涼風野外文学堂

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銃と巨乳。

2007年04月01日 | 政治哲学・現代思想
 実に1ヶ月ぶりのご無沙汰でございます。この時期仕事が超多忙なのは例年のことなので織り込み済みだったのですが、実を言うと仕事以外の部分でまあ色々ありまして。プライベートなので詳細は控えさせてもらっていいですかそうですか(謎
 ともかく、3月はまったく投稿しなくて申し訳ありませんでした。この反省を活かし、4月は1日1トピックスの投稿を心がけたいと思います、とか言ってみる今日は4月1日なので信用しちゃ駄目ですよ。例によって、無理しない程度に時々更新して参りますので、生温かく見守ってやってください。

 さて、復活一発目のネタのタイトルとして↑これはどうだと思わないでもないのですが。

 背景を説明しますと……
 昨年まで、防衛庁の共済部門を受託する外郭団体である「財団法人防衛弘済会」というところが発行していた雑誌で「セキュリタリアン」というものがありました。これが防衛庁編集協力ということで、防衛庁のPR活動に一役買っていたのですが、昨年の夏をもって休刊となり、代わりに扶桑社から「MAMOR(マモル)」という同趣旨の雑誌が発行されるようになったのでした。
 で、私のような素人の目から見て、同一コンセプトの雑誌である「セキュリタリアン」と「MAMOR」の大きな違いは、何と言っても「巻頭に女性グラビアがあるかないか」ということなのです。「MAMOR」は創刊以来各号の巻頭で「Monthly Venus 防人たちの女神」と称して、グラビアアイドルが迷彩服着て戦闘機のコックピットで微笑みながら敬礼している、というような感じの写真グラビアを数ページずつ掲載しています。ちなみに最新号(5月号)の巻頭グラビアは佐藤江梨子。
 で、これを毎号見るたびに思い返すのが、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で、抜群のプロポーションの女性が露出度の高い迷彩柄の服を着て肩から銃を提げている、軍のPR用の映像が、批判的に引用されていたことなのです。同映画の中では、銃や軍隊に対する親近感を持たせ、市民社会に浸透させようとするプロパガンダの一例である、という程度のメッセージしか与えられていなかったように思いましたが、最近の「MAMOR」を見るたび、どうやらこの問題を掘り下げて考える必要があるのではないかな、と思えてきたのです。すなわち「銃と巨乳は親和的である」というテーゼについて検討する必要があるのではないかな、と。
 「MAMOR」の創刊号のグラビアは夏川純だったし第3号はサトエリだし、第2号も私がよく知らないグラビアアイドルだったんで名前は忘れましたが、ともかく3人とも、いわゆるグラビアアイドル、水着で写真の被写体となることを活動の主なフィールドとしている(いた)ような、特定ジャンルの芸能人であったと記憶しています。防衛庁/防衛省及び自衛隊の活動について、国民の理解と支持を深めようとするのがこの雑誌の目的であるならば、国民人口の約半数は女性であるのだし、女性グラビアを載せる必然性はないでしょう(例えば、巻頭カラーでKAT-TUNが基地案内してくれる号があったっていいじゃないか?)。
 そんなことを考えているうちに、「ボウリング・フォー・コロンバイン」で引用されていた軍のPR映像も、「MAMOR」の各号の巻頭を飾る女性グラビアも、単なるPRという意図を超えて、より深いところで、軍隊=国家が独占する暴力の本質を象徴しているのではないか、と思い始めた次第です。われわれは単に「戦闘美少女萌え~」などと安易な感想を抱くのでなく(苦笑)、軍隊という組織が先天的に内包するファロセントリックな暴力の欲求について、警戒するとともに、その仕組みについて深く知ろうとしなければならないように思うのです。

 さて、どっちかっていうと左寄りの涼風が何だって「MAMOR」を毎号読んでるのかっていうと、それもまた秘密ってことで(汗


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