涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

本年も暖かい部屋からお届けいたします。

2007年01月05日 | 政治哲学・現代思想
暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

 これが人間か、考えてほしい
 泥にまみれて働き
 平和を知らず
 パンのかけらを争い
 他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
 これが女か、考えてほしい
 髪は刈られ、名はなく
 すべてを忘れ
 目は虚ろ、体の芯は
 冬の蛙のように冷えきっているものが。

(『アウシュヴィッツは終わらない』プリーモ・レーヴィ、朝日選書)


 新年を迎えて朝日新聞の朝刊は1面で新たな集中連載を開始しました。これまでまとまった論考をあまり見かけることのなかった、涼風を中心とする世代についての世代論なので非常に興味深く読んでいるのですが、記事のタイトルがよりによって「ロストジェネレーション」とは失礼だな君ら。
 冗談めいたツッコミはさておき、実際のところ、世代論的な切り口というのは、それが万能ではないことを自らに言い聞かせながら活用するという前提の下ではありますが、重要な視点だと思うのです。以前平野啓一郎について書いたエントリで少々触れましたが(2006年10月5日付け記事)、涼風らの世代というのは、単に就職氷河期にぶち当たったというだけでなく、そこに至るまでに各年代で受容してきた空気・文化・価値観が、手に入れた端から使い物にならなくなっていく無常感と格闘しなければならないという点において、特に困難な時代を生きる世代である、と考えている涼風(三十路)なのであります。

 先の朝日新聞の連載は、どうしても昨年の流行り文句「格差社会」と朝日的に流行らせたいと思っている「ロストジェネレーション」を結び付けたくて仕方ないようですが、それは必ずしも経済的な要因だけに帰着するものではなく、涼風らの世代が、どのようにソ連崩壊を受容し、バブル崩壊を受容し、地下鉄サリン事件を受容し、イラク戦争を受容し、モーニング娘。を受容したか、ということに思いを巡らせなければならないのでしょう。就職氷河期の「割を食った」という部分にスポットライトを当てるのも、それはそれで重要な視点かもしれませんが、「ジェネレーション」という世代論として語ろうとするのであれば、この世代が今に至るまで「どの年代のときに、どのような事件・音楽・物語に遭遇したのか」という視点を追加してやらなければなりません。

 ところで、涼風自身についていえば、朝日新聞がイメージするこの世代の事例とは反対に、ひどく古典的な雇用の形態に収まって働く、旧世代型のサラリーマンだったりします。1日8時間勤務の週5日、残業少々(概ね時間外手当が出るがサービス残業も少々)、お給料も今日付けの朝日新聞がネット調査結果として載せている「25~35歳・正社員・男性」の平均と大差ない。格差社会と言われる流れに掉さすように、自らは「中流」の位置を守り続けているという自覚があります。ホリエモンのように大金を動かすでもなく(社の金で数十億の契約に関わることはあるが、自分の給料には特に関係しない)、漫喫や日サロに寝泊りするわけでもない。
 それでは、そんな涼風がこの「ロストジェネレーション」について何ごとかを語れるのか、何を語りうるのか、という点について言えば、むしろ「ロストジェネレーションにおいて今や希少な中層階級」である涼風のポジションであればこそ、語りうることがあると思うのです。このポジションでなければ語ることのできない言葉が、きっとあると思うのです。

 例えば村上春樹が(地下鉄サリン以後特に顕著に)繰り返し繰り返し描き続ける「平穏な日常とすぐ隣り合わせの闇」について、少なくとも涼風は自らに身近なものとして共感することができますし、このような感覚は涼風らの世代において特段珍しいものではないのではないかと思います。それは涼風の個人的な体験としては、地下鉄サリン事件の際に身をもって実感したものであり(2006年12月11日記事)、また、そのような「闇と隣り合わせの危うさ」を実感することができたのは、結局のところ、闇の側に落下することがなかったから、自分や自分の近しい人が地下鉄サリンの「被害者」にならずに、生き延びることができたからなのでしょう。
 涼風の立場から言わせてもらえば、就職氷河期とかいう代物も、要するに人生の中で既に何度もめぐり合い、やり過ごしてきた「日常と隣り合わせの闇」のひとつなのです。それもやはり、涼風自身は闇に転げ落ちる危機とすれすれのところを歩きながら、今のところ闇に落ちることなく、どうにか渡ってきているからこそ言えることなのでしょう。
 そしてこのポジションには「証言」の可能性がある、と私は考えているのです。すなわち、真に闇に落ちてしまった者、例えば、不幸にも地下鉄サリン事件で命を落としてしまった方は、まさに最大の被害者であり、この事件についてもっとも重要な何ごとかを経験していて、それゆえに、もはや何も語ることができない。それについて語ることができるのは、隣接して生き残ったサヴァイバーのみであり、生存者はただ生存したというその事実ゆえに、死者が体験した何ごとかについて語ることが、決定的に不可能である。そして「証言」とは、語ることにより、この「語りえないもの」をこそ明らかにすること、そこに確かな欠落があることを浮き立たせること、なのではないか……というのが、最近読みかけのアガンベンなどから私が読み取ったことなのです。
 そうであるならば、私はこの私のポジション、常に破滅的な暗黒と隣り合わせにありながら、細い綱を辛うじて渡り生きながらえている(要するに未だ無理して中流にしがみついている)というポジションを守りながら、このポジションからこそ、われわれを破滅に導こうと待ち受けているその深い闇について、何ごとかを語るべきなのではないか、と思っているのです。

 そんなわけで、今年も相変わらずレーヴィの言うところの「暖かな家」から、世代論もジェンダー論もアフリカ論も遠慮なく語っていく所存です、という年頭の抱負でした。
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。


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