四月15日、奇しくも母の最期を看取った姉の五十周年金婚式でもある日に、約束通り母は軽く
骨になって帰って来るからねという約束を果たし、はるばる旭川から信濃町の父の入っている
墓に戻ってきました。
遺言通り初孫である柿本雅一の膝に乗って!何もかもが計画の内にあった感じで、
この四月雅一は札幌に転勤になっており、ほとんどの孫、ひ孫は東京に来ていたので、みんな
大勢集まることができました。
ずっと一人だった父の骨壺には年月の汚れが付いていましたが、その隣に真っ白な母の骨壺
が安置されました。
パパ!やっとママが来たよと思わず声をかけてしまいました。
父は59歳で急逝してしまったので、何の孝行も出来なかったのですが、その分母には一生懸
命心をつくしました。
なんたっては母は、父を早く亡くしたこと以外は強運の生涯だったと確信しています。
従妹やはとこ、そしていろんなご縁のあった方にお目に掛れて懐かしい一日でした。
母の武勇伝にも花が咲きました。
納骨のあと、三姉妹と柿本家の孫曾孫13人で私の熱海のマンションに行き、折からの春の花
火で母を送ったことでした。
賑やかで派手なことが好きな母にふさわしいいい見送りが出来たと思います。
次女の金婚式でもあったので、子供たちからのサプライズのペアワイングラスも贈呈されまし
た。五十年前のワインで乾杯でした。
ママ!ちゃんと見ていてね!私はママが進めてくれた俳句をよりどころに、これかも俳縁を大切
に前に進んで行くからね!
母の遺してくれた俳句を今拾い読みしています。