市民生活も非常に豊かだったことがうかがえます。



戦乱を避けたのか、整然と埋められた高価な中国製陶磁器類が地中から発掘されています。


海外貿易で栄えた中世は方は、その利権を巡り豪族同士の戦乱に巻き込まれ、何度も消失しています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS