将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

夜の公園の中学生

2008年08月03日 | 同級生
将人は地元の市立小学校特殊学級(たんぽぽ学級)を卒業させて貰った。

本来の居場所はたんぽぽ学級だが、普通学級にも机を貰っており、それは親学級と呼ばれていた。体育や給食、図工など子供によっては週何回も親学級に行っていたが、将人は週1回だけ給食に通っていた。それでも将人は大変楽しみにしていて、普通学級の子達とも大勢知り合いができた。というか、近くの子が一方的に世話してくれていた。

更に、年に何回かは「たんぽぽの子達と遊ぼう。」という時間があって、4年生が交代でわざわざ遊び相手をしてくれる期間があった。先生方もとても忍耐強く接して下さり、子どもたちにもそれが映ったかのようで、健常児が障害児を世話するのが当たり前のような学校だった。

公立学校の公立たる所だと感心し、あれがインクルージョンという考え方であり、その現場なのかと驚いた。

その子達も卒業後2年ちょっとたち、ずいぶん変わっていた。うちの近くの公園で、男女何人かがよくヤンキー座りして、夜の8時とか10時にもなって集まっている。

何をしているのかといえば、煙草を吸ったり原付バイクを二人乗りして乗り回したり、どこからか取ってきた自転車を壊して水路に投げ込んだりしているようだ。警察官も時々巡回し始めた。夜10時頃帰宅する事がしばしばあるが、遠くから彼らを見かけると思わず道をそれて遠回りして帰りたくなってしまう。

ただ、将人と散歩した帰り、買い物をしたせいもあって夜の8時過ぎになった時があった。彼らのすぐ横も、いつもの経路だとばかりに何の躊躇もなく将人は通り過ぎて行く。

その時、「あ、将人だ。」「お父さん、あれ将人君でしょ。小学校の時、よく将人君を世話していた○○もいるよ。」と小学生当時、そのままの言葉で、大きな体の怖そうなお兄さんが暗闇の中から話しかけてきてくれた。何せ、脱走するといけないと、毎日何回も学校に私自身が行っていたので、学校中で私を知らない子はいないのだ。みんな、私の事を将人とセットで憶えていてくれる。

ちなみに、1学年約100人の小学校で、1年生の時から6年生が終わるまでほぼ毎日、休憩時間のたびに行っていたので、上5学年、下5学年、合わせて11学年、約1100人の生徒さんとその親御さんがおそらく我々の事を知っておいでだと思う。何せ、いろんな事をしでかして目立っていたので・・・。

そんな一見怖そうな、小学生言葉のお兄さん達の横で、将人が夜、ひたすらマラソンしている・・・。果たして、みんなどんな思いで見ているのだろうか。知らないはずはないはずだ。

最近こういう記事を見かけた。福岡県筑後市の小中学校で高齢者が子どもたちと一緒に机を並べて勉強し、とてもいい効果が出ているというのだ。健常児と障害児、小中学生と高齢者、何かその対比が面白い。

効率を考え、しばしば区切られて生活しているものの、実際の社会にはみんなが一緒に住んでいる。別だからおかしくなる事もある。一緒にするとうまく行く事もある。




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