四万十凸凹隊 ごぞまる絵日記

四万十川水系を中心に沈下橋を見て回りました

広岡井筋    高知市春野町

2014年03月24日 | 川岸の風景
2014年3月15日(土)晴れ
自転車で八田堰~広岡井筋~新川とぐるっと回ってみました
広岡井筋も土佐市の鎌田井筋も野中兼山さんが作りました
高知のお殿様が山内家であった頃のお話、西暦1650年頃です

八田堰から取水され、広岡井筋は始まります
向こうの堤防からこちらまでが全て井筋でした。たぶん(;一_一)
広岡井筋は、高知のお城下に物資を送る水路として使われました
仁淀川上流から運ばれた薪や炭・米などを新川まで船で輸送し
新川で一旦陸揚げして再度大型船に積み替えます
甲殿~長浜~浦戸湾を経て高知のお城下へ
新川のおとしを過ぎ甲殿まで行くと満潮のころ合いを見て船を進めました




行当のきりぬき



手前が広岡中方面に行く井筋
奥が、新川のおとしへ行く井筋

新川に行く井筋

仁淀川大橋下流の広岡井筋
この井筋も昔よりずいぶん小さくなりました
怖くなる位深く大きな井筋でした
なんせここを船が通っていました

仁淀川左岸の堤防から四国八十八か所 清滝寺方向を望む

新川のお堂の近くの井筋

ここで井筋が分かれます
右側は、四国八十八か所 種間寺前を通って長浜方面にお水を送くる灌漑用水
左は、新川の町を抜けて遠く浦戸湾に注ぎます?
・・・・と言うことだが確認したわけではない(;一_一)
ここ新川が上流のお船の終着場です
大きな蔵や旅館・商店がたくさんありました
今でも当時の面影が残ります






新川の落とし

・・・・・今度、浦戸湾まで行ってみよう。今もいけるんじゃろうか??
土佐市の鎌田井筋や広岡井筋が、そのまま残っていれば文化的財産となったでしょうにおしいことです(;一_一)