上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

博多カメラ散歩:神屋宗湛が眠る「妙楽寺」-博多区御供所町

2014年08月31日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.御供所通りにある妙楽寺
黒田家重臣の墓に混じり、豪商達も埋葬されています。

2.妙楽寺の説明



3.ういろう伝来の地


「ういろう」は中国より伝来した胃腸薬「透頂香」を伝えた中国人「陳外郎宗敬」の持つ中国王朝の役職名「外郎:ういろう」が語源と言われています。

4.境内の有名人の墓


13番が「神屋宗湛」の墓です。
西側には徳川幕府の禁制を無視した密貿易のため、一族郎党が処刑された「伊藤小佐衛門一家」の墓があります。

5.東側、本堂奥にある墓地


墓地は境内の東西に2か所あります。

6.当時のまま残る「神屋宗湛」の墓


晩年は不遇と言われていますが、当時としては長寿の享年82歳でした。

7.妙楽寺貿易-妙楽寺があった沖浜/妙楽寺境内


妙楽寺の説明には「外交施設」とありますが、当時の神社仏閣は盛んに海外貿易を行っていました。

その頃、那珂川の河口付近は貿易船が停泊する港で、戦後の町名整理事業の前までは「妙楽寺町」の町名が残っていました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

博多カメラ散歩:神屋宗湛の屋敷跡と「豊国神社」-博多区奈良屋町 

2014年08月29日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.神屋宗湛屋敷跡に再建された豊国神社
「九州征伐」前夜の1587年正月3日、豊臣秀吉は大阪城に全国の大名を集め恒例の新年茶の湯会を開きましたが、神屋宗湛は大名や堺・京の商人に混じり招かれました。
秀吉は宗湛を「筑紫の坊主」と呼び特別親しく歓待したそうです。

2.昭和通りから西町筋を北へ進みすぐ右手に豊国神社はあります。


太閤町割りから300年目の1868年に山崎藤四郎ら博多商人が建立しました。
現在の社殿は戦後地元住民により再興されました。

3.この場所は神屋宗湛の屋敷跡でした。



4.神屋宗湛の屋敷跡の説明


各地の豊国神社は徳川家康の命により廃絶となりましたが、明治維新後復興しました。

5.りっぱな神輿なども奉納されています。



6.屋敷跡は現在の博多小学校の敷地となっています。



7.神屋宗湛は屋敷に秀吉を招き茶会を開催しています。


当時は武家や豪商たちの接待や社交のために茶会を開くのが通例でした。
神屋宗湛は先の秀吉茶会出席前に古渓和尚の戎師により剃髪得度を行いましたが、当時身分の低い者が武家と接触するための儀礼だったようです。

8.世界一の大富豪


当時世界一の軍備を持った秀吉と世界一の大富豪が結束し、明国征服を計画しました。

撮影:CANON PowerShot S100 

博多カメラ散歩:セントラルパーク構想-中央区「大手門」付近

2014年08月26日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.「平和台」交差点
「西鉄ライオンズ」時代に平和台球場がありましたが、今は鴻臚館の発掘現場となっています。

2.裁判所へ通じる道から西を見た平和台方面



3.同じく東の赤坂方面



4.ハスの花ももうすぐ終わりのようです。



5.福岡藩の学問所跡


平和台交差点のすぐ北にあります。

福岡高等裁判所、地方裁判所は城南区へ移転が決まっており、跡地は舞鶴公園が拡張され一帯が広大な公園になるそうです。
福岡城も毎年予算を取り、調査と整備が進む計画です。

撮影:CANON PowershotS100


博多カメラ散歩:町内の守り神「黒田神社」-博多区須崎町

2014年08月24日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.黒田神社
由来には福岡城より分祀したとあります。

2.南北の大黒通り


昭和通りから大黒通りを北へ進みます。

3.東西のすこやか通り


すこやか通りの交差点手前に黒田神社はあります。

4.ちいさな境内



5.戦災地蔵尊



6.黒田神社と戦災地蔵尊の由来



福岡大空襲の鎮魂碑ともなっています。

撮影:CANON PowershotS100


博多カメラ散歩:古渓和尚の面影「古渓水」-博多区奈良屋町

2014年08月22日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.古渓和尚は羽柴秀吉が京都で行った信長の葬儀の際に導師を務めた名僧で、大徳寺を開山し住職を務めました。
しかし天正16年(1588年)に石田三成との衝突がきっかけで秀吉の勘気に触れ博多に配流となったのですが、
博多商人達は古渓和尚を暖かく迎えました。

