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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

明治維新以来、現在に至る正義の戦い

2012年06月20日 | Weblog
昨年3月11日の地震、津波、放射能汚染では、田舎の家の西側壁が全部落ち、その他の漆喰壁が落ちたり、壊れたりで、やむを得ず、隣の家に越して、停電の中、次々襲う大きな余震に一晩中、まんじりともせず、過ごしたら、翌朝、タブロイド判程度にページの減った河北新報が配達されて、女川原発で出火したり、その翌日、福島第一原発が爆発したことを知った。ニュースはわずかに報じられるだけで、実際のところどうなっているか分からないので、与えられた情報で判断して、壊れた家を放置して逃げ出した。
与えられる情報でしか判断できない点では、天災も人災も変わらない。ニュースとして流されるときには、すでにかなり作り上げられた情報になっている。
戦争も宣伝合戦であり、いかにして、正義の戦いに見せるか、多くの人を納得させるための様々な美談がつくられる。
アンネの日記、何とか神父の身代わり受刑など、かなり厚化粧したものを見せられている。
南京虐殺も実際どの程度だったのか、逆に美談をつくれば、それほどでもないのであろうが、何しろ、敗戦国は、美談をつくりにくい。逆に、その悪事ばかりが暴かれる。
確かに、当たるところ敵がないかに思い込んでいる軍人たちが政権を取って、赤紙一枚というはがきで、国民の生殺の与奪を握っていたのであるから、それから解放された時は、その解放者を世界で最も優れた民主主義をもたらしてくれた救世主と思い込んだのも無理はない。
しかし、当たりの良い悪いの違いでしかでなく、国民を搾取する点では変わりなかった。国民は当たりの良さにすっかり参ってしまった。ドイツヒットラー政権の宣伝上手を見習った占領軍だったのだから。
原発もその搾取の一環にすぎない。

テレビ解説者、新聞解説者というもの

2012年06月20日 | Weblog
「週刊文春」について私同様の考えをKAZU氏が御投稿下さったので、もう少し記すと、「マルコポーロ」の編集長を解雇されて、角川や朝日新聞に拾われて行ったが、結局うまく行かず、ひところ、テレビ解説者になっていた。私自身は、日本でもインドでもテレビを基本的に見ないので、その後、元編集長がどうなったのか分からない。
言えるのは、文春という会社が、米国ユダヤの軍門に下り、その意のままになっていることと、その元編集長が、流れ者になってしまったということだ。会社も編集長もすっかり変節してしまった、あるいは、元々そういう流されやすい体質だったのかもしれない。マスコミというものがそういう傾向があるともいえる。元毎日新聞の西山太吉のような骨のある記者はごくわずかなのであって、組織が優先するものだ。文春だけの問題ではない。常に、眉にツバをつけて話しを聞くしかない。前の大戦のように、300万人の国民が政府、官僚とマスコミの嘘に命を捧げたのだ。無駄な犠牲になったとしか言いようがない。今回の放射能禍も前の戦争同然の国家がやらかした国民に生死の選択を迫る問題である。しかし、国民がパニックに陥らないようにという建前で、多くの国民を被曝に追いやり、皆が毒を食らったあとで、実はこうだったと遅まきながら分かるのだ。要するに、リーダーの資質が悪いと、国民は塗炭の苦しみを味わう。1945年3月10日の東京を始めとする米軍機による焼夷弾空襲は、初めに、一定の地域を囲むように焼夷弾で燃やし逃げられないようにしておいて、中心部に焼夷弾を絨毯爆撃して、国民を焼き殺したのだ。そんな眼に遭わされたのも、リーダーの資質が悪いからであって、東条英機とそのまわりの連中がどんなに勉強が出来たかではない。
ヴィエトナムのように、400万人の犠牲者の上に、米国(ユダヤ)に勝利できればまた別の話ではあるが。