くらぶとろぴか

きもちはいつもシパダンの海の中。シパダンとコタキナバル旅の備忘録、ときどき弾丸、そしてホームワークアウトおたく。

プロゥ・ウェー→バンダアチェ→KL LCCT

2009-01-28 22:36:47 |  旅行
せっかくきのうは午前1ダイブだけにしたのに、器材もTシャツもすっきり乾いてくれない。願わくば、昼の強い日差しでカラっとかわかし、きのうのうちにパッキングといったところだったが無理だった。そして5時起きパッキング。今朝になってもすべてが湿っぽい。きょうは格安航空会社のエア・エイシアでKLに移動するが、無料受託手荷物が15キロしかない。格安なだけにエクセスには手きびしいというので、極力軽くおさえたいが、このぶんだと湿気で重くなりそうだ。この島で捨てても環境破壊にならなそうな不要品は、潔くゴミ箱へ。

パッキング後、朝食用に買っておいたドーナッツを食べようと思ったが、ややすっぱい感じがしたのでやめにした。せっかくバリ製腹痛が一段落したのに、新たなる腹痛はいやだ。ちょっと虫が入らないように過剰に封をしすぎたかな。

ガパンビーチから港までは、午前7時にミニバスがルンバルンバの前でピックアップしてくれる。荷物を持ってビーチを歩く、っていう作業はまぬがれた。ただここは普通の宿泊施設とちがって、荷物は運んでくれなから、それぞれ斜面にたった部屋からダイブセンター前まで自力で荷物を運ばなければならない。子どもの頃、うんていをやったあとみたいに、指の付け根がまめになってしまった。出発10分前に荷物を持ってダイブセンター前にゆく。ようやく明るくなってきた感じだ。



チャイニーズ・ニューイヤー・ホリデーの終わりとともに、きょうは帰る人が多いので、人間はミニバス2台に分乗、荷物はトラックに積んで出発となった。ミニバスはまたよく飛ばす。しかも前を走る、ルンバルンバから一緒に出てきたもう1台をあおるあおる。ついにはわれわれの車が先をゆくことなった。窓から入る朝の湿った空気がここちよい。アップダウンとカーブ続きの道は、ジャングル、見え隠れする海、田んぼ、集落と、どんどんその景色を変えてゆく。そんなドライブ中、むっ、突然の悪臭。道には広範囲にわたって牛のフンが散乱していた。まあ臭いのも1分少々。今まで行った他の東南アジアの田舎より、牛やヤギの闊歩率が高い島だった。


ウェーの港、バロハン港には7時40分には着いた。ここで船を降りたときには、ガパンに行くことしか考えていなかったし、後ろを振り向く間もなくミニバスに乗ったので、これが港の入り口かぁ、とはじめて見るながめのようだ。




8時にスローなフェリーが12,000ルピアであるので、本当はそちらにしたいところだ。スローといっても2時間15分、バンダアチェ発のフライトは16時50分。時間は十分にあるのだから。でも荷物がまだ着いていないのでそうもいかなさそう。チケット売り場へ行って、8時半発高速船のエコノミークラスを55,000ルピアで買う。アチェの港では、きっぷ売り場のお兄さんが名前を書いてくれたが、ここのお姉さんたちは、乗客に書かせる。

きっぷを買って待合室に入ろうとすると、おばちゃんがナシ・ブンクスを売りに来た。ナシ・ブンクスは、ごはんと簡単なおかずを紙に包んだものだ。「中身は何?」と尋ねたら、「イカン(魚)とトゥロー(卵)」という返事。いくらか尋ねると、6000ルピア。うれしい安さ。これは買うしかない。おばさんから茶色い油紙で三角形に包まれたナシ・ブンクスを受け取る。ところがおばさん、あわてて「イカンとトゥローとっちがいいの?」という。「イカン!」と言ったら、私の手からナシ・ブンクスを奪い取り、別のをくれた。イカンとトゥロー両方が入っているのかと思ったら、イカンとトゥローの二種類から選ぶってことだったらしい。

