ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の芋菓子(1)

2020-05-16 19:24:50 | 水戸

 芋を使った色々な菓子があるようです。特に、さつまいもは茨城の名産なので、多用されているようです。

 

織部(木村屋本店 南町1-2-21)
 ヤマノイモを加えた皮で包んだ饅頭を薯蕷(じょうよ)というそうで、これはその一種だそうです。茶器などに使われる織部焼の緑釉を模した緑色をあしらうので、織部というそうです。伝統的な和菓子のようです。

 

レジオン・ド・干し芋(ルブラン 千波町370)
 桐野箱に入れられたテリーヌで、力作のようです。ずっしりとした重量感のある洋菓子です。

 

ポテトプリンセス(阿さ川製菓㈱ 元石川町富士山325-19)
 地元常盤大学の学生との共同開発でできた、紅あずまを使った洋菓子だそうです。

 

七郎麿ぽてと(亀印製菓㈱ 見川町2139-5)
 徳川慶喜の幼名をつけたスイートポテトだそうです。

 

いやどうも(大ちゃんシェフスイーツ工房 市河和田1-1513-50)
 これも紅あずまを使ったスイートポテトだそうです。いやどうもは、ありがとう、こんにちわ、すごいといった多様な意味を持った方言だそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の七福神(2)

2020-05-15 19:47:32 | 水戸

日吉神社(ひよしじんじゃ 東野町545)
 神社に奉納された素焼きの七福神です。へさきを滝登りの鯉にした舟に乗った神々のようです。弁才天以外はそうとう酔っ払っているように見えます。

 

大井神社(飯富町3475)
 水戸藩小石川邸勝手口の鶏卵御用達(ごようたし)だった安島家が奉納した、白蛇の絵馬だそうで、7個の金色卵は七福をあらわしているそうです。

 

熱田神社(吉沢町)
 拝殿内に掲げられた、5人対2人で向き合った七福神の絵馬です。写真は真っ黒だったのですが、露出を調整したところ、七福神であることがわかりました。

 

茨城県庁2F(笠原町978-6)
 水戸の郷土工芸品である米粒人形の七福神です。中央に弁才天がいます。県庁2Fで行われた郷土工芸品展で展示されていました。「帆を上げて 日々に入り来る 福の神」とあります。

 

お墓展示場(浜田1 国道51号線沿い)
 道路端に七福神を描いた立て札が並んでいました。

水戸の七福神(1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の地蔵(6)

2020-05-14 20:07:05 | 水戸

 今回も、建てられた年号のわかる地蔵として、比較的古いものを選んでみました。多くはお墓として建てられもののようです。年号が彫られているのは、光背部分と、裏側が多いようですが、光背が大部分のようです。お墓以外の地蔵は光背がない場合が多いようで、それだけに建てられた時期がわかりづらいようです。

 

宝蔵寺(谷田町633)
 正徳6年(1716)とあります。4代綱條(つなえだ)時代です。境内にある延命地蔵堂脇の石造物群の中にあります。女の子の墓石のようです。

 

薬王院(元吉田町682)
 享保4年(1719)とあります。4代宗堯(むねたか)の時代です。これも上同様の合掌形の地蔵像です。墓地入口にある無縁供養の石造物群中にあります。

 

東蔵寺共同墓地(平戸町392)
 寛保4年(1744)とあります。5代宗翰(むねもと)の時代です。たぶんこれもお墓でしょう。

 

八坂神社(高田町209-1)
 延享2年(1745)とあります。これも5代宗翰(むねもと)の時代です。宝珠と錫杖(しゃくじょう)を持った姿です。年号は背後にあります。写真右後ろは、半分埋まった光明真言供養塔です。

 

田谷町信号脇(県道63号線沿い)
 安永3年(1774)とあります。6代治保(はるもり)の時代です。左側は、「田谷邑(むら)中」とありますので、講中で建てた地蔵なのでしょう。道角にあるので、道祖神の役目も持っていたのではないでしょうか。

水戸の地蔵(5)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の奉納額(8)

2020-05-13 20:39:30 | 水戸

熱田神社(吉沢町)
 子供が長い棒を持って地面に何か書いているようで、烏帽子の武士が字を教えているように見えます。子供の勉強の上達を願った絵馬でしょうか。明治43年奉納のように見えます。

 

大六天(酒門町2607-1)
 水に入った武者が弓をひいています。舟上に建てられた扇の的を射落とした那須与一(なすのよいち)でしょうか。奉納が明治43年11月ですので、日露戦争直後の心理が描かれているのかも知れません。明治39年は午(うま)年ですが、11月なので、新年の絵馬ではなさそうです。

 

桂岸寺(松本町13-19)
 桂岸寺は通称二十三夜尊と呼ばれて、たいへん人気のあるお寺だったようです。水府納札会300人くらいの納札に記される名前を並べて描いたらしい、昭和10年に奉納された額1対です。勢至堂正面にかけられています。

 

千波神社(千波町503)
 平成5年に奉納された金婚式を記念する奉納額です。立て札の上が「入」の字型になった、入山札のかたちをしています。

 

地蔵院(内原町908)
 平成15年とある「四国八十八カ所巡拝成満記念」の奉納額です。現在にもこうした習慣は残っているようです。「いつの世も 苦を身代りて 救はんと 抱きしめ給ふ 大照の袖に」というご詠歌とともに、47名の名前が並んでいます。

水戸の奉納額(7)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸の影(5)

2020-05-12 19:33:28 | 水戸

樹木(メディカルセンター 笠原町489)
 色のコンストラクトもよく、壁に描かれた絵のようでした。

 

川面(国田大橋から)
 川面のさざ波は筆跡のようで、これもさながら単色のスーラのように見えました。

 

三の丸壕(三の丸)
 手すりの曲がり具合が面白いので、なんとなく撮ってみました。

 

電球(千波町千波原第1児童遊園(千波町2810-31)脇)
 つるつるに見えるガラスにも影を見ると結構でこぼこがあるようです。

 

樹木(茨城県庁(笠原町978-6)25Fから)
 県庁25Fは俯瞰風景の名所のようです。

水戸の影(4)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする