スローがいい

おろした荷物はゆっくり ほどきました~♪
09・01・18

 11日の今日

2013-03-11 10:44:10 | susukuni 通信   



          東日本大震災2年目という節目に誰をも遣り切れない想いにする今日。

          2012.3/8現在で死者1万5,881人 ・ 行方不明者は2,668人という。
          住めない帰りたくない諸事情に苦悩する避難者は31万5千人以上。
          ただただ。。。 合掌 いたします。


          備忘記録にしようと去年のブログの今日をみた~~~
          友susukuniさんにお願いしていた通信の投稿完であった。
          今回も願わくばと密かにメールをしていたが。。。  却下された。

          ”  最近益々文章が苦手になりブログのコメントが精一杯です。
             震災から間もなく2年ですが大槌町の復旧、復興はさっぱり進まず
            人口流出は全国1、 稼げる仕事さえあれば古里に戻りたい人が
            多いと聞きますから産業の復旧復興を一日も早くと願ってます。

            手狭な仮設で暮らしている人達は日が経つにつれイライラ感が

            募ってきてるようです。
           
運動だけは頑張ってますが今も炬燵で転寝してます ”  そう結んでた。

          ”  susukuni通信のお願いは無かったことにしましょう。
            何度も無理強いしてしまい心負担でしたネ。  ゴメンなさい。
            とんでもない嬉しいことや  皆を笑いの渦に巻き込むような
            ニュースなどがありましたら何なりとメール下さいませ。 ”


          そんなやり取りに安穏無事な日々を  祈りあう数日前であった。


コメント

 大震災 その5完

2012-03-11 14:46:00 | susukuni 通信   


          覚め遣らぬあの悪夢から1年。。。 3月11日がやってきました。
          もう一年が過ぎ去るとは何と月日の流れの早かったことか。。。
          国内はもとより海外の方、自衛隊、ボランティア他数え切れない多くの方の
          温かいご支援と身に余る励ましにただただ感謝する
一年でありました。


 
         我家は昨年の10月頃にやっとリフォームも終り今では震災以前と変わらぬ
          生活を取り戻すことができました。

          しかし自分達ばかりがこれでいいのだろうかと落ち込む時もあります。
          まだまだ程遠いけれど我が町の一日も早い復旧、復興を願うばかりです。


          先日NHKスペシャルで私が住む 「 大槌町 」 が放映されておりました。
          近くにある多くの仮設住宅を見ているだけに思い出したくない
          重い話しの連続
に  とても身につまされる再現でした。


          言葉にならない震災の悲しみが沢山あったけれど嬉しいこともありました。
          友人から送られた水仙の芽が雪をかき分け顔を出してます。
          咲く花が何色の春を告げてくれるのか毎日楽しみにしてます。
          又、公園にテントを張り長いことボランティア活動をしていた兵庫の方から
          今でも励ましのメールが届き感謝の気持ちでいっぱいです。


 
         そして未だ頻繁に日本列島を揺らす地震。
          今こうして普段の備えがいかに大事であるかを思い知らされる震災でした。

          避難した時に  一番困ったことがありました。
          飲み水は勿論のこと口をすすぐ水もなければトイレの後に手を洗うことも
          出来なかった苦い教訓を生かし非常持出用リュックには異常といえる程
          ウエットティシュを詰め込んであります。 


          我が町の死者803名 ・ 行方不明者479名 ( 3/7現在 )は住民の一割近い方々 。
          黙って手を併せ痛み悲しみ涙する日が消えることはないでしょう。。。


          東日本大震災にかかる被災地からの投稿はこの記を最終といたします。


                       

           一年間お読み下さいまして  ありがとうございました。

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 大震災 その4

2011-12-27 13:22:13 | susukuni 通信   


          
未曾有の大震災 ・ 大災害を経験した1年が間もなく終わろうとしてます。
          瓦礫の片付いた何もない街の中には、テント造りの復興食堂や全壊した町内の
          ショッピングセンターも12月22日にようやくオープンに漕ぎ着けた。
          金融機関や45店もの専門店が並びはじめ、沢山の人出を見ては夢のようで
          涙が止まりませんでした。

          震災後に逸早く駆けつけた自衛隊を始め日本は固より各国からのボランティア。
          それらの方々は困難に屈することなく決して驕らず支援し続けて下さった。
          あらん限りの支援物資を送り届けて頂いた企業 ・ 諸団体 ・ 個人の方々など
          これまで本当に頭の下がる思いでした。

