感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

徒然草 14 「無常ということ」2

2009年02月13日 | 徒然草
小林秀雄は二十代後半から四十四歳まで明治大学で教鞭をとり、三十六歳で教授に昇格。その間、日本文化史を教えていた。大変おもしろい授業だったという。そこで小林は「新しい歴史の解釈」を展開していったのである。ところが、歴史を研究すればするほど、動かし難いものであると感じ始める。その考えはドストエフスキーについて詳しく調べた頃から持つようになったようだ。「人は自分が理解できる範囲で、自分に都合がいいように歴史を解釈したがる」という趣旨のことを言っているが、自分なりに理解したつもりでも、それは自分の都合で繋ぎ合わせた結果であって、更に詳細に事実関係を埋めて行くと、様々な矛盾撞着点が出てくるようになる。そういう徹底した研究態度をもってみてもいいではないかという。歴史事実あるいは歴史的作品をより良く知るために、その時代背景などを丹念に調べることは歴史理解への道であるが、それが流れとして必然に起こったあるいは、成立したということだけが歴史を本当に理解することであろうか。なるほど制作過程や制作動機は興味深いものであり、またそれに連なる前時代からの流れや後世への影響というものも大切であるが、それは歴史の教科書や専門書にすべて書かれていることである。それを記憶することは易しいことなのであるが、それだけでは、幾年月を通して感動を与え続けた事あるいは作品の秘密乃至本質は説明がつかない。ではどうすれば良いのか。どうすれば、歴史の本質に迫ることができるのか。小林は言う、「上手に思い出さなくてはいけないだろう」 つまり歴史を正しく見るには、歴史学者や国文学者の視点ではなく、詩人としてのものの見方が必要であり、これは大変難しいことであるという。これは文字通り難しいことであるが、私は以前にも書いたが、わがこととして思い出すようにすればいいと思う。ただ気をつけなくてはならないことは、「当時の人が思ったように」思い出さなくてはならないのである。

永遠なるものを失った現代的視点で見てはならない。
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善光寺ライトアップ 24

2009年02月13日 | 善光寺&諏訪御柱
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善光寺ライトアップ 23

2009年02月13日 | 善光寺&諏訪御柱
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善光寺ライトアップ 22

2009年02月13日 | 善光寺&諏訪御柱
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