近代国家の成立にかかる必須要件として、官僚機構と常備軍を掲げるのが世界史の常識です。つまり、近代国家(絶対王政以降の国家)は、権力と暴力を集中的に掌握することにより初めて誕生したのだと。
この一般的なストーリーを、逆から見たらどうなるだろうか、ということを思いつきました。つまり、権力や暴力は有史以来、人間社会のあらゆる場所に遍在していた。ローカルな、空間的には狭小な、局所的な各部分で、それぞれ独自の態様をしてあった暴力を、飼い馴らし、コントロールするために進化したのが「近代国家」という暴力コントロール装置であったとしたら?権力と暴力が集中したことで近代国家が誕生したのではなく、権力と暴力を一つ処に押し込め、管理し、暴発を防ぐための装置として発展してきたのが「近代国家」という仕組みだったのではないか?
単なる思い付きで、何の裏づけもないですが、ネタとしては面白いような気もします。この視点からは「ローカルな権力/暴力が、そのローカルな統治のもとでの権力/暴力のコントロールを放棄し、上部構造である国家に委ねることで、より安定的なシステムを入手した」というシナリオを描くことができます。これを発展させると「国家が、その統治のもとでの権力/暴力のコントロールを放棄し、上部構造である『世界共和国』に委ねることで、より安定的なシステムを入手する」という柄谷=カント的なシナリオも、単なる絵空事として笑い飛ばして済まされるものではなくなるのではないでしょうか。でもそれってノージックのユートピアじゃねぇ?
要するにタイの事件が俺の中で消化しきれてないのです。仕方ないじゃないか毎日きっかり14時間ずつ頭脳労働してると徐々に思考能力落ちてくるんだヨ。
まだ14時間で済んでるんだから文句言うなって?まったくだorz
※ このブログを書いている涼風のウェブサイト「涼風文学堂」も併せてご覧ください。
「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。
この一般的なストーリーを、逆から見たらどうなるだろうか、ということを思いつきました。つまり、権力や暴力は有史以来、人間社会のあらゆる場所に遍在していた。ローカルな、空間的には狭小な、局所的な各部分で、それぞれ独自の態様をしてあった暴力を、飼い馴らし、コントロールするために進化したのが「近代国家」という暴力コントロール装置であったとしたら?権力と暴力が集中したことで近代国家が誕生したのではなく、権力と暴力を一つ処に押し込め、管理し、暴発を防ぐための装置として発展してきたのが「近代国家」という仕組みだったのではないか?
単なる思い付きで、何の裏づけもないですが、ネタとしては面白いような気もします。この視点からは「ローカルな権力/暴力が、そのローカルな統治のもとでの権力/暴力のコントロールを放棄し、上部構造である国家に委ねることで、より安定的なシステムを入手した」というシナリオを描くことができます。これを発展させると「国家が、その統治のもとでの権力/暴力のコントロールを放棄し、上部構造である『世界共和国』に委ねることで、より安定的なシステムを入手する」という柄谷=カント的なシナリオも、単なる絵空事として笑い飛ばして済まされるものではなくなるのではないでしょうか。でもそれってノージックのユートピアじゃねぇ?
要するにタイの事件が俺の中で消化しきれてないのです。仕方ないじゃないか毎日きっかり14時間ずつ頭脳労働してると徐々に思考能力落ちてくるんだヨ。
まだ14時間で済んでるんだから文句言うなって?まったくだorz
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涼風様は柄谷=カントの世界共和国路線をどの程度評価していらっしゃるのでしょうか。私としては統治とは民族自決を原則とするものと思っておりますので、ある程度の矛盾は収斂されてゆくとしても、最終的に幾らかの国家は残り、幾ばくかの紛争やテロは起きるものなのかなあと近頃ちょっと投げやりな気分でおりますが(笑
ノージック、近々『所有・正義・最小国家』あたりを読もうと思っているのですが……またいろいろ教えてくださいね。
私も今朝は知人から「タイクデター」とかなんとかいうメールで叩き起こされたクチですが(笑)、それにしても、近畿ツーリストは本日発のタイ観光ツアーを決行したもようで、この緊張感のなさは一体なんなんだよと問いたい。問い詰めたい。小一(略