最近学バスが走るようになり、10時20分に宿舎前から出ているのだが、今日は、10時から口頭試験を研究室兼教室でするので、歩いて行った。昨夜考えてメモした質問に従って時間前に来た学生に質問を始めたので、10時15分に終わり、気をきかした学生が事務室から届けさせてくれたお茶を飲んだ。スペイン語の先生が来て覗いたので、立ち会ってもらい、インチキをしていないことを見てもらって、一緒にお茶を飲んでお開きにした。
一人、実家に帰っている学生には、同じイスラーム教徒の学生課部長に電話してもらい、その立ち会いの下で電話で試験をして学生の署名は帰ってからすれば良いように、話しをつけた。
二十八日の筆記試験の答えを夕べ、答案用紙に書き込んだのを試験科に渡してきたので、これで、試験に関しては、心配することはなくなり、受験した学生は、全員、口頭試験だけの点数でパスすることが分かった。筆記と口頭を合わせて、35点でパスだというのだから、簡単である。
学長から学長秘書に帰国便の切符を取ってもらうように言われたので、尋ねたところ、デリーの旅行社に頼み、そのお金を現金で払わなければならないとうので、それでは、ドルをルピーに両替に銀行に行ったりしなければならず、面倒なので、結局自分でインターネットで買い求め、イギリスの旅行社を通して23日の便を買えた。
キティポーンさんが街の旅行社でコルカタに旅行する切符を買いに行くというので、国内線の切符を一緒に買ってくれるように頼んだ。帰ってきて、町の旅行社が時間がかかりすぎるので、デリーの旅行社に電話で頼んだという。結果は、メールで知らせてくれるといい、夕方になってその旅行社からメールで私の国内線の切符も取れたと連絡があったと、パソコンを持って来てみせてくれた。イー切符往復で7960ルピーだった。約15,000円くらいであろうか。いつ帰れるか分からないが、一応、12月初旬にインドに戻る切符にした。
今朝、ホームに電話したら、母は、豊里病院に入院し酸素吸入で小康を保っていると言う。この病院でこの前、入院してかえって悪くなったので、直ぐ退院させた。今回もそれが心配だから、石巻日赤に入院させるように頼んでおいたが、提携病院だからそうなると言う。
石巻日赤の院長は、飯沼一元君という高校同級生のお兄さん、一宇さんであり、三月の津波の時の被災者の救済で活躍した人だ。この兄弟は、白虎隊唯一生き残りの飯沼貞吉の孫だ。
一人、実家に帰っている学生には、同じイスラーム教徒の学生課部長に電話してもらい、その立ち会いの下で電話で試験をして学生の署名は帰ってからすれば良いように、話しをつけた。
二十八日の筆記試験の答えを夕べ、答案用紙に書き込んだのを試験科に渡してきたので、これで、試験に関しては、心配することはなくなり、受験した学生は、全員、口頭試験だけの点数でパスすることが分かった。筆記と口頭を合わせて、35点でパスだというのだから、簡単である。
学長から学長秘書に帰国便の切符を取ってもらうように言われたので、尋ねたところ、デリーの旅行社に頼み、そのお金を現金で払わなければならないとうので、それでは、ドルをルピーに両替に銀行に行ったりしなければならず、面倒なので、結局自分でインターネットで買い求め、イギリスの旅行社を通して23日の便を買えた。
キティポーンさんが街の旅行社でコルカタに旅行する切符を買いに行くというので、国内線の切符を一緒に買ってくれるように頼んだ。帰ってきて、町の旅行社が時間がかかりすぎるので、デリーの旅行社に電話で頼んだという。結果は、メールで知らせてくれるといい、夕方になってその旅行社からメールで私の国内線の切符も取れたと連絡があったと、パソコンを持って来てみせてくれた。イー切符往復で7960ルピーだった。約15,000円くらいであろうか。いつ帰れるか分からないが、一応、12月初旬にインドに戻る切符にした。
今朝、ホームに電話したら、母は、豊里病院に入院し酸素吸入で小康を保っていると言う。この病院でこの前、入院してかえって悪くなったので、直ぐ退院させた。今回もそれが心配だから、石巻日赤に入院させるように頼んでおいたが、提携病院だからそうなると言う。
石巻日赤の院長は、飯沼一元君という高校同級生のお兄さん、一宇さんであり、三月の津波の時の被災者の救済で活躍した人だ。この兄弟は、白虎隊唯一生き残りの飯沼貞吉の孫だ。