          ” 失ったものがあるからこそ必ず得られるものがあると信じます。 ”

          日一日と寒さが厳しく雪もちらつく北国。
          仮設に住み続ける方々のことを考えると胸が張り裂けるように痛みます。
          復興への足かせがこの先少しでも解かれるよう願いながら前向きにゆっくり
          頑張っていこうと考えてます。

          11月に妹さんと二人で我家を訪ねて下さった時の飛び上がるほど嬉しかったことや
          コメント投稿でおなじみの▼akoさん▼蘭さんを始めブログにお立寄りの皆さま。
          ご心配をおかけしながら心強い励ましのお言葉は感謝の気持ちでいっぱいでした。
          特別な支えを頂きまして新年を迎えます。 ありがとうございます。

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 大震災 その3

2011-09-14 13:22:13 | susukuni 通信   


          
震災から6か月が過ぎ~ あの時危機一髪だった夫のことを書きます・・・
 
          ダダっ広い弓道場の避難所で恐怖におののきながら夫の到着を待ったが
          待てど暮らせどその晩夫の顔を見ることはできなかった。
          否応なしに襲いかかる不吉な予感にどうにかなってしまいそうな心身。
          殆どの人が果てない不安を抱えながら朝を迎えた。

          2階まで浸水したという隣町の海の近くにある夫の会社に息子と甥が向かった。
          瓦礫をかき分け歩きやっとたどり着いたその場所の様変わりに愕然とした二人。
          この地区の避難所を訪ねたら ” 生徒さん達は来てるが先生方は来てません! ”

          不人情な言葉を突きつけられガックリ肩を落とし二人が帰って来た。
          ” あっ! もうだめなんだ。。。 ”  その顔を察し目の前が真っ暗になった!
          これからの暗澹たる生き方を考え極限状態のまま夕方になった。

          すると命長らえた夫が心底疲れ切った姿で私の目の前に突如現れた。
          言葉にならない安堵感に涙が止まらずシッカリしがみつき放さなかった。
 
          これまでの経緯を聞くと~ 地震直後、反射的に津波を想定し生徒と先生方を
          即帰し、最後を見届け車で我が家に向かったそうだ。
          途中には前方から瓦礫交じりの津波に方角を阻まれこれはだめだと即決Uターン。
          今来た道の後方をバックミラーが捉えた途轍もない惨憺たる光景!
          10mもある波の壁が命を奪いに水煙をあげ襲ってきたという。
          半ば諦めながら~ 何が何でもと細い山道を駆け上り命拾いしたのでした。

          国道に並んでいたはずの沢山の車は一台も夫の後に続いて来なかったそうだ。
          こんな危機一髪に運を授かった分かれ道に背筋が凍る光景を一気に話す夫であった。

          その場所を車で通るたび何十台もの瓦礫車を見ては、まだまだ震えが止まりません。
                             続きます~

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 大震災 その2

2011-08-23 12:33:12 | susukuni 通信   


        
夕方になっても津波が引かないので、暗くなる前に道幅の狭い山道を移動することにした。
        私一人ならどうにでもなるが足の悪いおばあちゃんと一緒だから大変であった。
        20分位歩いた所に避難所があり、そこには既に300名もの人々が集まっていた。

        避難所とは名ばかりで電気、水、食糧が全く無い広い弓道場である。
        雪もちらついているというのにストーブはたったの2台!
        自力で泳いで助かった全身ずぶ濡れの人達が続々運び込まれ、寒さに震え泣き叫びながら
        抱き合う光景は地獄を目の当たりにしてるようでした。
 
        夕食時には近所の人達からお粥の差し入れがあり、冷え切った身体にしみわたる一杯の
        お粥の温かさは涙がでるほど嬉しかった。
        その夜は誰もが恐怖と寒さに震え一睡もできず一刻も早い朝が来るよう祈るだけだった。

        翌日から1個のおにぎりを二人で分け、夕食にパン半分を感謝しながら頂く日が続いた。
        幹線道路が通行可能となった5日目、息子が迎えに来10日間ほど盛岡に泊ることができた。

        そして大槌の我家に帰ってからは、来る日も来る日も家の中にへばり付くヘドロとの戦い!
        このまま倒れてしまうのではと思いながら朝から晩まで片付けと洗物に追われ頑張った。
        亡くなられた方や家を流された方々のことを考えると大変などと弱音がはけなかった。

        1か月経った街は瓦礫の山に変わり果て、震えと涙でただただ茫然とするだけでした。
                            続きます~

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