Pullman ホテルから広州市の中央部にタクシーで往復した。高速道路の両側にビルが立錐の余地もなく林立する近代的都市である。何川か分からないが、川の中州に広州美術館があり、その一部にある食堂で朝昼兼用で50阮チャーハンを食べた。美術館では、許なんとかという画家の山水画展が開かれていた。二階三階は、兵士達の戦う様子の写真が展示されていた。
数十年前に瀬戸内寂聴さんや井上光晴さん達と桂林に行ったとき、広州で抗日博物館に寄ったことがある。この地は、中日戦争の記憶が風化しないようにしているようだ。だからと言って、日本人に不親切というわけではない。
北京語で話しかけられてから、日本人だと言ったかといって、急につれなくはならない。
数十年前に瀬戸内寂聴さんや井上光晴さん達と桂林に行ったとき、広州で抗日博物館に寄ったことがある。この地は、中日戦争の記憶が風化しないようにしているようだ。だからと言って、日本人に不親切というわけではない。
北京語で話しかけられてから、日本人だと言ったかといって、急につれなくはならない。