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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

斎藤攻兄から贈り物

2011年11月11日 | Weblog
毎朝、紅茶を沸かして飲んでいる。前の晩に飲んだお茶ガラをバラ園に棄てに部屋から出る。昼間は相変わらず暑いが、朝はめっきり寒くなり、インド人達は、毛のセーターを着たり、襟巻きをしている。
いつも私のほうから挨拶している警備の中年警察官が珍しく、「お早うございます」と向こうから挨拶してきた。といってもヒンディー語では、朝、昼番同じ「ナマステ」である。若い警察官のように、他人の荷物を持ってくれるでもない、働きの悪い中年警察官だが、心を入れ替えたかと思ってみると、「お茶を入れたのですか」と寒そうに身体を丸めて聞く。「いや、これから飲むのだ」と言うと、「手前にも一杯お願いします」と言う。即座に「ナヒーン」と断った。図々しいやつである。
日ごろ、親しく話したり、荷物の手伝いをしてもらっている若い警察官なら、まだしも、挨拶もろくにできない中年警察官に、お茶を振る舞ったら、挨拶もちゃんとしてくれる若い他の警察官達にも毎朝、振る舞わねばなるまい。朝の忙しい時にそんなことをしている暇はない。
とは思いつつ、紙コップでもないかとちょっと探したが、なかったので、やはり、飲ませなかった。
こういう、図々しいのに限って、仕事もろくにしないで、要求だけはする。ここの威張り屋部長や役立たずさんと同じである。
一昨日、事務所棟に行って、経理に宿舎代を返金したかと聞くと、銀行に振り込んだと言う。やっと、返金の書類が廻ったのだ。
威張り屋部長や役立たずさんが書類を滞らせて、一ヵ月以上放置されていたため、結局、1000ドルをルピーに替えて、一昨日、やっとルピーの現金を銀行で貰い、食堂の食費を払ったから、もう、しばらく銀行には行かなくていい。これまで、ルピーの現金を受け取るために、酷暑の中を何回、銀行に行ったことか。それで、身体が弱って、高熱の風邪を引き、いまだに不調なのだ。
経理の帰りに、郵便部で、大きな荷物が来ているのを受け取った。ボートと山の仲間で、北上川の漕艇場開きに登米にも来てくれた斎藤攻氏からで、うどん、味噌汁などの温めて直ぐ食べられるものを沢山入れてくれ、送った日の夕刊も入っていた。
北杜夫氏が亡くなった記事が一面に載っている。北さんとは直接の付き合いはあまりなかったが、遠藤周作さんや埴谷雄高さんを介しての付き合いであった。ネットのニュースでは見なかったので、驚いた。インフルエンザの予防接種のあとでなくなったと言うから、母親にインフルエンザの予防接種を受ける許可を田舎のホームに出しておいたので急に心配になった。
斎藤氏は、一年に100冊以上本を読むことを自分に課していて、その本の一部を送ってくれたものと思う。こういう、不調の時の日本食は特にありがたい。先日送ってくれた立花兄と連携して送ってくれたもののようで、速達便なのに、約2週間かかっている。送ってくれる費用と面倒をかけるのは恐縮の極みだが、頂戴すれば、単純に嬉しい気持ちでいっぱいになるのは立花兄のときと同じである。