今日の朝日新聞「社説」から。
東京都が07年度から、都内の高校すべてで「奉仕体験活動」を必修教科としたことに対して文句をつけている。
すでにこうした活動を単位に認定している学校もあるが、あくまでも希望する生徒だけだそうだ。
それに対して、今回は「必修」としたことには、かなり不満のようだ。
『それが必修ならば、受けないと卒業できなくなる。ボランティアには、もともと志願者という意味がある。自由な意思が前提の活動を、学校で義務づけることに異を唱える人は少なくなかろう』などと言っているが、自由な意思だの、「義務付けることに異を唱える」だの、言いたいことは最後まで読まなくてもわかる。
とにかく「強制はいかん」ということらしい。
また、「奉仕」という言葉にもイチャモンをつける。
『かつて勤労奉仕に市民が駆り出された時代があった』と、とにかくイメージを悪くしようとする。
しかし、学校というものは、本来「教育」の場である。
教育とは、皆で考えて、「自由」に好きなことを「義務」づけられることなく行うもの・・・ではないはずだ。
相手は、まだ分別のつかない、社会生活というものを知らないガギどもである。
それでなくとも、「我慢する」とか「人のことを思いやる」ということがまったくできないどころか、「人に迷惑をかけてはいけない」ということさえ理解できない者を相手に、自由にさせたら、間違いなく「やらない」方向にいくに決まっている。
「義務」を果たさずに、権利ばかり主張する若者が、ロクな社会人になれるわけがない。
にもかかわらず、国旗国歌と同じく、とにかく「強制」とか「義務」とか言うと短絡的に反発する。
こんな新聞が広く読まれていること自体、教育には百害あって一利なしだろう。
一方で、こう言う。
『公共のための活動や働く体験に大きな教育効果があることは、さまざまな実践や研究で明らかになっている』
朝日新聞の汚いところは、「奉仕活動そのものを否定しているわけではありませんよ」と、必ず言い訳を用意しているところだ。
『細かい成績をつけるのでなく、活動時間を確認する程度にとどめる。そんなやり方なら生徒の意欲を引き出せるだろう』などとも言う。
バカかこいつは!
きちっと評価しなければ、いいかげんにやるヤツが出てくるのは目に見えている。
唯一納得できるのは『先生は率先して体験する必要があろう』というところだけ。
東京都が07年度から、都内の高校すべてで「奉仕体験活動」を必修教科としたことに対して文句をつけている。
すでにこうした活動を単位に認定している学校もあるが、あくまでも希望する生徒だけだそうだ。
それに対して、今回は「必修」としたことには、かなり不満のようだ。
『それが必修ならば、受けないと卒業できなくなる。ボランティアには、もともと志願者という意味がある。自由な意思が前提の活動を、学校で義務づけることに異を唱える人は少なくなかろう』などと言っているが、自由な意思だの、「義務付けることに異を唱える」だの、言いたいことは最後まで読まなくてもわかる。
とにかく「強制はいかん」ということらしい。
また、「奉仕」という言葉にもイチャモンをつける。
『かつて勤労奉仕に市民が駆り出された時代があった』と、とにかくイメージを悪くしようとする。
しかし、学校というものは、本来「教育」の場である。
教育とは、皆で考えて、「自由」に好きなことを「義務」づけられることなく行うもの・・・ではないはずだ。
相手は、まだ分別のつかない、社会生活というものを知らないガギどもである。
それでなくとも、「我慢する」とか「人のことを思いやる」ということがまったくできないどころか、「人に迷惑をかけてはいけない」ということさえ理解できない者を相手に、自由にさせたら、間違いなく「やらない」方向にいくに決まっている。
「義務」を果たさずに、権利ばかり主張する若者が、ロクな社会人になれるわけがない。
にもかかわらず、国旗国歌と同じく、とにかく「強制」とか「義務」とか言うと短絡的に反発する。
こんな新聞が広く読まれていること自体、教育には百害あって一利なしだろう。
一方で、こう言う。
『公共のための活動や働く体験に大きな教育効果があることは、さまざまな実践や研究で明らかになっている』
朝日新聞の汚いところは、「奉仕活動そのものを否定しているわけではありませんよ」と、必ず言い訳を用意しているところだ。
『細かい成績をつけるのでなく、活動時間を確認する程度にとどめる。そんなやり方なら生徒の意欲を引き出せるだろう』などとも言う。
バカかこいつは!
きちっと評価しなければ、いいかげんにやるヤツが出てくるのは目に見えている。
唯一納得できるのは『先生は率先して体験する必要があろう』というところだけ。
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