2.昭和通りから土居通りを北に進みます。



3.2本目の交差点を右折し横町筋に進み。1本目の交差点をさらに右折。



4.3年後、利休の援助で古渓和尚は罪を許され京都へ戻ります。


古渓和尚が博多へのお礼にと掘った井戸が「古渓水」と呼ばれ今に残っています。

5.古渓和尚像


神屋宗湛には古渓和尚に並々ならぬ恩がありました。
天正14年(1586年)宗湛が秀吉に謁見するため上洛した際、古渓和尚の戒師により剃髪・出家を行っています。

6.井戸は今でも生活用水として使われているようですね。



7.大同庵の石碑


古渓和尚は住居を大同庵と名付けたようです。

8.時代は進み江戸時代、この辺りは古渓町と呼ばれ山笠の当番を務めた記録が残っています。



9.古渓水の後日談


「古渓水を軒先にまけば火災を免れる」と噂が流れたそうです。

昭和20年の福岡空襲で破壊された「古渓水」を復元したのも「西浜屋徳蔵」のご子孫だそうです。

撮影:CANON PowershotS100

博多カメラ散歩:消えた博多区「筑前簑島駅」の面影

2014年08月19日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.旧「筑前簑島駅」のメモリアル。
高校生の頃には近所に住んでいたので、友人と筑肥線に乗って糸島方面へ海水浴に出かけました。

2.線路の跡地は「美野島緑道」となっています。


短いホームが再現されていますが、名前は「美しい野の島」となっています。

3.ここから博多駅までは一駅でした。


旧駅前には今でも家電メーカーの工場が稼働しています。

4.筑肥線は西の肥前の国から東の筑前の国を結んでいました。


緑道はこの辺りから東から北へゆるくカーブしています。

5.緑道を過ぎると美野島公園が広がります。



撮影:CANON PowerShot S100



博多カメラ散歩:博多区「竹下駅」界隈

2014年08月17日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.駅前のビール工場
以前当ブログで紹介した敷地内に遺跡のある工場です。
この辺りは東の御笠川と西の那珂川に挟まれた丘陵地帯で、古代遺跡が数多く出土しています。

2.工場前の碑文




3.碑文の内容



工場は大正10年にできたとあります。太平洋戦争前は中国や韓国にも工場があったのですね。

4.駅前にはわずかに商店街があります。


さすがに駅前の居酒屋の提灯もこの銘柄

5.反対側の西口を出て那珂川を渡ると南区になります。


博多駅まで一駅という好立地なのでマンションが立ち並んでいますが、川岸は遊歩道となって、まだまだ自然が残っています。

6.南区側川岸にある蔵元


寛政五年(1793年)福岡市天神に創業した蔵元だそうです。やはり、水が豊富な地域なのでしょうね。

撮影:CANON PowershotS100

博多カメラ散歩:那珂川に架かる「福博であい橋」

2014年08月15日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.那珂川に架かる「福博であい橋」
市東部の町人町と西部の城下町を繋ぐ全長78mほどの歩行者専用の橋です。

2.福岡側から見た橋。


橋の上は遊歩道となっています。

3.博多側から見た橋。



東側たもとは市内随一の歓楽街中洲ですが、橋は福岡側の旧福岡県庁の跡地に造られた「天神中央公園」の入り口となっています。

4.橋の上にある赤いパラソル。



民謡「黒田節」の盃モチーフにして「盃」を逆さにしたイメージだそうです。

5.福岡側のたもとは遊覧船の発着所


那珂川から博多港まで往復20分で川の上から街を遊覧できます。

6.福岡側の天神中央公園にある洋館「旧福岡県公会堂貴賓館」。


明治43年に開催された産業博覧会用の迎賓館で、皇室方の宿泊所として利用されました。
博覧会終了後は公会堂として一般市民にも利用され、戦後は裁判所や県教育庁舎などにも利用されたそうです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

博多カメラ散歩:博多区「吉塚」散策

2014年08月12日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.地名「吉塚」の起源となった「吉塚地蔵堂」

