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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

江田佳弘君の実家に招かれる

2009年10月12日 | Weblog
昨日、江田佳弘君夫人から館山にある実家のお母さんの家で、8月に松戸で執り行われた葬儀に香典を送った人達を呼んで、ご馳走したいと呼ばれた。私も、その時、葬儀には参加せず、香典を送った。というのも、その直前に東京を往復し、その後、また直ぐ東京の友達と蝶が岳に行く約束をしていたので、なんどもバスで東京を往復すると山で過労に陥り、倒れるかもしれないと自信がなかったからだ。それに続いて海外に行くつもりでいたが、山から下りてから私自身の体力の限界も感じて、それは取りやめた。蝶が岳から下りて直ぐに江田佳弘君のところには焼香に伺ったが、足の筋肉痛と疲れで歩くのがやっとというザマであった。
その時霊前に持参した焼酎も今回持って来て飲ませるからと夫人に言われていたので、格別何も持たずに行ってもいいかという感じでいたが、当日になって、女性陣が、なにかまとまって持っていくらしいというので、守んツアンに言って、我々は、守んツアンに後から会費を払うから果物を手みやげにしてもらうことにした。
ところが、江田家の門前に集まってそれぞれが何をするかで、女性陣は一人1000円を不祝儀袋ひとつで用意したと言うし、照るちゃんはせんべいを買って来たと言うし、志田(旧姓五十嵐)君はこの辺の習慣では、1000円を皆で一つの袋にいれ名前を表に書くのだと言うし、私としては、この辺の習慣も分からず、下駄を預けた感じでいたのが、かえって不統一になり、おまけに、守んツアンは、我々の名前を表書きせずに既に、江田家に入ってその果物を差し上げていた。
この辺の習慣があるなら、それを訪れた門前で相談するのではなく、こちらに早く言ってくれれば、いいのだが、しかも江田家に入ってみれば、親戚が結構いたりして、これは、ひょっとすると49日を遅れて開いたのではないかと推察された。49日は、今月初めに終わっているはずであるから、単純に位牌を拝みにいけば良いのかと思っていたが、どうもそれだけでは済まなかったのかという感じであり、守んツアンに私と志田くんが1000円ずつ渡して、解散して別れる時に、志田くんから、ちゃんと不祝儀袋も持って来てあったのだと、見せられた。
どうも、こういう後になってこうではなかったという言い方をするところがこの町の行く末に良く似ている。