
みなさんご存知のとおり、我が家の姓は『磯輪』です。

その『磯輪』という姓の由来は、まだ我が社の創業者でもある祖父が健在な
頃、祖父から、
「むかし、むかり、神様が丸木舟で今の三重県のとある海岸に流れ着いたと
いう伝えがあり、以来その地では、船大工が大勢生まれた。
うちのご先祖様はその船大工だった。苗字を名乗ることを許された時、
『舟は、磯の車輪だから、磯輪と名乗ろう』
となったのだ」

と教えてもらったことがあります。実際三重県の志摩地方に行ってみたら、
確かに『磯輪』さんが結構いました。

ただもっと『磯輪』の由来を遡ってみると、実はとても興味深い事実があり
ました。

西暦720年に完成した『日本書記』の神代の巻に、イザナギの尊(みこと)が
我が国 日本のことを次のように詠んだという一節があります。
「日本(やまと)は浦安の国、細(くわし)ほこ(変換できない漢字です)
千足(ちたる)の国、磯輪上(しわかみ)の秀真国(ほつまのくに)」
さてその意味するところですが、
「日本は、心安らかな平和な国、精妙な兵器を行使するのに大切な倫理
道徳観が十分に確立している国で・・・」
で、問題の「磯輪上(しわかみ)の秀真国(ほつまのくに)」なんですが、
実はこの「磯輪上(しわかみ)」も、「秀真国(ほつまのくに)」も、
いずれも謎が多い部分なのです。

「潮が輪となって打ち寄せる磯の上にある国」
という説があります。
この「秀真国(ほつまのくに)」に関しては、日本書紀よりもさらに昔、
『日本書記』の原典とも言われ、ホツマ文字という神代文字で描いた、
1万行にものぼる一大叙事詩 『秀真伝(ほつまでん)』という、あまり
知られてはいませんが、ものすごい書物ががあるんです。


この『秀真伝(ほつまでん)』には、
「磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の宮」
とか、
「ついに磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)なる」
と常に「秀真国(ほつまのく)」を修飾しているようで、「磯輪上(しわかみ)」
は「秀真国(ほつまのくに)」の枕詞と考えられています。

また大直根子命の歌として『秀真伝(ほつまでん)』の中で、
「磯の輪の 真砂は読みて 尽くるとも 秀真の道は 幾世尽きせじ」
とも引用されています。

つまり、『磯輪』は謎に包まれた部分が多く、ミステリアスで、ロマンチック
なんです。
また、『磯輪』という姓は日本の国の枕詞になるくらい由緒ある姓であると
いうことです。

だからこれからは、もっと神々しいものを見るような目で私のことを拝んで
下さい。
でも「いそわ」が「しわ」だったから、ひょっとしたら「しわ」さんって
呼ばれていたかもしれないんだな~

「しわ」さんだったら、今頃我が社の社名も、「SHIWA]だったんで
しょうか・・・

ということで、今日は我が磯輪家のルーツのご紹介でした。

難しすぎて、少々、理解できません。
面倒な話題で失礼致しました。
ただ『磯輪』という姓が歴史的に由来のある言葉
だということを言いたかっただけなんです。
ごめんなさい。
2年半近くも前のブログへのコメント、驚きました。
わが社のお客様なのでしょうか?
それも磯和さん。
わが家と同じ志摩地方にルーツを持つなんて。
ぜひ一度お会いしたいものです。
これからも末永く親戚付き合い、お願いします。
ありがとうございます。
貴重な学説の紹介ありがとうございました。
私にとっては新説です。
いろんな解釈があるんですね。
昨日、友達と自分たちの名字の由来の話になって、ネットで調べると磯輪さんの日記を発見したので興味深く読ませていただきました!
父方の実家が鈴鹿の方なのでやはり関係あるんですね。
これで明日からは自分の名前の由来を少しは語れそうです笑
こんにちは。
5年も前の記事にコメントがあり、驚きました。
でもこういう輪が広がるから、ブログってすばらしい
ですよね。
磯輪は磯和よりもさらに少ないので、磯和ファミリーの
仲間に加えて下さいね。
ありがとうございました