2.「吉塚地蔵堂」の由来


くしくも祀られている「吉実」は先日行った篠栗町「城戸南蔵院」辺りの城主だったのです。

3.秋葉宮の鳥居



4.地元の方の厚い信仰に護られているようです。




5.詳しい「吉塚地蔵尊」のいわれ


吉実兄弟は豊臣秀吉方の毛利軍に滅ばされたのでした。

6.地蔵尊すぐ横にある商店街


漬物屋さんのようですが、古い商店街が存続しているのは懐かしくうれしいですね。

7.魚屋さんも多いです。


東西に狭い道が交差しています。

8.お弁当屋さん


シャッターの下りた店もありましたが、近所の方に愛されている商店街のようでした。

9.店仕舞いした銭湯


看板と古い煙突が残っていました。

撮影:CANON Powershot S100

篠栗町「城戸南蔵院」(4)-世界最大のブロンズ釈迦涅槃

2014年08月10日 06時00分00秒 | 国内旅行
1.涅槃像前の羅漢たち。
皆さん味のあるお顔をされています。

2.全長41m、高さ11m、重量は300トンもあります。


年間100万人の参拝者が訪れるそうです。

3.1988年にミャンマー国仏教教会から贈られた「仏舎利」を収めるために、1995年に作られました。



長年同国の子供たちに医薬品などを送り続けたお礼だそうです。

4.頭の螺髪は1個30kgあります。



5.巨大な足の裏。



6.涅槃仏の大きさを写真で表現できたでしょうか。



内部は写真撮影が禁止でした。
入口で一人500円で護摩を戴き、願い事を書きます。
内部には住職が四国巡礼で持ち帰った砂を埋めた四国88ヶ所の石畳があり、これを歩けば四国巡礼をしたのと同じご利益を得ることができます。
釈迦と二人のお弟子様の仏舎利はガラス窓がある部屋に安置されていました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

篠栗町「城戸南蔵院」(3)-境内の神々たち

2014年08月08日 06時00分00秒 | 国内旅行
1.七福神
福笑いのような優しいお顔の七福神様です。

2.七福神の由来。



3.トンネルの出口。


参道を歩くと次々に色々な仏様が登場します。

4.わらべ地蔵



5.わらべ地蔵の由来



6.幼児の寝顔のようなわらべ地蔵です。



7.南天稲荷



8.南天稲荷の由来


108段の階段を上って煩悩を捨て去り、お祈りをします。

9.難を転じますよう。


写真以外にも色々あり、仏様が目白押しのお寺ですね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

篠栗町「城戸南蔵院」(2)-境内の神々たち

2014年08月05日 06時00分00秒 | 国内旅行
1.苔むした参道の灯篭

2.良縁・地蔵


清流に架かる赤い橋を渡ると良縁・円満地蔵があります。

3.良縁と円満で世の中幸せ。



4.テルテル坊主のようなお地蔵様です。



5.延命地蔵


無病息災を祈ります。

6.三宝荒神



7.台所の神様だそうです。



8.空海こと弘法大師を祀る堂



9.空海は遣唐使留学僧として2年間長安に滞在しました。 


20年の予定を2年で帰国したため、朝廷の許可を得るまで大宰府に逗留します。

10.七福神隧道


トンネルを通り涅槃像を参拝に行きます。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

篠栗町「城戸南蔵院」(1)-篠栗四国霊場発願の寺

2014年08月03日 06時00分00秒 | 国内旅行
1.篠栗四国総本寺「城戸南蔵院」
城戸南蔵院は篠栗四国霊場を発願した尼僧「慈忍」が祈祷した場所で、一番札所となっています。

2.JR「城戸南蔵院前」駅


JR博多駅から快速に乗車し21分で到着します。

3.篠栗八十八か所巡礼の図


普通に歩くと3泊4日くらいで巡れるそうです。

4.南蔵院の境内案内図


世界一の銅製釈迦涅槃仏が有名です。

5.不動明王



6.不動明王の説明


高さは5-6mはあるでしょうか、怖い顔をしていますが、心優しい仏様だそうです。

7.羅漢像


羅漢は有名な高僧を模ったものですが、一つ一つが味のある顔をされています。

8.奥の院の不動の滝


子供の頃に来たことがありますが、滝に打たれ修行をされている方を見た記憶があります。

9.尼僧「慈忍」が滝に打たれ祈祷した場所です。


薄暗く全体に霊気を感じる場所です。

10.不動明王


あちこちに大小の不動明王が鎮座されています。

11.洞窟に湧き出る霊水


山から湧き出る水は純粋でしょうね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

博多カメラ散歩:天神に段ボール「D51」 出現

2014年08月01日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.正面から見たD51。
長さ12.5m、高さ3.98m、幅2.86m、重さは1.25トンあり、10ヶ月かけて制作されました。

2.使用された段ボール箱はミカン箱4000個相当分。



3.実際のD51の設計者は鉄道技術者の「島英雄」さん。新幹線の生みの親と言われた方です。


くしくも段ボールD51の制作者も工芸作家「島英雄」さん、子供の頃親交があったそうです。

4.動輪部分もリアルです。



5.後方部分。



6.後部の運転席。



7.地下1階から見た全体図。



8.この方が長崎県島原在住の作者です。


もともとは東京で建築家をしていた方で、病気で島原へ移住し定年後に制作を開始したそうです。
実物の展示された公園へ通い実測部位1000ヶ所、スケッチ3000点、設計図・工作図面500枚を準備しパーツが制作されました。

9.これから1年以上かけて全国を巡回します。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS