
3年前に読んだ『海賊とよばれた男』。
この冒頭、太平洋戦争が終わった日、家族の暮らす栃木県から東京に戻った
主人公の国岡鐡造は、自分の会社 国岡商店の本社のある銀座を目指しました。
「見渡すかぎりの焼け野原で、かつて世界に冠した華々しい帝都の
面影はどこにもない。道を往く人々の体からは生気が感じられず、
その目はうつろだった。
「鐡造の乗るオペルは銀座に着いた。銀座もかつての華やかな光景は
どこにもない。ビルの大半は瓦礫と化し、優美なたたずまいを見せ
ていた歌舞伎座も五月の空襲で、外壁だけを残して焼け落ちていた。
その隣にある国岡商店の本社である「国岡館」は奇跡的に焼失を免
れていた。

(歌舞伎座の手前、一番左に見えるのがモデルとなった出光ビルでしょうか?
毎日新聞社さんのサイトで発見しました)
「国岡館は鐡造の帰りを待っていたように見えた。いつかは空襲で
焼けるであろうと覚悟していたが、もはや燃え落ちることはない。
彼は夕日を受けて聳え立つ五階建ての国岡館を見上げて勇気を感じた。
この中に出ている国岡商店の本社の国岡館とは、冒頭の写真の中の屋上に出光の
マークが輝いているビルそのものなんです。
東京出張時に、度々、目の前を通っていたのですが、今日も通り掛ったので、
写真に収めてきました。
当時は5階建てだったようですが、今は8階建てくらいのようですね。
隣には、今でも、歌舞伎座があります。
敗戦で全ての資産を失ったが、国岡鐡造はひとりの社員もくびにすることなく、
このビルに全社員を集めて、再び立ち上がることを宣言しました。
「愚痴をやめよ。ただちに建設にかかれ」
そんなドラマチックな出来事の本物の舞台だったこの建物。
今では歌舞伎座タワーに呑み込まれんばかりの小さなビルですが、戦後の日本の
復興を誰よりも真っ先に切った場所ですね。
出光佐三さん。海賊なんて足元にも及ばない、超一流の人物です。
本当に働け働けの時代を頑張ってきた私たちの親世代。
今度歌舞伎座に参りますのでそんなドラマチックの物語のあった所拝見させていただきます。
素晴らしい日本人。勤勉な日本人良いお話お聞かせいただき有り難うございました。
ご主人も含めて、すごい日本人はたくさんいますね。
ぜひ出光ビルも見て下さい。