ポンパレではずみで買ってしまったフォトブック制作50%OFFのクーポン。
うっかりしていたらもう期限が切れる……
ので、慌ててコーヒー鑑定の勉強に行ったブラジルの写真集を作ってみた。
実は、この時の写真は、mame渾身の写真集にまとめてあったのに
ヒトに貸したまま戻ってこなくなってしまっている。
この機会にあの力作はもう諦めて、別のアルバムを作っておくことにしたわけ。
で、ひさしぶりにブラジルの写真をじっくりと見ることに。
なつかしいなぁ……
いろんな意味でこんなに遠いところによく行ったなぁと、
我がことながら呆れるというか感心するというか。
なにゆえこんなにもコーヒーにハマってしまったのだろうかと
あらためて思い巡らせる。
コーヒー栽培に出会った時の、あの興奮はなにゆえだったのか。
ワタシタチの日常は、人間が作り出し、コントロールしていることで満ちている。
ワタシタチの活動も、自分たちがコントロールできる範囲内に収まろうとする。
人間が支配する範囲の中で生きようとする。
けれども、農業、とくにコーヒーは、そしてとりわけ
雲南の山中で取り組むコーヒー栽培は
予測も支配も不可能だった。
天候や害虫など、支配することのできない要素に囲まれ
想定外のことばかりだった。
折り合いをつけないといけないことがいっぱいいっぱいあった。
そして、その「折り合い」をつける作業、その結果もたらされる
想定外の収穫。本当にスリリングだった。
コントロールできない外部からの影響と折り合いをつけながら
想定していなかった結果を受け取る。
実は、パフォーマンスも国際交流も、
折り合うことと予測不能の結果の連続だ。
ワタシが、なぜ、コーヒー?と自分でも思っていたけれど
今あらためて、わかった気がする。
雲南でのコーヒー栽培と日本での劇場の仕事。
分野も相手も全然違うのに、
ワタシの中で起きる精神的な反応はみんな同じ種類だったらしい。
さらに思えば、メコンの国々の人たちとの付き合いも
「折り合い」と「想定外の結果」の連続だ。
だからワクワクして、楽しくて、そしてあきることなく
付き合いが続いているのではないだろうか。
ブラジルの写真のおかげで案外大切なことに気がついた気がする。
ポンパレの衝動買いも悪くなかったかも。