待合室にスーツケースを放置し、港をしばし散策してみた。港の入り口に数件みやげ物やがあるのでひやかすことにした。どの店も商品はほぼ同じ、ランブータンなどのフルーツやケーキを売っている。ここはみんな商売っ気があり、みな満面の笑みで「こっちこっち」と手招きしている。一番手前の店がケーキのにおいをかがせてくれた。こちらのカルチャーって、試食はなく、においだけなのね。おなかがすいているので、おいしそうに思えるが、切ってないカステラ1本買うようなもので、ツーリストにはむかない。ノーサンキュー。



他に見るところもないので、待合室に戻ってナシ・ブンクスを食べようと思ったら、待合室はガラガラ。時計を見ると、まだ8時10分頃だが、もう乗船開始になっていた。そういえば、バンダアチェを出るときも、ずいぶん早くに乗り込んだことを思い出した。ナシ・ブンクスはあとにして、まずは船に乗ることにした。エコノミークラスでエアコンなしなら外の方が気持ちがよいから、客室を抜けて、外の席にすわってナシブンクスを食べる。うーん。これぞローカルフード。ココナッツミルクで炊いたご飯にチリソースが少しかかっていて、魚が乗っている。最初は?となったが、食べているうちにどんどんおいしくなっていく。6000ルピアは日本円にすれば50円しないと思うと、なんて素晴らしい食べ物なんだと思えてくる。さて、エコノミーの外の席は人気?出発する頃にはローカルでいっぱいになった。



船は8時31分に出発した。ひとりぎりぎりで走ってきたローカルがいたので、1分遅くなったのだ。遠ざかるウェーを見ながら、ウェーという島は本当に好きだけれど、なぜか名残惜しくも感じないのは不思議だ。ここにまた戻ってくる気もするし、これが最初で最後な気もする。

バンダアチェのウレレ港で下船したのは8時45分頃。港に着くと、またまた降りてきた客ひとりひとりを、男どもがわっと取り囲み、「タクシー?」「ペチャ?」と詰め寄ってくる。私ももれなく詰め寄られ、いちばん近くにいたおっさんが、「ベチャでいい?」と言う。あれだ。バイクの横にサイドカーが着いたやつ。「なんでもいいから町に連れて行ってちょーだい。」と言うと、ベチャのおっさんが、「オッケー」と荷物を持って歩き始める。すると別のドライバーが「タクシーだよ」と言ってくる。おっさんが「いやベチャだ。」としばしにらみ合い。結局、ベチャの小柄なおっさんが、荷物をかついで歩き始めたので、ベチャ決定となった。

ダイビングで一緒だった白人たちは皆、タクシーをチャーターして津波跡を見に行くと張り切っていた。朝のフェリーで着くツーリストはだいたい午後16時50分のエア・エイシアに乗るのはわかっているはずなのに、港で「時間まで観光どう?」っていうドライバーは誰もいなかった。4年前に毎日のように映像でみた、あのバンダアチェの壊滅的な状況、犠牲者の数を考えると、ホリデー中の1ツーリストが、ダイビングの帰りに、時間つぶしの感覚で、物見遊山的に津波跡を見にゆくのは違うな、と思った。どっちにしても、最初から厳かな気持ちで見に行くべきだと思う。

ベチャの止まっているところにいくと、これがまた超おんぼろベチャであった。「どこに行くの?」とおっさんに聞かれ、「エルメスホテル」と答えた。エルメスパレスホテルにあるスパで休もうという考えだ。ペチャのおっさんが、「エルメスってどこ?通りの名前は?」と言う。「知らない。いちばん大きいホテルだと思うよ。」こんな心もとない状態で出発。エルメスは、もともとスイソテルという別のチェーン系だったものが、経営かわってエルメスになったのだが、どうしてもスイソテルというのが思い出せなかった。

ベチャで港を出発すると、しばらくまた砂利のガタガタ道。「ここは津波でやられたんだ。」とおっさんが言う。まだところどころに瓦礫が積まれているし、護岸もコンクリが新しく、周囲の景色となじんでいない。でも、マングローブの若木が水の中から出て来ていたり、数年でずいぶん様子は違ってくるだろう。

