数年後みな揃って会えるよう別れを惜しみながらロビーで迎えを待った。
気がつけばご一行様のソファに近づき既に数人と話しを交わしてる妹。
今と違う大家族の昔には4人以上の兄弟姉妹が珍しくなく誰かしらに
同い歳の妹や弟がいるってもので~ わりと同級生に顔見知りが多く
私よりか? 馴染み~~~ 識別つかないほど 同級生していた。
ご一行様のバスより一足先にホテルを後に実家に向かった。
橋の袂に近づくと見物人が川を見下ろし賑わいを見せている。
チョイと車を停め近づくと~ 川下りアドベンチャーレースの最中!
飛び入りが許されるものなら猛暑ぶっ飛ぶ競技に初挑戦したくもなった。
道の駅でお墓や仏壇用のお花を積み2時間弱で釜石に着いた頃はお昼時。
釜石といえば~ 誰もが昔からここで食べるラーメンが旨い話しをする。
その有名中華店も津波被災を受け~ 後に場所を移し営業してると聞き
元場所に居合わせた方に道順を教わり新店舗にてチャーシューメン一丁
細いちぢれ麺とスープの旨さ! そう大きくない店舗だけの理由じゃなく
今も順番待ちが絶えない変わらぬ美味しいお店であった。
入口の壁面には3・11の店頭や厨房の津波被害写真が生々しく展示されていた。
草も生える手付かずの年月に山盛り瓦礫の悲鳴がアチコチから聞こえる。
確かこの辺から曲った気がする。。。 ことごとく目印を奪い去りわずかに残った
土台だけがかろうじて町内を偲ばせる通りを勘で走りたどり着いた妹。
津波被災のお見舞いが延び延びになっていたという友達の家に立ち寄った。
少し高台が幸いし1Fだけの被害にとどまったようだ。
友は生憎留守であったが息子さんに様子を聞き気が晴れたとホッとしてた。
我が町の瓦礫山もそのまんま。。。
今年も五郎花子へ嘆きのお墓参りに終わった~ チ~ン南無~!
そして優しい兄夫婦が待つ実家にただ今する二人であった。 続きます~