ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

コンスタンティン(フランシス・ローレンス監督)

2008-01-03 | Weblog
ストーリー;コンスタンティンは「天使」と「悪魔」の「使者」ともいうべき「ハーフ・ブリード」を見抜く力を持っている。そして地獄からきた「悪魔」のハーフ・ブリードを送り返す日々だったのだがある日、アジア人の住むアパートメントでこれまでにない憑依霊と遭遇する…。
出演;キアヌ・リーブス、レイチェル・ワイズ、ピーター・ストメア
コメント ;ピーター・ストメア演じる堕天使ルシフェル、英国女優ティルダ・スウィントン演じる「知の天使ガブリエル」の「ハーフ・ブリード」など「大天使」の名前も映画の中にでてくるが、基本的には「天使」として姿を現すのは「一人のみ」と考えるべきだろう。中世スコラ神学でこの「天使」というものについて詳細な学問や分類がおこなわれ、いわゆる「翼のある天使」が登場するのは実はルネサンス以降。一種の階層構造をとっているとんでもない階層社会を中世スコラ神学は作り出したがキリスト教だけでなくユダヤ教やイスラム教でもその存在は位置づけられている。悪魔とは対をなす存在だが、この映画では「ハーフ・ブリード」という形で天国と地獄への入り口は人間世界のいたるところに存在し、天使や悪魔そのものはこの世にくることは「特別な事態」を除いてありえないとされている。「特別な事態」とはもちろんイエス・キリストの生誕とか人間が死ぬときとかだといわれてはいるが、このハーフ・ブリードを媒介して天使や悪魔のメッセージが人間に伝えられ、励ましもあれば誹謗・中傷もあるといった具合。コンスタンティンには、そうしたハーフ・ブリードと現実世界を見分ける能力があったのだが、カソリックでは禁じられている自殺未遂をしたため、地獄にいくことが「予定」されているという設定だ。一種の「予定調和説」が基本にあり、ラストもそれをおもわせるセリフである。ロンギヌスの槍のもともとをたどると英国のアーサー王伝説にたどりつく。聖杯伝説はいろいろな映画でも取り上げられるが聖杯とともにアーサー王に出されるものがこのロンギヌスの槍。聖書では、イエス・キリストの死を確認するために用いられたのがロンギヌスという兵隊の槍だった。
 もともとキリスト教自体は「男性中心」の物語であるが、21世紀という時代を反映してか「ガブリエル」(ただし天使という設定ではなさそうだ。翼はある)も男性とも女性ともつかない存在として設定。グノーシス的な世界観すら漂わせる。この槍自体は、おそらくイスラエル地方の伝説のはずだが、その後アーサー王伝説やそして最近ではナチスドイツの勃興時にアドルフ・ヒトラーが手にしていたとも伝えられる。映画の中で発見されたときにナチスドイツのハーケンクロイツにくるまれていたのはそうした過去の伝説の「象徴」だろう。わかる人にだけわかれば…という作成者のスタンスかもしれないが。刑事役のアンジェラは「エンジェル」と引っ掛けた言葉遊びだろう。
 シア・ラブーフの演じるチャズ、ティルダ・スウィントン、ブレイット・テイラーのヘネシー神父、ギャビン・ロイズテイルのバルサザール、イザベラ・ドドソンという名称にも何かありそうだ。マモン、そして映画をつうじてスティグマータが人間に跡付けられている…。
(スティグマータ:聖痕)
 聖痕のこと。イエス・キリストが磔になったときの5箇所の傷を示すものとされ、「神」によって選ばれたものに刻印されるという一種の伝説。登場人物のうち、スティグマータを持つものは少なくともなんらかの形で選ばれし者ということになる。コンスタンティンは少なくとも2箇所の刻印を右手と左手に持っているので2箇所のスティグマータになるが「異例」に属するのかもしれない。一種の神秘主義だが、プロテスタントでは当然認められないだろう。独特のシニカルな対応はイングマール・ベルイマンの作品をも連想させる(「叫びとささやき」ということになるだろうか)。
(マモン)
「収賄」などの意味をもつ。現在では一種の「世俗欲」を総称しており、映画ではコリント書だったが新約聖書の『マタイによる福音書』に「あなた方は神と世俗欲(マモン)に同時に仕えることはできない」という一節がある。聖書にある7つの大罪のうち(映画「セブン」参照)、貪欲(greed)を示すものと考えられる。また ミルトンの「失楽園」では、「堕天使たちの城」飾る金塊を地獄の山々より嗅ぎ当て掘り出す存在としてマモンが登場する。冒頭で教会の廃屋の地下から「槍」を掘り出すシーンは聖書というよりも「失楽園」のイメージではないだろうか。旧約聖書には映画の中にあるような悪魔のイメージはないのだが、一種のシンボルとかスピリッツといったイメージで描写されるのはキリスト教よりも古いユダヤ教からイメージをとってきた部分が多いのだと思われる。