ベチャで走ると、バンダアチェの強い日差しや町の風をじかに受けるので、タクシーより町を身近に感じる。道中、おっさんが「ここも津波にやられた。」と何ヶ所か教えてくれた。津波のあとに、もう生々しさはないが、まだまだ瓦礫だらけのところ、修復中のところが多い。でも、町には元気があった。人々の表情にすさんだ様子も見られない。町の中心に入ると、ほこりと排気ガスを思い切りかぶったけれど、ベチャもいいもんだ。津波博物館なんて立派な建物もできているし、きれいな公園もあった。バンダアチェをほんの垣間見たに過ぎないが、アチェには前向きなものを強く感じる。今、危機的状況にある日本。首都圏では、JR、私鉄、地下鉄、なんらかいつもどこかで電車が止まっているのは異常だと思う。この、ゼロから再生していくアチェの姿には、学ぶところがある。

「いちばん大きいホテル」のたとえだけで無事エルメスホテルに着いた。このホテルにボロボロのベチャで着いたこと自体が笑える。ベルボーイが、このホテルに似つかわしくないいでたちの来客に、やや困惑しているのがみてとれたが、「スパに行ったりお茶を飲んだりしたいのですが。」と言って、スーツケースを預かってもらう。このホテルには、「マルタティラール」という、インドネシアの最大手基礎化粧品会社が展開する「マルタティラール・スパ」が入っているのだ。スパは、窓もない地下にひっそりとあった。予約なしのウォークインで、メニューを15分くらいあーでもない、こーでもない、と見ていた。アボカドなどフルーツを使ったトリートメントを受けたかったが、3日前までの予約が必要とのことで、マンディスス(牛乳風呂)が350,000ルピア(円高で2,800円もしない)にした。全部マルタティラールの既製品を使ってのトリートメントというのに、物足りなさはあったが、ウェーでのシャワーが不十分な感じだったので、ボディスクラブ、ボディラップと牛乳風呂ですっきり。マッサージでリラックスもしたし、よい投資だ。

スパを出ると12時半だったので、ホテルのカフェでランチをとることにした。できれば、ローカルの店で、ローカルフードとスマトラコーヒーといきたいところだったが、土地勘もないし、ホテルでたずねても、いまひとつらちがあかない。せっかくスパですっきりしたのに、汗をかくこともないかと、カフェへゆくと、トゥドゥンをかぶったパンツスーツの、とても背の高いウェイトレスがにこやかに席まで案内してくれる。そういえば、インドネシアで一番背の高い人々は、アチェにいるんだそうだ。カフェには数組のお客がいたが、皆さん商談中で、カジュアルではあるが、ビジネスの身なりをしているから、Tシャツとジーンズの私は浮きまくった。メニューをもらうとその高さに驚愕。せっかくだから、パスタやハンバーガーではなく、アチェニーズスタイルのミーゴレンにした。ミーゴレン42,500ルピア、コーヒー25,000ルピア、これに10パーセントのサービスチャージと、11パーセントの税がかかるのだ。合計8万ルピアちょっとの計算、日本円で620円くらいなのだが、金銭感覚も郷に入っては郷に従え、とてもお高いランチだと思ってしまう。バンダアチェは復興に伴い、すべてが値上がりしたとは聞いていたが。



そして、ここもまた、ガパンビーチなみに調理に時間をかけてくれているらしく、小一時間待った気がする。お味は悪くないのだが、ホテルならではの味つけだった。どこの国に行っても思うのだが、ホテルの出すローカルフードって、なんかちがう。多分、万人が食べやすいような味つけにしようとする結果だろう。ここの素材を使って、ガパンビーチのレストランの調理方法だったら、おいしそうだ、と無理なことを思う。

カフェでいい具合に時間がつぶれたので、食べ終わると、空港に向かうのにちょうどよい時間になっていた。ホテルでタクシーを呼んでもらうと、空港まで100,000ルピアらしい。



