感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

東慶寺

2010年05月18日 | 徒然草
5月4日

ゴールデンウイークも終盤の5月4日、三年ぶりに北鎌倉から鎌倉駅まで歩く。不景気の影響で手短なところで余暇を楽しむ方が増えたのか、北鎌倉で降りると朝9時過ぎにも関わらず、すでに多くの人が改札の内外に溢れている。人ごみを避け踏み切りの際で一休みし、円覚寺(えんがくじ)の石段を登る。
 総門へ続く石段を上がるともみじの若葉がやわらかな日差しを浴びて輝いている。三門へ続く石段に向かう途中、松籟院の入口からのぞく牡丹の花が見事でだったので、帰りに見て行こうときめ、広大な境内最奥の黄梅院まで向かう。途中普段は見ることが出来ない国宝の舎利殿が特別公開されていた。鎌倉時代の唐様様式とでもいう佇まいは別所温泉安楽寺の八角三重搭との共通点が多い。
 再び山を下り、黄梅院には入ると牡丹は見ごろをやや過ぎていた。回遊路に従って、急勾配の坂道を上がると墓地に出る。ここは田中絹代やオウム事件の被害者の坂本弁護士の墓もあり、焼香の煙が絶えないところであるが、その中で一際異彩を放つ墓石が作家「開高健」の墓である。そこには越前産の渓流の角張った目の粗い長方形の石がどっしり置かれている。かつての庶民の墓石は川原のつるつるとした人が持てるほどの大きさの石ころの時代が近年まで続いていたが、こちらは直径1mほどの堂々とした自然石で、いかにも開高の豪放磊落な人生を顕すに相応しい気もするのだが、やはり調った墓地に違いなく、人工的なにおいがするのが残念な気がした。果たして開高が生前に用意したものなのだろうか。
 円覚寺を後しに、東慶寺へ向かう。しっとりとした趣の境内を過ぎ墓苑に入ると、4~5人の女子大生が「和辻哲郎‥‥!?」といいながら小林秀雄の墓地を横切り墓苑内を探していた。西田幾多郎ではなく、和辻というのに好感が持てたが、哲学科の学生なのだろうか。  小林秀雄の墓に向かい五輪搭を良く見ると、中心にある石に仏像らしきものが浮かびあがっていた。これは前回気が付かなかったことである。なるほど見るということはこういうことなのかと思い、「いかに私達はものをみていないか」という小林の話を思い出す。大作「本居宣長」を脱稿した小林秀雄が、伊勢にある宣長の墓の前で花を供え真剣に手を合わせている写真を見たことがあるが、小林は宣長と何を話したのだろうか。

墓石の近くには宿根草の青葉が生命力の強さと美しさを見せていた。
コメント (6)
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