12月3日の夜10:00デリー発のカリンディ急行は、約50分遅れて出発した。2年前に買った時刻表には11:00発とあったから、その点では、時刻通りである.しかし、駅で帰りのも予約しようと思い、アーグラに行く汽車を予約しようとすると、もうその汽車は走っていないという。ミーター・ゲージは順次、広軌に付けかえ工事をして、ミーター・ゲージの汽車は走らせなくなっているようだ。新しい時刻表を買おうと思ったが、どこも売り切れだった。
カンノウジからアーグラに行けないと分かって、デリーに戻る汽車を予約したら、既に満席で取れなかった。ともかくファルッカーバードまで行って、アーグラ経由デリーまで約500キロをバスで帰ることにした。
行きの汽車は、ファルッカーバードに朝8時着の予定が、7時に着いた。デリーを一時間遅れて出発し、一時間早く着いたのだ。一応朝早く起きて周りのインド人に確かめたので乗り過ごさずに済んだ。我々の乗った車両は、囚人護送車だったようで、数人の囚人が手錠で汽車の柱に繋がれ、同じくらいの数の警官が銃を持って番をしていた。それに気付いたのは、社内の便所に行った時だ。便所のそばに割に立派な身なりの男が立っているので、よく見ると、警官に綱で繋がれているのだ。デッキなどその辺りにいる警官が私達の乗っている車両を護衛しているのかと思ったら、そうではなかった。コンパートメント一つ分に囚人がいたのだ。
ファルッカーバードで降りると直ぐ、大型のオート三輪タクシーを雇って、約40キロ離れた、サーンカシヤーにいったが、道が悪いのと、スプリングがないのとで、腰を痛くした。駅前には、4輪タクシーがないのだから仕方ない。それでも2時間足らずでサーンカシヤーに着いて、象の柱頭のアショーカ王柱を見、直ぐ近くのストゥーパ址の上にあるデーヴィー神殿を参拝し、アショーカ王柱の直ぐ脇にある、お釈迦さんが、インドラ神に傘をさしかけられて、ブラフマー神と3体祀られた祠に参拝した。お釈迦さんが、三十三天で母に説法をしてから、その天の王インドラ神に守られて階段を伝って降り立ったところと云う伝説よるものであろう。今は、サンキシャーという村だ。これで、私は、八大仏蹟の全部に参拝したことになる。これまでこの伝説が荒唐無稽に感じられ、わざわざ来る気になれなかったのだ。
ファルッカーバード11:00発の汽車に間に合わなかったので、次の14:15の汽車をホームで待つ間、ホームの中を走り回る猿と通学高校生達に囲まれて話しをした。
カンノウジからアーグラに行けないと分かって、デリーに戻る汽車を予約したら、既に満席で取れなかった。ともかくファルッカーバードまで行って、アーグラ経由デリーまで約500キロをバスで帰ることにした。
行きの汽車は、ファルッカーバードに朝8時着の予定が、7時に着いた。デリーを一時間遅れて出発し、一時間早く着いたのだ。一応朝早く起きて周りのインド人に確かめたので乗り過ごさずに済んだ。我々の乗った車両は、囚人護送車だったようで、数人の囚人が手錠で汽車の柱に繋がれ、同じくらいの数の警官が銃を持って番をしていた。それに気付いたのは、社内の便所に行った時だ。便所のそばに割に立派な身なりの男が立っているので、よく見ると、警官に綱で繋がれているのだ。デッキなどその辺りにいる警官が私達の乗っている車両を護衛しているのかと思ったら、そうではなかった。コンパートメント一つ分に囚人がいたのだ。
ファルッカーバードで降りると直ぐ、大型のオート三輪タクシーを雇って、約40キロ離れた、サーンカシヤーにいったが、道が悪いのと、スプリングがないのとで、腰を痛くした。駅前には、4輪タクシーがないのだから仕方ない。それでも2時間足らずでサーンカシヤーに着いて、象の柱頭のアショーカ王柱を見、直ぐ近くのストゥーパ址の上にあるデーヴィー神殿を参拝し、アショーカ王柱の直ぐ脇にある、お釈迦さんが、インドラ神に傘をさしかけられて、ブラフマー神と3体祀られた祠に参拝した。お釈迦さんが、三十三天で母に説法をしてから、その天の王インドラ神に守られて階段を伝って降り立ったところと云う伝説よるものであろう。今は、サンキシャーという村だ。これで、私は、八大仏蹟の全部に参拝したことになる。これまでこの伝説が荒唐無稽に感じられ、わざわざ来る気になれなかったのだ。
ファルッカーバード11:00発の汽車に間に合わなかったので、次の14:15の汽車をホームで待つ間、ホームの中を走り回る猿と通学高校生達に囲まれて話しをした。