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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

秋山紀行 2

2008年01月07日 | 雑記
 秋山郷は長野県と新潟県の県境にある点在するいくつかの集落の総称で、昔から北側が新潟県、南側が長野県に属しています。長野県側の秋山郷は冬になると雪で通行不能(現在も)となり、新潟県側からでないと車が通ることができません。雪が解けると飯山方面から入る林道が繋がり、また奥志賀からの雑魚川林道も繋がりやや便利になりますが、それでも道路整備が整ってくる近年までは、冬は新潟県側からも入ることが出来なくなる、正に陸の孤島でした。今から20年ほど前に知り合いが秋山郷へ旅行したときの感想は、「行けども行けども山ばかりで、集落はあるものの、すぐになくなり、いつかは平らで開けたところに出るかと思ったが最後まで山の中だった」ということでした。その後、私も実際に行ってみて同様の感想(笑)を持ちました。現在でも長野県の中にある村(市町村合併が進み少なくなりましたが)には、平地が全く無いところが多く存在しますので、秋山郷もその一つかと思うとそれほど珍しいことではありません。また長野県ではもちろん北の秋山郷、南の遠山郷(霜月祭りが有名です)が2大秘境として知られていますが、切り立った山の斜面に所々に集落や役場、学校まであるところはまだまだ残っています。そのほとんどが現在は限界集落という最近出来た造語に分類されますが、いずれも高齢化が進み、村としてあるいは集落としての行事が出来なくなってきていることも事実です。
 さてこうした山奥ないし、切り立った山の斜面にある他の集落と秋山郷が異なるのは、その閉鎖性にあります。今でこそ全国津々浦々に道路整備が行き渡り、便利になると同時に、その地域性はほとんど皆無になってきていますが、昭和初期の戦前までは、秋山郷においては、古い因習が残されていました。その因習について、江戸時代に鈴木牧之が詳細にルポしていますが、その習慣は昭和初期までは残っていました。その中でいくつか特徴的なものを上げてみたいと思います。
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