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お父様に似ているモナコ大公

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長男はアルベール2世でモナコ大公となっている。
五輪にも5回ボブスレーの選手として出場している。柔道も黒帯という人物だ。現在は五輪ICO委員を務める。
国家元首として、北極点に犬ぞりで到達したなかなかのスポーツマンで冒険家ではある。
独身の頃、もうけた非嫡出子
ジャズミン・グレース・グリマルディ
アレクサンドル・コストの2児がいる。
その後、 2011年7月に南アフリカの元水泳選手シャルレーヌ(シャーリーン)・ウィットストックと結婚した。
婚姻後はシャルレーヌ・ド・モナコ(Charlène de Monaco)、称号は「平静平安なるモナコ公妃シャルレーヌ殿下」と呼ばれている。


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子どもはない。
グレースケリ―の父、兄は五輪のボート競技で活躍しているからその血がここに現れたと言える。
母もドイツ系の元モデルだった。
次女編
ステファニー・ド・モナコ

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こちらも、モナコ公室のボディーガードであったダニエル・デュクリュエとの間に未婚のまま2児をもうける。その後ダニエルとは1995年に結婚するが、翌年には離婚する。
ルイ・ロベール・ポール(1992年 - )
ポリーヌ・グレース・マギ(1994年 - )
その後、未婚のまま第3子カミーユ・マリー・ケリー(1998‐)を出産する。
カミーユの父親とは未婚のままのため、、非嫡出子となり、モナコの公位継承権を持たない。

ステファニー公女(左から2番目)とその子供のルイ・デュクリュエさん(左端)、カミーユ・マリー・ケリーさん(右端)、ポリーヌ・デュクリュエさん
AFP=時事(出典)
2003年にサーカス団員のアダン・ロペス・ペレスと再婚するが、翌年に離婚した。
その後、ヒットメーカー・ロマーノ・ムスマッラのプロデュースで歌手デビューを果たす。母の交通事故死から3年後のことだ。
1986年のデビューシングルOuragan (邦題『恋はセンセーション』)はフランスで1位となり、100万枚のヒットとなった。
それ以後も色々な俳優と浮名を流す。
意外と自由なモナコ公国である。