Along with the Mekong

メコン川の流れのように

のようなもの

2011年11月09日 | なんでもない日常のこと

月曜日に2連ちゃんで観劇をして、案の定翌火曜日はぐったりと引きこもりになったリハビリビギナーのmame。今日も寝てしまったら二度と起き上がれなくなる気がして、夕方、ぼよよ~んと起き上がり、中沢新一が登場するシンポジウムを聞きに東池袋まで出かけて行った。

中沢新一。ニューアカデミズムどっぷりの学生時代を過ごしたmameには憧れの存在だった。エリアーデ、レヴィ・ストロース、Mフーコー……理解なんか全然できてなかったけれど、とりあえず通過はした。それが当たり前の時代だったんだもん、ファッションだったんだもん。

その「旗手」だった中沢氏。バブルがはじけるのと合わせるかのようにニューアカの人たちの声も遠くなっていったけれど、スターな彼は、色々世間を騒がせながら、しっかり進化を続けている。

退化の一途をたどるmameとしては、変わらず元気な氏の姿はまぶしい限りだが、クールでスマートだったネオアカの旗手がどんな進化を遂げたものか、この目で見てみたいという好奇心だけに突き動かされてのこのこ出かけていった次第。

津田大介と並んだ中沢氏は「情報弱者」と自らを呼んだが、まさにそんな感じだった。話し方も、オジサンではなく爺になっていた。時間はなぜこんなに男の人に残酷なんだろう。

若造だと思っていた津田氏もキンパツのルックスとは違って中身は立派にオジサンだったので(いい意味でね)、これまた驚きだった。時代は津田氏さえももうオヤジの領域に追いやるほど、急速に流れ、若返っているのね。はぁ。。。ついていこうなんて思う方が無茶なんだな。。。

中沢氏が「緑の党のようなもの」を作ると発言し、またしても少しばかり世間を騒がせたのは数ヶ月前のこと。「『のようなもの』なんです」と繰り返す中沢氏の声を聞きながら、昔、もう何十年も前だけれど、野田秀樹が「芝居のようなものを作る」と言ったのを思い出していた。

のようなもの」。
脱皮を予感させる表現なんだろうか。
新しいシーンが開く予言なんだろうか。

中沢新一は年をとっていた。けれど進化を続けている。
まだこれから、「のようなもの」を産み落とそうとしている。
氏の発言や著作には、美しい言葉やチャーミングな言い回しに溢れていて
情緒的なmameは、文章そのものに酔い、眩惑されてしまい
その意図するところ、本質にたどり着けずに終わってしまうことが多い。
それが一種の氏のテクニックなのかもしれないが
思考回路が梗塞してしまっている今のmameは
いつにもまして、さらに、もっと、核心がつかめず、自分でも困惑する。

漫然と時を浪費してきた挙句、しゃんぼり枯れていっている今のmame。
「ちゃんと考えて行動しないといかんよ」と、ちょっと自分を戒める。

だけど本当に私たちは何かを変えることができるの?
だとしたら、どこにゴールを定めてスタートすればいいの?
愚鈍なmameのもやもやは全然晴れない。

しかしまあ、久しぶりに少しものを考えた今日の数時間。
結構きついリハビリだった。
これ以上は空回りするばかりなので、
とりあえずは、おやすみなさい。。。。


最新の画像もっと見る