旧約聖書と新約聖書、そしてカソリックとユダヤといったルネサンス以前の教義とルネサンス以後のイメージが混在しているのが面白い。面白そうなところをつまみぐいといったところか。ただし、「二分割の世界観」で構成されているため本来カソリックで考えられていたような「煉獄」という概念が存在しない。「集団」であらわれる「小鬼」はこの堕天使の「ハーフ・ブリード」と考えるべきなのだろう。黒い体に2つの鳥の頭をもつという描写もされる。空を飛ぶ「ハーフ・ブリード」は鳥のイメージだが「マモン」からイメージがとられているのかもしれない。この二分割の世界観はナチズムと民主勢力といった二大対立構図を描いた第二次世界大戦にも共通するイメージ(当時はソビエト連邦とアメリカはともに民主勢力と位置づけたため、「天界大戦争」と通じるイメージがかなりあると思われる)。
(ルシファーもしくはルシフェル)
 旧約聖書イザヤ書に天界大戦争の著述があるが、その当時、「悪魔」を率いたのがこのルシファー。創世記にもその著述がみえるが、天使の約3割がルシファーに同調したとされる。だいたいよく引用される「均衡」とは、3:7ぐらいなのだろうか。少なくとも1:1に関係では数字上はないのかもしれない。「悪」が「善」を食い物にするのであれば当然「悪」の比率が少なくなるはずだからだ。もともとはルシファは異なる名前をもっていたが天使の座から落ちた瞬間に「engel」の「e」を「削除」され、この表記になったとされている。
(虫)
 「中世の悪魔狩り」では「動物」も「魔女狩り」にされている。邪悪なものが動物にも宿るという考え方だが、その中でも「虫」は悪魔のイメージ(少なくとも天使のイメージではないとはいえる)。死刑になったブタやカソリック教会から破門宣告を受けたバッタなどが歴史上実際に存在する。ハエが登場するのは「ハエの王」=「ベルゼブブ」のイメージだろう。ベルゼブブはルシファに次ぐ悪の地位で、「神」によってハエと融合させられた。7つの大罪の中での「飽食」をつかさどるといわれている。「蝿の王」などの小説も参考になるかも。
 ヨーロッパの魔女伝説は、ゲルマン民族に由来するものとされている。悪魔は美女や美男子にのりうつるとされていたので、美女はとかく狙われたらしい。12世紀から13世紀までは特に魔女狩りが激しかったが、莫大な富をもつユダヤ人が標的にされたこともある。ヨーロッパだけで処刑されたのは少なくて30万人から多い見積もりで900万人にものぼる。
(「火にはもともとなじみが深い…」)
 「火」を用いたコンスタンティンに悪魔の「ハーフ・ブリード」がいうせりふ。堕天使の中でも上位に位置するセラフィムは、もともとヘブライ語で「セラフ」(燃える)という意味。ドラゴンはヨーロッパでは邪悪な存在として描かれるが、その武器をコンスタンティンは用いていたことになる。このあたりはやや「黒魔術的」でもある。
(双子)
 マーカス医師殺人事件などで「双子」には特殊な交信能力があるともいわれている。が、科学的には解明されていない。
(ネコ)
 もともとエジプトでは霊力がある存在として貴重な存在とされていたが、黒魔術等にヨーロッパでは用いられることが多く15世紀には法王がカソリック教会の敵=魔女の同盟者として位置づけ、「ネコ狩り」をする場合もあったようだ(その後、ネズミ退治、特にペスト予防などの効果のため再び復権して現在に至る)。目と目を向かい合わせるシーンでは一種の「交信」をイメージしていたのかもしれない。
(鏡)
 合わせ鏡で悪魔を捕まえることができるという「御伽噺」がある。日本では星新一がそうしたショート・ショートも残している。白雪姫のお母さんが「鏡」に向かって話す部分は、自分の悪魔的な部分と会話をしているという象徴でもあるという説がある。
(メキシコのカソリック教会)
 もともとスペインの影響が強い地域だけにメキシコはカソリックが強い地域。第二次世界大戦中にはドイツカソリック教会に対してナチス(国家社会主義労働者党)は暴力行為を働いていたが、1933年以後、ピウス12世とナチスは政教条約を締結し、ヒトラーはそれを道徳的スタンダードとした。ピウス12世はユダヤ人の迫害にたいして「沈黙」を続けたというのがその後問題となる。ヨハネ・パウロ2世はそうした戦時中の対応についての謝罪の言葉を述べたこともある。ただしドイツカソリック教会がまったくナチスに対して沈黙をしていたということでもなさそうだが、メキシコでの「槍」の発見はカソリックのコミュニティを示すものとして象徴的ではある。
(ハーケンクロイツそして無数の十字架のイメージ)