タクシードライバーは、昔、アチェにあった日本企業のドライバーをしていたということで片言の日本語を話した。「朝、君を港で見たよ。僕はオージーの女性からチャーターの予約を受けてたんだ。」と言った。そのオージーの女性とは、私とバディだった女性で、やっぱり白人は必ず津波あとを見に行くようだ。アチェは、町の中心を過ぎても、どこまでも民家や商店があるので、「アチェは、大きな町ですね。」と言ったら、「アチェは町じゃないよ。単なるBig villageだよ。」とドライバーは言う。田んぼのすがすがしい緑をながめているうちに、スルタン・イスカンダル・ムダ空港に着いた。ドライバーが、スーツケースをトランクからよいしょ、とおろすまもなく、ポーターがすかさず荷物を奪い取った。ドライバーとともに唖然。もういいや。どうせルピアもないし。

エア・エイシアのカウンターには、若いお姉さんが二人。おっとりしてそうな人と意地悪そうな人のペア。たぶんおっとりがまだ慣れていないようで、意地悪そうな方がが横からいろいろ指示を出している。意地悪そうな方は、私の予想を裏切らず、ポーターが荷物を置くや否や、「ハイ、5キロエクセスです!」と手ごわい。エア・エイシアは、エクセスを事前に割引で買えるのだから、20キロにはしておきゃよかったと後悔してもはじまらない。ホテルで空港税は「less than 100,000」といわれていたので、空港税が残る程度にルピアは残していた。空港税は65,000ルピアでバリの半額以下だ。ここで空港税が安いと喜んだとしても、エクセス225,000ルピアを全額ルピアで払えるほどルピアは持ち合わせていない。国際線だからUSドルを受けて当然と思っていたが通用しない。リンギットは使えるようだが、リンギットはこれからも使いたいので、しばらく利用する機会のなさそうな、かといって日本で再両替するほど残ってもいないユーロとUSドルから使ってしまいたい。そこでポーターに連れられて外の売店へ両替にゆく。やれやれ、残金とあわせてなんとか285,000ルピアを用意。カウンターへ戻って300,000ルピア出すと、おっとりが75,000お釣りをだしてきた。反射的に受け取りつつ「?」となっていると、すかさず横の意地悪そうな、いや、しっかりしてらっしゃる方が、ミスを指摘した。おっとりは、空港税のステッカーを貼ったのに、空港税をとり忘れようとしていたらしい。一部始終を見ていたポーターは、私がルピアを持っていないのを見ていたので、10,000ルピアだけ受け取り、次なるターゲットを求めて去っていった。

さっさと出国し、2時間ほど待合室でフライトを待つ。待合室では、ひとりギターをつまびいているヨーロピアンの若者がいた。田舎の空港、って感じがよい。私はヒマなので、ワイヤレスで時間をつぶすが、特に見たいサイトもないし、メールを何件か出して、ボーっとしていた。アチェニーズの若いパパに抱っこされた、かわいい女の子と目があった。妙に好かれてしまい、私にミネラルウォーターのボトルをくれようとする。その繰り返しで少し時間がつぶれた。

KLからのエア・エイシアが着陸したとたん、ゲートが開いた。そこからまた飛行機まではバス移動だ。こうして考えると、飛行機の機材繰りというのは、本当にかつかつでまわしてるんだな、ってあらためて思う。



はじめて乗る格安航空会社。出迎えるアテンダントの笑顔は暖かいが、非常にケバい。席は自由だが、多くの人は前から座る傾向にある。すいている後方の席ですわった。なんだかおじさんの変な整髪量のニオイがする。まさかこれがエア・エイシアのフレグランス?手垢だらけでうっと思う機内誌は持ち出し禁止。

飛行機が離陸すると、スマトラ上空からの景色なんて、そうそう眺める機会はないと、雲で下界が見えなくなるまで、ずっとずっと下界を凝視し続けた。スマトラといえばスマトラトラ。このどこかにいるのかしらん、なんて他愛のないことを考えながら、インドネシアとお別れだ。





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