ミル姐さんのカフェ



アニメ演出家を生業にしている兼業主婦のたわいない呟き

あくまでも自分的解釈

2010-08-13 14:41:54 | 仕事
旦那と、たまたま原作漫画ありきの映像化のポイントの話になった。旦那は作画マンだが、ここでのポイントは演出について。
はっきりいって正解などない。
正解などないけれども・・・絶対に怠ってはいけないのは『自分も読者になりきること』だと思う。どこで感動してその時何を思っていたのか・・・その感覚を忘れない。それが一番重要。

ここからはあくまでも自分的解釈だけれども
例えば原作を読んでものすごく感動したエピソードが一つあったとします。
この感動を、アニメでも伝えたい・・・その発想は監督ならば誰にでもあるでしょうが、単純に感動したそのエピソードの肉付けを厚くすることが、原作と同じ感動を呼ぶ事になるとは私は思いません。
なぜなら、読者は自分の脳内でそのエピソードに到るまでの間に、キャラクターもストーリーも成長させてしまっているから。
たとえ原作に描かれていなかったとしてもです。
本を読み終わった後の時間も、キャラクターの成長は読者の脳内で続いています。それは読み手によって自由に操作できる時間
読み手の好きな時間だけ、キャラクターに感情移入していられる。
苦労して、苦労して・・・やっと報われたキャラクターの感情にシンクロして、感動が生まれた。
ずっと誤解され続けていたキャラクターが、最後にやっと理解者に巡り会えたことで爽快感が得られた。
これらを読後感と同じように表現しようと思ったら、読者がキャラクターと感情を共有していた時間こそ重視しなければいけないのでは?
増やすべきは感動したエピソードそのものではなく、そこまでの課程。読者と同じようにキャラクターを成長させる時間感情移入させる時間
アニメはするすると勝手に時間が経過してしまうので、本を読むように感情移入するのは結構難しい。おそらく原作通りになぞってしまうと、淡白になるのは否めない。
それは原作が悪いのではなく、原作の行間を読めずに表現できなかった我々が悪い原作はちゃんと行間を読者に読ませるように工夫してあるのだから。

アニメ化に際して『原作破壊』とか『原作通り』とか、監督によってこだわりもいろいろあるでしょうが、原作をお借りする以上は、原作にそってやるのが当然のマナーだと私は思う。
やむをえず削らねばならないこともままあるけれども、可能な限りそうありたいと思っています。
でも、原作をそのままなぞるのが原作にそって作ってる事では決してない
前述の通り、原作を読んだ時と同様に感情移入できなければ、それは演出のミスだと思う。
行間まで表現して初めて原作通り。

もちろん人によって、行間の感じ方が違うので、万人にフィットするようには難しいけど、平均値は目指せるはず。
自分が読者になりきれば、少なくともこの感動に到達できるまでにどれだけの時間が必要なのかは判断できるはず。
まずはその作品を原作者と同じように愛せなければ・・・切り刻まれる痛みを理解しなければ。
すぐには体現できなくても、意識はしなければ。
それができないなら、原作物には手を出さない方がいいよね・・・。


コメント
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