 ハーケンクロイツはもともとは女神カーリーの十字架だったが、ナチスドイツの象徴として採用された。ドイツの歯医者がもってきたデザインで当時のヒトラーがいたく気に入った…とされている。冒頭にちらっと出てくるだけだがナチズムとこの映画はだいぶ関係性が深い。コンスタンティンはまた一種の「超人」といえるがこれは「優等民族の進化」について著述したフリードリッヒ・ニーチェの「超人」を思わせるし、そもそもこれはゲーテのファウストからとってきた言葉。ファウストといえばメフィストフェレスである。ワーグナーはニーチェの「超人」についてドイツ人民にそれを吹き込んだとされる。ワーグナーの作品は「神々のたそがれ」である。ヒトラーはワーグナーについて「神秘主義」や「国家社会主義のすべて」を見出していたという。またワーグナーの「バルジファル」は「アーサー王伝説」に題材をとっていたがこれがまた聖杯とロンギヌスの槍とともにヒトラーの心をとらえた。正確にはこの2つの宝を手に入れたものが世界を手に入れるということだが、ロンギヌスの槍のみが映画にはでてくる。カタリ派の「財宝伝説」にだいぶいれこんだようだが、このあたりは映画レイダースもまたイメージを歴史上からとってきている。このカタリ派のシンボルがまたケルト十字(オットー・ラーン「聖杯十字軍」参照)。「レイダース」では「聖杯」の奪い合いが描写された。ワーグナーに心酔していたのがウィルヘルム2世だがかなり「民族主義的」だったこの人は戦争に負けている。とにかく画面のあちこちが影の交錯などで十字架のイメージで描写され、イザベラが落下するシーンや倒れこむシーンなどはすべて手を広げて、クロス十字になっている。またコンスタンティンがもつ「銃」の形もまた十字形になっている。病院で倒れこんだ扉もガラスがわれて十字だ。
 ナチスドイツのかかげていた「新ローマ」あるいは「千年王国」思想は、かんぜんに聖書の「ヨハネの黙示録」の世界だ。ナチズムはただの政治活動ではなくオカルトも含んだ宗教的側面も大きかったということはおさえておく必要がある。ただしハリウッドでそうしたことを全面にうちだすことはできないので、一つのヒントとして冒頭に、一枚の「布」が示されるにとどまったのだろう。
 (水とゲヘナ)
洗礼は水によって行われるがおそらくはこれは「血液」(キリスト教)とも通じるものだろう。水槽に横たわったイザベラはまるで洗礼を受けているようでもある。ヨブ記の、「死者の霊は水とそこに住むものとの下にあって震える。」(ヨブ記26章)はたとえばどうであろうか。
ヨブ記からすすろ「地獄」に水があっても確かにおかしくはない
なぜなら「水の下」にあると考えられるからだ。
(ハデスとゲヘナ)
聖書によれば本来は地獄は2つに区分されているが、映画にでてきたのは、「苦しむ場所」(ルカ伝10章15節)となる「ハデス」ではなくさらにその後投げ込まれる「ゲヘナ」をイメージしているのではなかろうか。『海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。』(ヨハネの黙示録 20章13節14節)またルカ伝にはこうある「この場所は,悪霊のための牢です(ルカ8・31)。『悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。』(ルカの福音書 8章31節)さらにヨハネの黙示録の以下の著述も参考になるだろう。『底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。』(ヨハネの黙示録 20章3節)『そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。』(マルコの福音書 9章48節)
(「退治」としての火)
「『それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。「のろわれた者ども。わたしから離れて悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』(マタイの福音書 25章41節)このくだりからすると「火」は悪魔とその使いたちのために「用意」されていたことになる。
(「退治」としての硫黄)
その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(ヨハネの黙示録 20章)
コンスタンティンはおそらく「硫黄」を用いていたと推定されるがその「効果」についてはヨハネの黙示録のこの一節にあったと考えられる。「火」の役割は悪魔のセラフィムの意味ではなく、マタイの福音書のイメージだろう。つまり「どちらも火は使う」ということになる。

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